パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

拉致問題を 国会の問題とするために 有田さんの行き方

有田芳生氏の 拉致問題に掛ける情熱か?

 新党日本から民主党への「なぜ」

【なぜ新党日本だったか】「社会貢献しませんか」田中康夫さんに誘われたのが「すべて」の出発点。ためらいはなかった。取材者として書かねばならないテーマをしばし置いても、政治=日本を変えるために「跳ぼう」と決めた。田中知事時代の「脱ダム」宣言とは「脱ムダ」の実現。幼児とお年寄りが同じ時間を過ごす「宅幼老所」などの施策を日本全体に広げねばと決意。

【なぜ離脱したのか】参議院選挙(07年)では全国で約16万人が投票用紙に「有田」と書いてくださった。しかしミニ政党の悲哀あり。他党なら5万票で当選した者もいたが落選。衆議院選挙は東京11区(板橋)で「惜敗率全国最高(94・07%)」で次点。参議院への繰り上げ当選も辞退していた。残念ながらミニ政党では主体の努力だけではいかんともしがたい限界があると痛感。

【なぜ民主党なのか】「政党は国民生活を改善するための道具」。2年間の「どぶ板活動」で発見した課題は少子・高齢時代に見合った「成熟社会の居住モデル」を創ること。国際医療都市を全国に展開し、そこでがん撲滅に有効な重粒子線治療を行い、医療、福祉、環境、教育重視の産業構造を他産業とバランスよく育成していくこと。私の理念に何も変わりはない。「人生後期の仕事」として再び参議院選挙(比例区)を闘う。

             ※ ※ ※

 日本経済新聞(09年12月17日夕刊)の「参院選へくら替え」という記事で紹介されました。ここでは拉致問題への思いが強調されていますが、取材では「成熟社会の居住モデル」を創らねばならないという思いも詳しく説明しました。限りある紙面のなかでよくまとめてくれています。とくに新党日本から民主党へ移籍する経過については端的、的確に書いてくれているので、ここにご紹介します。

 12月12日、東京都港区のニッショーホールで開かれた政府主催の拉致問題講演会。最後列の席に「参加者が少ないな」とため息をつく有田芳生氏(57)がいた。オウム真理教問題の追及で知られるジャーナリストは、拉致被害者の救済を掲げて来夏の参院選民主党から出馬する。
 2007年の参院選では新党日本から出馬して次点で落選。この夏、繰り上げ当選するチャンスをけって、衆院選に出馬したが3千票差で再び次点に終わった。
「うちから出ないか」。落選直後、民主党の石井一選挙対策委員長から声をかけられて悩んだ。新党日本の得票数を考えれば、次回の選挙も厳しい。ただ、民主党に入れば第三極となる政党をつくる夢は果たせなくなる。結局、個人で北朝鮮拉致被害者救済を働きかけようとしたときに感じた無力感から「なんとしても国会議員として働きたい」との思いがまさった。
 新党日本田中康夫代表は「それが一番いいんじゃないか」と離党を認めてくれた。11月18日、田中代表とともに小沢一郎幹事長と会い、民主党からの出馬が決まった。支持を広げようと各地を回る有田氏の頭には時折、「田中代表は今後どうするかな」との思いがよぎる。
有田氏 HPより