CHANGE CHINA
2021年8月9日
「祖国」を追われながらも真実を追求するチベット人作家
中国を変える〝中国人〟
劉 燕子 (著述家・翻訳家)
彼らが気軽に口から滑らせる/この「祖国」という言葉を私は認めない/ここは私にとってただ身を寄せる所/ただ他人の家の軒下の仮住まい/その証拠は「暫住証」/「祖国」という言葉を簡単に言える者が羨ましい/生まれつき自信満々で/権力を笠に着る/祖国を失った者の運命は風前の灯だが/私は証拠固めをしておく
チベットのラサに生まれた作家・詩人のオーセルは、各国のチベット研究者・翻訳者との対談で「なぜ中国に身を置いても『内なる亡命者』と自称するのか」と私が尋ねると、詩句でこう答えた。
チベットという「国」が姿を消して60年以上が過ぎた。「神の土地」を意味するラサで生まれ、「永遠の輝き」を意味する「オーセル」と名づけられた詩人は、このように悲愴に詠う。それは彼女が人間としての尊厳を守り抜いている証しだ。
オーセルの両親は新生チベットを夢見て、中国共産党のエリートコースを歩み、家庭でも漢語を使った。学校でもチベット語は停止され、漢語のモノリンガル教育が推し進められた。こうしてオーセルは母語のチベット語を学ぶ機会を奪われた。彼女は「成長の歳月には外来の強権によって押された烙印が多く刻まれ、故郷、母語、記憶、ライフスタイル、名前(彼女の漢語名は『程文薩』で文化大革命の拉薩=ラサを意味する)、民族的出自など全てが置き換えられ、ちぐはぐにされた」という。
しかし、これは彼女が「自分は何者か」と自己の存在を探求したゆえであり、「漢化」への抵抗でもある。彼女はチベット人としてのアイデンティティーを取り戻そうと苦闘した。そして言語と民族性の問題にぶつかり、個人の記憶とともに祖国を追われ、異国を漂泊する世界史的に未曾有の大規模亡命(ディアスポラ)や文化大革命、抗議事件というチベット現代史に取り組んだ。
2003年に出版されたオーセルのエッセイ集『西蔵筆記』(花城出版社)を、中国共産党統一戦線部と中央宣伝部は「重大な政治的錯誤がある」として発禁処分とした。また、彼女はチベット自治区の機関紙『西蔵文学』編集長への昇格が内定していたが、「思想教育」と「自己批判」の「過関(グオグァン)」を課された。
それは自己否定による心からの屈服と忠誠を強いるもので、家族、友人、同僚など、まるで車輪が回るように多くの人たちが次々に現れ、人間の弱さに付け入り、独立志向や抵抗を窒息させることを企図した洗脳工作、通称「車輪戦」が続けられた。青蔵鉄道の建設を謳歌する文章を書かせようともした。その「手柄」で「罪」を償わせる意図だが、オーセルは漢人の大規模入植による「漢化」、資源乱掘、森林乱伐などを憂慮し反対していたため、まさにそれは「踏み絵」であった。
これを拒否することは公職追放を意味し、それは社会主義体制下では生活基盤を失うことであったが、オーセルは天職である作家の良心に背くことはできないと拒否を選択した。こうして故郷のラサを離れ「内なる亡命者」となった。
漢語モノリンガルを〝逆手〟に
オーセルは体制内の不純分子として排除されたが、著述の世界は広がった。彼女は人民解放軍の士官でアマチュア・カメラマンであった父が遺したチベット文革の記録写真を、後に夫となる漢人の独立知識人・王力雄の助言と協力により写真証言集『殺劫(シャーチェ)』(集広舎)として台湾で公刊した。「殺劫」はチベット語で革命を意味する言葉に近く、チベット人が受けた実態を伝えている。オーセルは父の写真を手がかりに関係者から証言を収集し、文献で補強し、物証・口証・書証により総合的に実証した。それは民族問題たるチベットと文革という中国共産党にとって重大な二つのタブーに迫るものだった。
彼女は公刊後も調査を続け、文革から50年の節目だった16年に『殺劫』増補改訂新版を出した。そこでは「文革は依然として禁区(タブー)、殺劫は依然として禁書」と記され、中国本土への持ち込みは相変わらず厳重に取り締まられている。一方、これは実証性を高めただけでなく、改革開放による経済成長で外見こそきらびやかに変貌したが、それと裏腹に政治的な支配に加えて経済的な開発独裁で「漢化」がより巧妙に大規模に進められていることも明らかにした。
また、北京五輪前の08年3月に起きたチベット抗議事件をきっかけに、オーセルは高度情報化のコミュニケーションツールを活用し「一人のメディア」として文学活動の重点をルポルタージュにシフトした。チベットの実情を逐次リアルタイムで世界に発信し、それを時系列に従って整理した『鼠年雪獅吼:2008年西蔵事件大事記』(允晨文化出版)は現在でも同事件に関する最も詳細な文献であり、研究資料としても貴重であると評価されている。
これに対して当局は法的手続きなしに連行、家宅捜索、パソコンなどの押収、監視、尾行、威嚇、嫌がらせを繰り返した。しかし、彼女は非暴力・不服従で巨大な強権国家と対峙し、中国共産党がメディアのみならず傘下組織を総動員して展開する圧倒的なプロパガンダに抵抗した。そして、10年に国際女性メディア基金が贈る「ジャーナリズムの勇」賞を受賞したものの、当局がパスポートの発給を許さず、授賞式への出席はかなわなかった。
11年、オーセルは僧侶などの焼身抗議や「被失踪(失踪させられたことを意味する造語)」を念じ、「私の両手には何もありません/でも右手にペンを握り、左手で記憶をつかみ/この時、記憶はペンの先から流れます/さらに行間には、踏みにじられた尊厳と/尽きない涙があふれます」と詠じた(『チベットの秘密』〈集広舍〉、58頁)。
これは統治者の言語=漢語による抵抗であるため、中国政府にとって厄介になっている。つまり、オーセルは「漢化」を逆手にとって、卓越した漢語能力を抵抗の手段に転化したのである。彼女の著述を多くの漢人が理解するとき、中国に真の〝Change〟が起きるだろう。