パルデンの会

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「反日」植え付ける韓国絵本、実体は平穏な生活だったことがうかがえる挿絵集『端島(軍艦島)の詩』

朝鮮人と家族同然に暮らす」 挿絵集『軍艦島の詩』で元島民回顧

 

NEWSクローズ・アップ

 

 2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして海底炭鉱の跡などが世界文化遺産に登録された長崎県端島(通称・軍艦島)。世界日報社はこのほど元島民が当時を振り返り編纂(へんさん)した挿絵集『端島軍艦島)の詩』を入手した。そこには鉱員の仕事ぶりや家族の日常が描かれているが、日本統治下の朝鮮半島出身者が差別・虐待されたという一部の主張とは程遠い平穏な生活だったことがうかがえる。(編集委員上田勇実)

 

一部の差別・虐待説に困惑

 

 「神社の境内 社宅の屋上 島の子供の遊び場です 日用雑貨や生活用品は お船が運んでくるのです 時化になったら困るけど こんな生活にも いつしか 皆なれました 子供も大人も一つの輪になって 軍艦島で生きています こんな日の軍艦島の色はね 燃える夕焼けの色でした」(表題「夕焼けの色」)

挿絵本『端島(軍艦島)の詩』の表紙

挿絵本『端島軍艦島)の詩』の表紙

 「この場所は 選炭された 製品炭が船積されたり 出荷前 一時の間 蓄えられていた 島民の子供たちの 遊び場の一つでした 今は遠い昔の 余韻が残っている 私にとっての 懐かしい場所でした」(表題「黒ダイヤの貯炭場」)

 これは挿絵集に掲載された詩の一部だ。作者で詩人の岩崎松子さん(71=ペンネーム・日向香)は昭和24年に島で生まれ、戦前を経験していないが、大人たちから伝え聞いた島の生活は戦後のそれとほとんど変わらなかったという。

 岩崎さんは姉から戦前の生活について「朝鮮の食べ物で『はったい粉』(韓国伝統食品「ミスカル」の一種で、当時は米粉や麦粉などをお湯に混ぜて固めて食べた)というのを教えてもらい皆で食べた」と聞かされた。

 また最近、戦前生まれの一番上の姉に当時のことを聞いた。姉は小学校高学年の時、日本名で「長又純」、「中原たまえ」と名乗っていた朝鮮人同級生の女の子たちと仲良く遊び、いじめなど全くなかったと語ってくれたという。炭鉱で日本人と朝鮮人との間に差別や蔑視、搾取などがあったら、子供たちがわだかまりなく遊べたはずがない。

『端島(軍艦島)の詩』に掲載された、戦前の島民の生活を描いた「夕焼けの色」の挿絵

端島軍艦島)の詩』に掲載された、戦前の島民の生活を描いた「夕焼けの色」の挿絵

 島では祭りもあったが、「朝鮮人の婦人たちはチマチョゴリを着てお国の踊りをおどり、男衆は御神輿をかつぎ、獅子舞で島内を練り歩き、楽しいひと時」(挿絵集の「はじめに」より)だったようだ。

 炭鉱夫だった岩崎さんの父は、戦前から坑内で危険な仕事を受け持った。徴兵で中国に赴き、終戦後に現場に戻ったが、塵肺(じんぱい)で亡くなったという。「真面目すぎてきつい仕事を黙々と続けたからではないか。父のケースを見ても分かるように、日本人が楽をし、朝鮮人だけが苦労させられたというのは誤解」と岩崎さんは言う。

 挿絵集の絵を描いた中村陽一さん(82)は小学校時代を同島で過ごした。炭鉱で働いていた朝鮮人労働者たちは終戦後間もなく帰国したが、見送りに来た日本人は別れを惜しんだという。

 「世話になったと言われながら箱いっぱいのリンゴを朝鮮人からもらった日本人がいたし、逆に帰国する朝鮮人に贈り物をあげた日本人もいた。乗船したあの人は朝鮮人だったのかと、その場で初めて知り驚いた日本人もいる。あの小さな島に日本人と朝鮮人が世界一の人口密度で家族同然に暮らしていた」(中村さん)

 戦前を知る元島民たちはもうほとんど横のつながりもないが、朝鮮人に何ら分け隔てなく接したと異口同音に証言している。

 

反日」植え付ける韓国絵本
小学校の学童保育で教材に

 

 挿絵集の編纂は、同島の世界文化遺産登録に反対する韓国が半島出身者への差別的待遇があったと喧伝(けんでん)し始めたことに困惑し、本当の姿を伝える必要に迫られたことがきっかけとなった。

韓国の絵本『恥ずかしい世界文化遺産 軍艦島』の表紙(日本語訳は日本側で挿入

韓国の絵本『恥ずかしい世界文化遺産 軍艦島』の表紙(日本語訳は日本側で挿入)

 特に韓国で16年に出版された小学生向け絵本『恥ずかしい世界文化遺産 軍艦島』の内容には驚かされたという。

 絵本には島に来たこともない朝鮮半島出身の「幼い少年たち」の様子が描かれていた。少年たちが島のどこにもなかった「すし詰めのような宿」に押し込められ、存在しなかった「日本の監視兵」の鞭(むち)に打たれ、脱出を試みて死んだ「少年の遺体が布袋に巻かれたまま捨てられていた」など「事実無根の奇抜な内容」(中村さん)が目立つ。

 長崎への原爆投下をめぐっては「日本は朝鮮の少年たちにこの島から出る機会を一度だけ与えました。死の街と化した長崎に連れていき、後始末をさせたのでした。結局、わが同胞少年たちは、全身に放射線被害を受けて徐々に死んでいきました」と記されている。

 推薦文を寄せた左派系市民団体関係者は「私たちは歴史を正しく知って(朝鮮半島)統一を実現しなければなりません。この本を読んで覚悟を新たにする機会になるよう願っています」と呼び掛けている。日本に分断の責任を転嫁し、核を放棄しない北朝鮮との統一を煽(あお)っているようなものだ。

 実際、韓国では小学校3年生から6年生を集めた放課後の学童保育の時間に外部の担当者が来て、この絵本を見せた例もある。韓国保守系ネット新聞メディア・ウォッチの黄意元社長は「子供たちに反日意識が植え付けられるのは必至。正規の授業でも副読本として使われている可能性がある」と指摘する。

 現在、岩崎さんも中村さんも「明治日本の産業革命遺産」を広報する「産業遺産情報センター」(東京都新宿区)でガイドをしながら、島の真実を伝える活動をしている。

「産業遺産情報センター」

 産業遺産に関する総合的な情報センターとして、同センターでは、平成27年7月にユネスコ世界遺産委員会において世界文化遺産として登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を中心とした産業遺産に関する情報発信を行って参ります。なお、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、これまで臨時休館していましたが、令和2年6月15日(月曜日)より一般公開いたします。


       詳細については、
産業遺産情報センターのホームページ
       をご覧ください。

 

 施設の概要については次のとおりです。

所在地
 
東京都新宿区若松町19-1(総務省第二庁舎別館)
開館時間
 
10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日
 
土曜日及び日曜日、国民の祝日、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料  無料
展示内容
 
産業遺産情報センターの主な展示内容(PDF:244KB)
交通のご案内
 
都営大江戸線若松河田駅」から徒歩5分
 
 
産業遺産情報センター