パルデンの会

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一度死んだはずの江沢民、あれから11年と五ケ月を生きていた

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 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)12月1日(木曜日)
        通巻第7540号  
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(休刊のお知らせ)小誌は明日(12月2日)から7日まで休刊となります。
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 一度死んだはずの江沢民、あれから11年と五ケ月を生きていた
反日を仕掛け、軍を腐敗させ、汚職天国とした江沢民が死去
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 11月30日、江沢民国家主席が死去した。享年96歳。
 天皇陛下晩餐会に中山服であらわれ『歴史を鏡とせよ』と呪詛をたれて、日本人の多くがあきれかえった。反日を掲げるとこで江沢民は政治生命を維持した。
 たなばたで権力を受け継いだものの、中央政界に唐突に現れても、長老や幹部は誰も相手にしなかった。97年香港式典などは、李鵬が別の特別機を飛ばして、ふたり並んでいた。つまり、あの時点で江沢民の権力は半分ほどだった。

 江沢民がまずやったことは権力を守る暴力装置江沢民の親衛隊とすることで、第一に軍のアルバイトを黙認し、汚職には目をつむり、第二に大将(上将)辞令を乱発した。軍の高層部はこれで江沢民支持となった。

 彼の強運は「新しい」利権がどっさりと転がり込んで来たことだ。守旧派の牙城だった従来の共産党企業、つまり国営企業とは鉄道、炭鉱、電力、通信、銀行である。
 江沢民時代に改革開放が本格化し、外国企業が銀行証券保険に参入した。通信も携帯電話が急激に普及し、ネット通信が主流となった。守旧派の利権など問題にならない巨額の利権である。

 江沢民は自派閥形成とその強化に「新産業」を加えた。経済の繁栄、GDPの右肩上がりに、国民さえ「良い時代がきたなぁ」と吐露し、時に不満が高まると反日を煽り、日本企業、レストラン焼き討ち、大使館へ卵ぶるけ競争を黙認どころか演出し、ガス抜きをはかった

 江沢民反日過剰は、じつは父親が日本軍の協力者だったからで、父の兄弟の戸籍に移し替え、何食わぬ顔で世を渡った。上海交通大學(当時は中郷大學)で機械エンジニア、ソ連にも派遣され、工業畑から上海市長、同市書記。トウ子平に大抜擢され上海から北京に呼ばれたのは1989年天安門事件直後だった。

 江沢民が言い出した「三個代表論」というわけの分からない『理論』とは、企業人、財界人も党員として、一緒にがっぽりと稼ごうということである。マンション投機、株式投機に血道を上げるムードが醸成され、スポーツ選手やら不動産王やら、映画スターが人民政協会議メンバーとなった。

 さて江沢民は「いちど死んでいる」!
 2011年7月7日に産経新聞江沢民死去の『号外』をだした。
 直後に北京に行った筆者は産経北京支局の人から「あれは北京の頭越し、東京本社が『確実だ』という情報源を元にした誤報と言っていた。

 そして死んだはずだった江沢民は爾後も11年と五ケ月を生き延びた。十月の党大会には姿を見せず植物人間状態という噂があった。

 さてさて残された江沢民の遺族である。
 夫人の王治坪は94歳。当時の上海外国語大学をでた才媛である。

 長男の江綿恒は通信の利権やファンド経営などを言われたが、さきごろ上海アカデミーの『院長』を退任した。学識がないと評判が悪かった。72歳。 

 次男の江綿康は上海市発展情報センターに勤めるらしいが、消息は殆ど無い。68歳。この兄弟は伴に上海師範大学に学んでいる。

 思い出すのは江沢民最大ライバルだった李鵬元首相の子供達である
 李鵬の子供達は地方に飛ばされ、とくに李小琳は電力業界のトップにすわっていて、リムジンで香港に現れ、ブランド品を山のように買う現場がパパラッチされたりしたが、習近平は彼女を山奥の発電所に左遷した。
 江沢民の遺族等に待ち受ける運命やいかに?
   ☆□☆み□☆☆□や☆□☆□ざ☆□☆□き☆□☆□  
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