パルデンの会

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 ウクライナ侵攻から百日がたって、俄にクレムリン・ウォッチャーの間では「プーチン後継」が囁かれ始めた。病気説も強く、また軍のクーデター、あるいはフルシチョフのように幹部会で突如の解任劇も予測される。

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宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)6月6日(月曜日)弐
        通巻第7359号
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 メドベージェフ元ロシア大統領、久しぶりにメディアに登場
  アルジャジーラの独占インタビューに応じた
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 メドベージェフ元ロシア大統領が久しぶりにメディアに登場した。
カタールを拠点として比較的中立な政治姿勢をとるアルジャジーラの独占インタビューに応じ、「ウクライナ戦争の終結は交渉による解決にある」と強調した。

 アルジャジーラTVに出演したメドべージェフは、次の二点を強調した。
 一、この戦争は歴史的因縁と背景があり、アルジャジーラなど中東のメディアはちゃんとそのことをバランスよく報じている。
二、交渉による解決をロシアは望んでいる。話し合いに応じないのウクライナである。

 クレムリンで何が起きているかは、伏魔殿ゆえに正確に把握することは困難である。しかし久しく沈黙を守り、ウクライナ戦争への関与が希薄とされてきた元大統領が、このタイミングで発言したことに何かの意味が含まれるのではないか。
 力関係から言えば、メドベージェフ元ロシア大統領は、現在「安全保障局」の『副長官』にすぎないのだから。

 そこで沸騰したのがプーチンの重病説である。ニューズウィーク電子版、6月4日)は、米国情報機関の話として、プーチンは四月に進行がんと治療した、また暗殺未遂事件が起きたことを報じている。

 プーチンの周りに戦略的判断ができる軍人が不在となり、お追従を言うイエスマンのシロビキが主導している。ウクライナで苦戦に陥る前まで、すなわちチェチェン・イングーシ紛争、グルジア戦争、シリア内戦への支援、ナゴルノ&カラバフへの仲介等々でプーチンは「連戦連勝」だった。その「不敗の神話」ウクライナ侵攻のもたつきで崩れた。

 ロシア正教のメンタリティが支配する皇帝は神の御威稜とともにあり、神聖にして犯すべからずだが、プーチンにそのような徳性は備わっていない。カリスマ要素は希薄である。

 ウレリー・ゲラシモフ参謀総長は2013年に「ハイブリッド作戦」(所謂「ゲラシモフ・ドクトリン」)を立案し、その通りにクリミア併合作戦に適応させた。軍のトップにあるのは当然と言えば当然だろう。いかもゲラシモフは旧ソ連時代からの軍人エリートである。
ところが四月頃から消息が絶え動静が伝わらなくなったのだ。

セルゲイ・ショイグ国防相は1991年から高位ポストに居座り続ける軍のボス。今回のウクライナ侵攻も軍事作戦立案、指令の最高責任者である。

 プーチンの周辺からショイグ国防大臣とゲラシモフ参謀総長が遠ざけられ、クレムリンを牛耳るのはKGB人脈の三人組である。
ニコライ・パトルシェフ(安全保障会議書記。ナンバー・ツーと推定されている。ちなみに副議長はメドベージェフ元大統領)、ナルイシキン(SV長官)。これにビクトル・ゾロトフ(親衛隊総司令)を加えるが、アレクサンドル・ボルトニコフ(FSB長官)は失脚した。


プーチンの後継者が浮かんできた

 ウクライナ侵攻から百日がたって、俄にクレムリン・ウォッチャーの間では「プーチン後継」が囁かれ始めた。病気説も強く、また軍のクーデター、あるいはフルシチョフのように幹部会で突如の解任劇も予測される。
国民的不人気も大きな要素であり、庶民からみれば、猛烈なインフレで生活に支障がでているうえ、外国企業が一斉に姿を消した。スタバもマックも去って、町の風景が変わり、一末の不安が社会に蔓延している。

 後継となる第一候補はメドベージェフ元大統領で、意欲もあるという。
 第二候補は憲法上、大統領に万一の時は首相になると明記されているので、ミハイル・ミシュスチン首相が浮上する。
 第三候補はキリエンコ大統領府第一副長官だ。キリエンコは首相経験もあるが、難点は少数民族出身者であること。
以下は前述のニコライ・パトルシェフ、アレクセイ・デユーミントゥーラ州知事)、セルゲイ・ソビューニン(モスクワ市長)が続き、ダークホースとして一時期、ドミトリー・コバリョフ(大統領府スタッフ)の名前が挙がった。
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宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)6月6日(月曜日)
        通巻第7358号
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 天安門広場の虐殺から33年の歳月が流れた
   王毅外相は十日間にわたった南太平洋諸国歴訪の旅を終えた
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 6月4日は天安門事件から33年。
東京や台湾など世界各地で中国共産党の独裁に抗議する集会が開催された。香港では集会が禁止されたため、自由の女神像台北で作り直された。
東京ではNYからやってきた天安門の学生指導者だった陳破空が講演、また麻布の中国大使館へ抗議デモのほか渋谷では香港の民主団体が蝋燭デモを行った。

 同日、十日間の南太平洋諸国歴訪中の王毅外相は最後の訪問地、東チモールのディリに到着し、ラモス・ホルタ大統領と会談した。
ホルタは「われわれはすべての国と『等距離外交』を堅持する。だが、中国のBRI関連プロジェクトの投資は歓迎する。ただし米中対決の渦に東チモールは巻きこまれたくない」と述べた。
また「東チモールは独立後二十年、一貫して「ひとつの中国」の原則を堅持してきた。中国の技術協力、医療協力で、デジタルTVなどで、さらなる協同を望む」とした
 ホルタ大統領は四月選挙で当選したばかりだが、ノーベル賞受賞前後の熱狂的支持は見られず、かと言って、民衆が中国を歓迎している様子もなかった。

 警戒を強める西側諸国の中でも、とくに米国は国務次官やカート・キャンベル調整官を当該国に派遣し、豪も新政権誕生直後に外相を派遣した。就中、米豪が警戒するのはソロモン諸島中国企業に75年の租借をツラギ島に認めたうえ、中国と「安保協定」を締結したことである。ツラギは日本軍が玉砕した激戦地、やがて中国海軍の寄航先となる恐れが高い。

 また豪勢府は5月26日に南シナ海を偵察中の豪空軍RAAF─P偵察機が、中国の空軍機に迎撃態勢をとられ危機的状況にあったと、6月4日に公表した。
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