批判の声殺到の平野歩夢の2本目はミスジャッジだったのか…最終的に審判を救った歴史的な逆転金メダル
北京五輪のスノーボード男子ハーフパイプが11日、雲頂スノーパーク H & S スタジアムで行われ、平野歩夢(23、TOKIOインカラミ)が3本目に96.0点をマークし、逆転優勝。大技の「トリプルコーク1440(軸を斜めにずらした縦3回転、横4回転)」を3本のランすべてで決めてみせた。銀メダルは2本目に92.50点を出したスコット・ジェームズ(27、オーストラリア)。銅メダルはヤン・シェレル(27、スイス)。実弟の平野海祝(19、日大)は9位。戸塚優斗(20、ヨネックス)は10位、平野流佳(19、太成学院大)は12位だった。
「トリプルコーク1440」を3度成功
最後、ノーミスで滑りきった平野歩夢は、右手を高々と上げ、金メダルを確信した。得点は96.0点。2本目に92.50点をマークし、1位に立っていたスコット・ジェームズを上回り、ついに頂点に。平昌五輪では、最後の滑走者だったショーン・ホワイト(米国)に逆転を許して銀メダルに終わった平野歩だったが、今回は逆の側に回った。 ただ、得点が出るまで、内心穏やかではなかったのではないか。 決勝は3本。平野歩は3回とも、ファーストヒットでクリーンにトリプルコーク1440を決めた。1回目は終盤の着地で失敗したものの、2本目はミスなくルーティンを滑りきっている。ところが、得点は思ったほど伸びず91.75点。20年以上の審判経験があるアメリカ人のヨナス・ブリューワーが出した得点は90点にも満たず、89点だった。 このとき、平野歩は戸惑ったはずである。トリプルコーク1440は今回、彼だけがトライし、決めた技。しかも、ルーティンに3回も4回転を組み込み、すべて着地している。さすがにオリンピックの舞台では見たことがないが、通常の大会であれば、ジャッジ席に向かって「どこを見てるんだ?」と選手が激しく抗議してもおかしくないレベルだ。
ただ、その思いは、仲間たちがすぐさまSNSなどで代弁。平昌五輪の女子ハーフパイプで銅メダルを獲得し、Xゲームでも多くのメダルを獲得してきたアリエル・ゴールドは、「今まで見てきたなかで、最低のジャッジ」とツィートし、長くXゲームのMCを務め、ボードスポーツ界では知られたサル・マセケラも「誰がジャッジをやってるんだ? 色々聞きたいことがある」と疑問を呈した。 中でも、90年代中盤から2000年代の前半にかけて、Xゲームなどビッグイベントで何度も優勝し、米NBCの解説をしていたトッド・リチャーズは、「91.75? 間違いじゃないのか?」と痛烈にジャッジを批判。 興奮して何を言い出すかわからないと判断したか、米NBCは中継を中断し、コマーシャル(CM)へ。しかし、CMが明けても「俺は、長く、長くこの世界にいて、多くを見てきた。教えてくれ、どこが減点だったんだ?」と怒りは収まらず、再びCMへ。次のCM明けでも、「アメリカの評価は89点? 80点台? あれが? ハーフパイプ史上、もっとも難度の高いトリックを決めたのに? これほどハーフパイプのジャッジで疑問を持ったことがない!」とまくし立てた。 彼とは古い付き合いで、90年代に彼が日本へ来たとき、撮影に帯同したこともある。アメリカでは何度もインタビューさせてもらった。普段は冷静で、どちらかといえば、おとなしいタイプ。そのリチャーズが、あれほど熱くなるということは、よほどだったのだろう。 実は今回、男子のスロープスタイルでも、ジャッジに対する批判が沸き起こっている。マックス・パロット(カナダ)が優勝したが、最初のキッカーで飛んだとき、CAB16(フロントサイド1620)を決めたものの、グラブ(ボードを掴む)をしていなかった。それを見逃したのである。責任審判(スロベニア)は米スノーボードの専門メディアの取材に対し、カメラのアングルや瞬時に判定しなければならないことを“誤審”の要因に挙げたが、平野歩の2本目については、今も、明確な説明はない
1998年の長野オリンピックで男子ハーフパイプに出場し、テレビ解説を担当していた渡辺伸一さんも驚きを隠さず、「スウィッチバックサイドがなかったからではないか」と中継の中で一つの可能性を示唆した。スノーボードの回転には、通常のスタンスからのフロントサイド(お腹側から回転)、バックサイド(背中側から回転)に加え、逆スタンス(スウィッチスタンス)からのフロントサイド、バックサイドという4方向のバリエーションがある。ジェームズが4方向から技を出していたのに対し、平野歩にはスウィッチバックサイドからの技がなかったというわけだ。 また、「バックサイド(グーフィーの平野歩の場合、パイプの下から見て左側の壁)で着地がずれたと判断されたのでは」という話も聞いたが、あそこまで点が抑えられた説明にはならず、現地ではまたジャッジミスか、との声も飛んだよう。 仮にその2つが理由だったとしよう。それでも、世界のコンテストシーンで初めてトリプルコーク1440をメイクし、しかも最後までルーティンを滑りきった評価としてはありえないくらい低い。平野歩も終わってからのテレビインタビューで、「2本目の点数とか、納得いってなかった」と不満を口にしており、これで負けていたら、また、大会に対する批判が殺到していたのではないか。 ただ、その悔しさを、平野歩は次のランへの原動力に変えた。その裏には、門外漢とみなされながらも、スケートボードで夏のオリンピックに出場してみせたメンタルの強さ。また、東京五輪の開催が1年遅れたことから、半年で北京五輪に間に合わせるという、常識では考えられないスケジュールを克服した強さが、透けて見える。 2本目と同じルーティンで臨んだ3本目。ドロップ・インすると前出のリチャーズは中立の立場も忘れ、「アユム、やつらに見せてやれ!」と絶叫したが、平野歩は、3本目で一番高い5m50cmの地点でトリプルコーク1440を決めただけでなく、それぞれの高さ、技の精度においてレベルを一段引き上げ、右手を突き上げたのだった。 「怒りが自分の中でうまく最後、表現できた」 表彰式が終わってからそう振り返った平野歩。 その怒りは、審判まで救った。 さて今後、念願のタイトルを獲得した平野歩はどんな道を歩むのか。 報道によると、メダリスト会見で、平野歩は「終わったばかりで、これからどうしていくか考え辛いし想像し辛い。まずはゆっくり落ち着いて、これからも自分だけのチャレンジを追っていければと思う。それがどういう道のりになるのかは、自分自身と向き合いながら考えていきたい」と語った。 9位に終わった弟の平野海祝は、「また4年後もここに立って、兄ちゃんと一緒にメダルを取って、スノーボードを盛り上げたい」と話したが、4年後のミラノ・コルティナで五輪連覇を狙うのか、あるいは、多くのライダーがそうであったようにコンテストシーンを離れ、バックカントリーなどで撮影した映像を作品として残す世界へ軸足を移すのか。 金メダルを取ったことで束縛から解放され、平野歩には選択する権利が生まれたといえるのかもしれない。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)