パルデンの会

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ブータンからの留学生に起きた悲劇 本当に幸せの国なのか?

 

政府に売られた、「幸せの国」ブータンの若者たち

11/6(水) 12:23配信

Wedge より転載

 

政府に売られた、「幸せの国」ブータンの若者たち

f:id:yoshi-osada:20191108125013p:plainブータンの首都ティンプーにあるレストラン(REUTERS/AFLO)

出井康博 (ジャーナリスト)

今、日本への留学をめぐって、政府高官を巻き込んだ大スキャンダルが巻き起きている国がある。「幸せの国」として知られ、今年8月の秋篠宮家の訪問先としても注目を集めたブータンがそうだ。

 

ブータンは2017年から18年にかけ、政府主導で日本への留学制度を推進した。その結果、700人以上の若者が日本の日本語学校へと留学することになった。80万弱という同国の人口を考えると、その数は決して小さくない。

 

政府主導の制度とはいえ、留学生は費用を借金に頼っていた。その額は日本円で100万円以上に上る。20代のエリート公務員の月収でも3万円程度というブータンでは、かなりの大金である。

ブータン人留学生たちには母国からの仕送りが望めない。借金を返済しつつ、日本での生活費や学費も自ら稼いでいかなければならなかった。借金漬けで来日し、アルバイトに追われる生活を送る点で、ベトナムなどの“偽装留学生”と同じ境遇だ。

 

ただし、ブータン人たちは“偽装留学生”とは異なり、勉強を目的に来日していた。また、日本で待ち受ける生活についての予備知識もなかった。結果、彼らは日本で不幸のどん底を味わうことになる。

 

慣れない夜勤の肉体労働に明け暮れ、病を発症した者も少なくない。将来を悲観し、自ら命を絶った青年までいる。本来、留学ビザの発給対象にはならないはずの彼らに対し、日本政府が入国を認めてきた末に起きた悲劇である。

公務員以外には就職先がほとんどない

ブータン人留学生問題が起きた経緯を振り返ってみよう。

 

ブータンでは若者の失業が社会問題となっている。とりわけホワイトカラーの仕事が足りない。民間の産業が育っておらず、公務員以外には就職先がほとんどないからだ。そんななか、ブータン政府は2017年、失業対策の一環として日本への留学制度「学び・稼ぐプログラム」(The Learn and Earn Program)を始めた。

 

留学生集めからビザ取得までの実務は、「ブータン ・エンプロイメント・オーバーシーズ」(BEO)という斡旋業者が独占的に担った。BEOはこんな言葉で留学希望者を募っていた。

 

「日本に留学すれば、日本語学校への在籍中でもアルバイトで1年に110万ニュルタム(当時の為替レートで約178万円)が稼げる。大卒者には日本語学校の卒業後に就職が斡旋され、最高で年300万ニュルタム(同約480万円)の年収が見込める。希望すれば大学院への進学だってできる」

 

こうした甘い誘い文句を信じ、職にあぶれた若者がプログラムに殺到した。

 

BEOに騙された

しかし、来日した留学生を待っていたのは厳しい現実だった。日本語の不自由な彼らができるアルバイトは、夜勤の肉体労働ばかりである。母国では見たこともない弁当の製造工場や宅配便の仕分け現場などで、夜通し働く日々を強いられた。しかも留学生に許される「週28時間以内」という就労制限を守っていれば、借金の返済や翌年分の学費を貯めることもできない。彼らには、法律違反を承知で働くしか選択肢はなかった。

 

筆者は昨年3月からブータン人留学生の取材を続けている。彼らの生活は、来日当初から悲惨だった。日本語学校が「寮」として用意した3DKの一軒家に、20人以上の留学生が押し込んでいたケースもあった。夜勤バイトを続けているため、顔色が悪かったり、体調に異変が起きている留学生も当時から多かった。

 

「BEOに騙されたんです」

 

留学生たちは口を揃えてそう話した。ただし、実名を明かして取材に応じる者は皆無だった。

 

「学び・稼ぐプログラム」は詐欺に等しい制度である。とはいえ、プログラムへの不満を口にすることは、政府への批判を意味する。

 

