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https://mainichi.jp/articles/20200603/k00/00m/030/264000c
より引用
1989年に北京で言論の自由や政治の民主化を求めて集まった学生や市民に軍が発砲し、多数が犠牲となった天安門事件から4日で31年を迎える。香港では民主派団体が90年から毎年大規模な追悼集会を開いているが、今年は新型コロナウイルス対策を理由に開催が初めて禁止された。さらに、民主化運動を危険視する中国の習近平指導部により、香港で「国家安全法制」が実施されれば、来年以降も集会が不許可になるとの見方も出ている。
「北京の学生を支えようと、明け方まで香港の街を行進した。返還から20年あまりで、香港の自由がここまで失われるとは、あのころ思いもしなかった」。香港で中国共産党が禁書とする書籍を扱う書店の店長を務め、2015年に訪問先の広東省で当局に拘束された経験のある林栄基さん(64)が、89年を振り返った。
林さんら書店関係者5人が各地で次々失踪した事件は「高度な自治」を認める「1国2制度」が揺らぎつつある香港を象徴する出来事となった。林さんは19年に香港から台湾へ逃れ、20年4月に台北で書店を開いた。
89年4月、北京で学生らによる民主化運動が始まると、当時は英国の植民地だった香港で連帯を示す運動が活発化。北京に戒厳令が出た直後の5月21日には「100万人デモ」が実施された。林さんも運動に加わった。
天安門の惨劇が起きたとき、既に香港は97年に英国から中国に返還されることが決まっていた。このため、返還後に共産党政権による統制が強まることを懸念した人が、次々と海外移住した。いま当時の懸念が現実になろうとしている。
林さんが言う。「中国を民主化する運動はうまくいかなかった。国家安全法制が実施されると、香港は自由も希望も無い場所になりかねない…
「香港の死」が告げる米中ブロック経済時代の到来
アフリカ系米国人ジョージ・フロイド氏が警官に拘束されたとき窒息死させられた事件から始まった人種差別反対の抗議運動は、あっとういうまに略奪、焼き討ちを伴う暴動として全国に広がり、30都市以上で夜間外出禁止令が出る状況となった。トランプ大統領は州民兵だけで治安回復ができない場合、陸軍を投入することも示唆し、実際、陸軍憲兵部隊がワシントンDC周辺に移動しているという。
新型コロナウイルスでベトナム戦争以上の犠牲者を出し、経済、社会が疲弊している米国で、さらにこんな自由と民主と法治の根本を揺るが騒動が収まらない状況には本当に震撼しているのだが、時折流れてくる、自由と民主と人権を尊ぶ揺るぎない価値観を示す米国市民のコメントや、警官の犯罪に怒りを表明しながらも暴動や略奪をやめるよう懸命に訴えるフロイド氏の家族、対話を呼びかけるアフリカ系市民、怒るデモ隊にひざまずいて対話を求める警官の写真や映像などを見ると、やはり米国の根底を流れる価値観は中国と正反対であるなと、とつくづく思う。
恐怖政治、圧政によって維持された治安と、自由と民主があるがゆえに表面化する争いや対立、暴力ならば、私は後者の方がいいと思っている。もちろん私とは違う意見の人もいるだろうし、人の価値観はさまざまあっていいのだが、異なる意見や価値観の存在が許され、ぶつかり合うことが許されているのも後者の世界だ。
香港で堂々と“反中狩り”か
さて、そんな米国を眺めながら、私は中国屋ジャーナリストとして香港情勢が気になっている。
ついに香港に国家安全法制(香港版国安法)の導入が全人代で決定されてしまった。 以下ーーー