【茨仁唯色(ツェリン・オーセル)
1966年、ラサに生まれ、漢語(中国語)でチベットの〝もう一つの真実〟を発信し続ける作家・詩人。中国にとってのタブーであるチベットの文化大革命の写真証言集『殺劫』などで、その勇気と見識が評価され数々の国際賞を受賞。しかし中国当局から「我が国のイメージを損なう」とパスポートの発給が許されず、授賞式は欠席となった。「著述は亡命、著述は祈祷、著述は証人」を座右の銘に書き続ける。
               イラストレーション=阿部伸二 Shinji Abe

 彼らが気軽に口から滑らせる/この「祖国」という言葉を私は認めない/ここは私にとってただ身を寄せる所/ただ他人の家の軒下の仮住まい/その証拠は「暫住証」/「祖国」という言葉を簡単に言える者が羨ましい/生まれつき自信満々で/権力を笠に着る/祖国を失った者の運命は風前の灯だが/私は証拠固めをしておく

 チベットのラサに生まれた作家・詩人のオーセルは、各国のチベット研究者・翻訳者との対談で「なぜ中国に身を置いても『内なる亡命者』と自称するのか」と私が尋ねると、詩句でこう答えた。

 チベットという「国」が姿を消して60年以上が過ぎた。「神の土地」を意味するラサで生まれ、「永遠の輝き」を意味する「オーセル」と名づけられた詩人は、このように悲愴に詠う。それは彼女が人間としての尊厳を守り抜いている証しだ。

 オーセルの両親は新生チベットを夢見て、中国共産党のエリートコースを歩み、家庭でも漢語を使った。学校でもチベット語は停止され、漢語のモノリンガル教育が推し進められた。こうしてオーセルは母語のチベット語を学ぶ機会を奪われた。彼女は「成長の歳月には外来の強権によって押された烙印が多く刻まれ、故郷、母語、記憶、ライフスタイル、名前(彼女の漢語名は『程文薩』で文化大革命の拉薩=ラサを意味する)、民族的出自など全てが置き換えられ、ちぐはぐにされた」という。

 しかし、これは彼女が「自分は何者か」と自己の存在を探求したゆえであり、「漢化」への抵抗でもある。彼女はチベット人としてのアイデンティティーを取り戻そうと苦闘した。そして言語と民族性の問題にぶつかり、個人の記憶とともに祖国を追われ、異国を漂泊する世界史的に未曾有の大規模亡命(ディアスポラ)や文化大革命、抗議事件というチベット現代史に取り組んだ。

 2003年に出版されたオーセルのエッセイ集『西蔵筆記』(花城出版社)を、中国共産党統一戦線部と中央宣伝部は「重大な政治的錯誤がある」として発禁処分とした。また、彼女はチベット自治区の機関紙『西蔵文学』編集長への昇格が内定していたが、「思想教育」と「自己批判」の「過関(グオグァン)」を課された。

 それは自己否定による心からの屈服と忠誠を強いるもので、家族、友人、同僚など、まるで車輪が回るように多くの人たちが次々に現れ、人間の弱さに付け入り、独立志向や抵抗を窒息させることを企図した洗脳工作、通称「車輪戦」が続けられた。青蔵鉄道の建設を謳歌する文章を書かせようともした。その「手柄」で「罪」を償わせる意図だが、オーセルは漢人の大規模入植による「漢化」、資源乱掘、森林乱伐などを憂慮し反対していたため、まさにそれは「踏み絵」であった。

 これを拒否することは公職追放を意味し、それは社会主義体制下では生活基盤を失うことであったが、オーセルは天職である作家の良心に背くことはできないと拒否を選択した。こうして故郷のラサを離れ「内なる亡命者」となった。