ブータンは2008年に絶対君主制から立憲君主制へと移行したが、民主主義が根づいているとは言い難い。言論の自由も保障されておらず、政府批判はタブーに近い。たとえ日本にいても、筆者のようなジャーナリストに情報を漏らしているとなれば、帰国後にいかなる仕打ちがあるか知れなかった。そのためプログラムが始まって1年以上が経っても、留学生が日本で直面していた苦境は全く明らかになっていなかった。

 

そうした状況を一変させたのが、2018年12月に留学先の福岡で起きたブータン人青年の自殺だった。同年10月のブータン総選挙で、「学び・稼ぐプログラム」を進めた与党が敗北し、政権交代が起きていた。その影響もあって、ブータン国内の報道でも、次第に同プログラムの問題が取り上げられていく。

 

BEO経営者らが現地警察当局に逮捕

留学生の親たちは被害者の会を結成し、同プログラムの責任追求に乗り出した。そして今年7月、BEO経営者らが現地警察当局に逮捕されることになった。さらに翌8月には、プログラムを中心になって進めたブータン労働人材省の高官に加え、同省の前大臣までも起訴された。前大臣については直接の起訴理由は別件だが、プログラムの影響も少なからずあったに違いない。ちなみに労働人材省高官と前大臣の起訴は、ちょうど秋篠宮家の現地訪問中の出来事である。

 

ブータン人留学生たちの大半は今年3月、日本語学校を卒業した。その多くは「簡単にできる」と説明されていた就職や進学を果たせず、ブータンへと帰国していった。留学費用として背負った借金を抱えてのことである。

 

「学び・稼ぐプログラム」では、留学費用の70万ニュルタム(同約120万円)を年利8パーセントでブータン政府系の金融機関が貸しつけていた。毎月2万円以上の返済が5年間にわたって続くスキームだ。

 

ブータンへと戻った留学生たちには、半分以上の借金が残っている。だが、帰国後に仕事が見つかった者はほとんどいない。当然、借金返済の目処も全くない。日本への留学によって、彼らの人生は台無しになってしまった。

 

一方、今も日本に残るブータン人留学生たちがいる。プログラム最後のグループとして2018年4月に来日し、日本語学校に在籍中の留学生たちと、日本語学校を卒業して専門学校や大学に進学したブータン人たちだ。彼らもまた、別の意味での苦しみを味わい続けている。

出井康博 (ジャーナリスト)

 

 

政府に売られた、「幸せの国」ブータンの若者たち

外国人留学生の闇 その2

 

ブータンの首都ティンプーにあるレストラン(REUTERS/AFLO)

 

今、日本への留学をめぐって、政府高官を巻き込んだ大スキャンダルが巻き起きている国がある。「幸せの国」として知られ、今年8月の秋篠宮家の訪問先としても注目を集めたブータンがそうだ。

ブータンは2017年から18年にかけ、政府主導で日本への留学制度を推進した。その結果、700人以上の若者が日本の日本語学校へと留学することになった。80万弱という同国の人口を考えると、その数は決して小さくない。

政府主導の制度とはいえ、留学生は費用を借金に頼っていた。その額は日本円で100万円以上に上る。20代のエリート公務員の月収でも3万円程度というブータンでは、かなりの大金である。

ブータン人留学生たちには母国からの仕送りが望めない。借金を返済しつつ、日本での生活費や学費も自ら稼いでいかなければならなかった。借金漬けで来日し、アルバイトに追われる生活を送る点で、ベトナムなどの“偽装留学生”と同じ境遇だ。

ただし、ブータン人たちは“偽装留学生”とは異なり、勉強を目的に来日していた。また、日本で待ち受ける生活についての予備知識もなかった。結果、彼らは日本で不幸のどん底を味わうことになる。

慣れない夜勤の肉体労働に明け暮れ、病を発症した者も少なくない。将来を悲観し、自ら命を絶った青年までいる。本来、留学ビザの発給対象にはならないはずの彼らに対し、日本政府が入国を認めてきた末に起きた悲劇である。

公務員以外には就職先がほとんどない

ブータン人留学生問題が起きた経緯を振り返ってみよう。

ブータンでは若者の失業が社会問題となっている。とりわけホワイトカラーの仕事が足りない。民間の産業が育っておらず、公務員以外には就職先がほとんどないからだ。そんななか、ブータン政府は2017年、失業対策の一環として日本への留学制度「学び・稼ぐプログラム」(The Learn and Earn Program)を始めた。

