パルデンの会

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中国共産党百年の「記念日」に起きた「香港の来島恒喜」事件   警官を刺し、その場で自決。ネットは「人民の英雄」と讃えた

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宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)7月2日(金曜日)弐
通巻第6971号
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(速報)
 中国共産党百年の「記念日」に起きた「香港の来島恒喜」事件
  警官を刺し、その場で自決。ネットは「人民の英雄」と讃えた
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 7月1日、北京では天安門前広場に七万の群衆を集め、習近平は「偉大なる中華民族」「共産党なくして中国人民の栄光と繁栄はなかった」「貧困問題を解決した」「共産党の使命は台湾統一である」中国共産党バンザイ」と壱時間かけての無内容な長演説。強制動員された「聴衆」の多くが居眠りをしていた。

 一点だけ注目したのは毛沢東トウ小平江沢民胡錦涛を並べたなかに、周恩来劉少奇朱徳、陳雲の名前を挙げて評価したことだ。いずれも毛沢東の政敵である。

 同じく、7月1日の香港。この日の香港は町が死んだように静かで目立ったのは警備の警官隊ばかり。集会が不許可となったヴィクトリア公園は封鎖され、あたかも戒厳令下の風景だった。香港返還22年を祝う行事は、隅っこでそそくさと行われた。
 同日夜10時過ぎだった。
 銅鐸湾SOGO百貨店前で警備に当たっていた香港警察員が、とつじょ刺された。容疑者はただちに持っていた刀で壮烈に自決した。写真をみると屈強な体格に運動靴、黒い半袖姿の若者である。氏名や背景は、現時点(7月2日午前五時)で不明。

 咄嗟に連想した。
 明治二十二年十月十八日のことだった。
 大隈重信(当時の外務卿)が外務省から帰宅しようと門を出たとき、馬車に爆弾を投げ込んだのは来島恒喜(29歳)だった。
爆破の現場を見て、その場で喉を衝き、自決した。

大隈は重症を負ったが、生きのび、しかも犯人を憎むことはなく、あっぱれと激賛した。
 勝海舟は、来島の墓を建てる運動を主導した。そして、来島恒喜の狙い通り、条約改正は見送りとなり、黒田内閣は総辞職した。
彼は烈士として祀られた。

 来島恒喜は福岡藩士の子、中江兆民にフランス語をならい、玄洋社に参加した。
大隈卿暗殺を計画し、累が及ばぬようにと玄洋社を退社し、同志とも離れ、ひとりで決行に及んだのだった。

    ☆◎☆◎み☆◎□☆や□▽◎☆ざ▽◎□☆き◎☆◎▽

 

 北京での人民解放軍の行進に対して 日本でも東京でデモ行進は雨の中行われた

 

yoshi-osada.hatenablog.com

 

 

 

1人以上、立っている人、アウトドアの画像のようです