留学生集めからビザ取得までの実務は、「ブータン ・エンプロイメント・オーバーシーズ」(BEO)という斡旋業者が独占的に担った。BEOはこんな言葉で留学希望者を募っていた。

「日本に留学すれば、日本語学校への在籍中でもアルバイトで1年に110万ニュルタム(当時の為替レートで約178万円)が稼げる。大卒者には日本語学校の卒業後に就職が斡旋され、最高で年300万ニュルタム(同約480万円)の年収が見込める。希望すれば大学院への進学だってできる」

 

BEOに騙された

しかし、来日した留学生を待っていたのは厳しい現実だった。日本語の不自由な彼らができるアルバイトは、夜勤の肉体労働ばかりである。母国では見たこともない弁当の製造工場や宅配便の仕分け現場などで、夜通し働く日々を強いられた。しかも留学生に許される「週28時間以内」という就労制限を守っていれば、借金の返済や翌年分の学費を貯めることもできない。彼らには、法律違反を承知で働くしか選択肢はなかった。

筆者は昨年3月からブータン人留学生の取材を続けている。彼らの生活は、来日当初から悲惨だった。日本語学校が「寮」として用意した3DKの一軒家に、20人以上の留学生が押し込んでいたケースもあった。夜勤バイトを続けているため、顔色が悪かったり、体調に異変が起きている留学生も当時から多かった。

「BEOに騙されたんです」

留学生たちは口を揃えてそう話した。ただし、実名を明かして取材に応じる者は皆無だった。

「学び・稼ぐプログラム」は詐欺に等しい制度である。とはいえ、プログラムへの不満を口にすることは、政府への批判を意味する。

ブータンは2008年に絶対君主制から立憲君主制へと移行したが、民主主義が根づいているとは言い難い。言論の自由も保障されておらず、政府批判はタブーに近い。たとえ日本にいても、筆者のようなジャーナリストに情報を漏らしているとなれば、帰国後にいかなる仕打ちがあるか知れなかった。そのためプログラムが始まって1年以上が経っても、留学生が日本で直面していた苦境は全く明らかになっていなかった。

そうした状況を一変させたのが、2018年12月に留学先の福岡で起きたブータン人青年の自殺だった。同年10月のブータン総選挙で、「学び・稼ぐプログラム」を進めた与党が敗北し、政権交代が起きていた。その影響もあって、ブータン国内の報道でも、次第に同プログラムの問題が取り上げられていく。

 

BEO経営者らが現地警察当局に逮捕

留学生の親たちは被害者の会を結成し、同プログラムの責任追求に乗り出した。そして今年7月、BEO経営者らが現地警察当局に逮捕されることになった。さらに翌8月には、プログラムを中心になって進めたブータン労働人材省の高官に加え、同省の前大臣までも起訴された。前大臣については直接の起訴理由は別件だが、プログラムの影響も少なからずあったに違いない。ちなみに労働人材省高官と前大臣の起訴は、ちょうど秋篠宮家の現地訪問中の出来事である。

ブータン人留学生たちの大半は今年3月、日本語学校を卒業した。その多くは「簡単にできる」と説明されていた就職や進学を果たせず、ブータンへと帰国していった。留学費用として背負った借金を抱えてのことである。

「学び・稼ぐプログラム」では、留学費用の70万ニュルタム(同約120万円)を年利8パーセントでブータン政府系の金融機関が貸しつけていた。毎月2万円以上の返済が5年間にわたって続くスキームだ。

ブータンへと戻った留学生たちには、半分以上の借金が残っている。だが、帰国後に仕事が見つかった者はほとんどいない。当然、借金返済の目処も全くない。日本への留学によって、彼らの人生は台無しになってしまった。

一方、今も日本に残るブータン人留学生たちがいる。プログラム最後のグループとして2018年4月に来日し、日本語学校に在籍中の留学生たちと、日本語学校を卒業して専門学校や大学に進学したブータン人たちだ。彼らもまた、別の意味での苦しみを味わい続けている。

出井康博 (いでい・やすひろ)

ジャーナリスト

1965年、岡山県に生まれる。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業。英字紙「ニッケイ・ウイークリー」記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)客員研究員を経て、フリー。著書には、『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)、『ルポ ニッポン絶望工場』講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)などがある。