救う会の東京集会 雨にもかかわらず、かなりの参加者 いつにも増して報道陣の数、
曽我さんが「お母さん」の安否に対しての訴えがあったからでした。
曽我さんに関しては自らの拉致被害にも増して、日本で生きていると思っていた母親の 拉致事件以降の北朝鮮での拉致を含めて手がかりがなく、
捜査継続の現実がある。 お母さんも現在は81歳との事。
本当に人道的に許されない行為に 現在の民主党の大臣や、自民党、公明党などの国会議員が少なからずとも関連しているとなれば、国民の100人位の安否など関係ないと、すべてを消し去りたいのか、拉致担当大臣にさえ重きを持たない無責任さにわが国の政治がある。
「お前ら本当に 日本人か?」と 問うても
戻ってくるのは空虚さだけである。
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集会で、拉致された状況を語る拉致被害者の曽我ひとみさん=東京都文京区で2012年10月23日、小出洋平撮影 |
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)は23日、東京都文京区で「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京連続集会」を開き、母ミヨシさんと共に拉致された曽我ひとみさん(53)ら拉致被害者家族会のメンバーが出席した。家族会からは、田中慶秋(けいしゅう)衆院議員(74)の法相兼拉致問題担当相辞任に関連し、次々に不満の声が上がった。
【母への思いつづる】曽我ひとみさんが手記発表
家族会は集会に先立ち、超党派の拉致議連と面会。飯塚繁雄代表(74)は「拉致問題担当相が何回も交代している状況だ。大臣が代わっても問題は消えない」と指摘。また被害者家族の横田滋(しげる)さん(79)も「日朝間の協議が本格化する前の辞任は残念。後任の方には解決のため尽力してほしい」と注文した。
集会には約100人が参加。ミヨシさん(行方不明時46歳)は北朝鮮側が入国自体を認めておらず、消息不明のまま。曽我さんは78年8月にミヨシさんと共に拉致された時の様子や北朝鮮での厳しい生活状況を語り、「私が日本に帰って10年になるが、母のことがいつも気がかり。今日の集会で明るい光が見えてくればと願っています」と訴えた。【中川聡子】
曽我ひとみさん、北主張の「請負業者」の関与否定
2012/10/24 00:12更新
記事本文
拉致被害者の曽我ひとみ10+ 件さん(53)が23日、東京都文京区で開かれた集会に出席し、曽我さんと母のミヨシさん=拉致当時(46)=拉致に北朝鮮が関わったと説明している「現地請負業者」の関与を否定した。
拉致当時の状況について、曽我さんは「後ろから3人の男が駆け寄って来て、植え込みの中に私と母親を引きずり込んだ」と説明。その後、北朝鮮到着まで実行犯と一緒に過ごし、誰かに引き渡されることはなかったという。
曽我さんは「北朝鮮にいる拉致をした人が(ミヨシさんの行方を)知っているはず。説明を聞きたい」と母の早期救出を訴えた。
関連記事
FNN(10/23 22:12
曽我 ひとみさん、都内の集会で母・ミヨシさんの早期救出訴え
東京・文京区で、拉致被害者の救出を目指す集会が開かれ、拉致被害者の曽我 ひとみさんが、母・ミヨシさんの救出を訴えた。曽我さんは「(帰国から)10年の間、いろんなことがありましたが、いつも気にかかっていたのがただ一つ。母のことです」と話した。
集会では、曽我さんが、母・ミヨシさんの早期救出を訴えるとともに、北朝鮮での厳しい生活状況を語った。
また、家族会の飯塚代表は、就任したばかりの田中拉致問題担当相の辞任に、「これでは北朝鮮も相手にしない」と失望感を示し、今後は、首相が直轄して拉致問題を具体的に進めてほしいと訴えた。
曽我ひとみさん、講演で母の救出訴え
拉致被害者の曽我ひとみさんが都内で講演し、いまだ安否不明の母・曽我ミヨシさんの救出を改めて訴えました。
「私の母はとても働き者でした。昼間はヒューム管で一日、油まみれになりながら働いて、夜はザルを作っていました。北朝鮮にいる、拉致をした人たち(= 実行犯)が一番良く知っていると思います。その人たちから、はっきりした話を、説明を聞きたいと思います」(曽我ひとみさん)
曽我ひとみさんは34年前、新潟県佐渡市で母・ミヨシさんと一緒に北朝鮮に拉致されましたが、ミヨシさんの安否は今もわかっていません。
救う会の西岡会長は、「北朝鮮側は10年前の2002年、日本政府調査団に対し曽我さんを『日本人の請負業者に依頼して拉致した』と説明しているが、実際 には、北朝鮮人の男の工作員3人と日本語を話す女工作員の計4人に拉致された」と述べ、北朝鮮側が拉致の事実についていまだ説明責任を果たしていないと訴 えました。
曽我さんは拉致議連の平沼会長や松原事務局長らとも面会し、ミヨシさん救出への協力を訴えました。(24日02:06)
「私の母はとても働き者でした。昼間はヒューム管で一日、油まみれになりながら働いて、夜はザルを作っていました。北朝鮮にいる、拉致をした人たち(= 実行犯)が一番良く知っていると思います。その人たちから、はっきりした話を、説明を聞きたいと思います」(曽我ひとみさん)
曽我ひとみさんは34年前、新潟県佐渡市で母・ミヨシさんと一緒に北朝鮮に拉致されましたが、ミヨシさんの安否は今もわかっていません。
救う会の西岡会長は、「北朝鮮側は10年前の2002年、日本政府調査団に対し曽我さんを『日本人の請負業者に依頼して拉致した』と説明しているが、実際 には、北朝鮮人の男の工作員3人と日本語を話す女工作員の計4人に拉致された」と述べ、北朝鮮側が拉致の事実についていまだ説明責任を果たしていないと訴 えました。
曽我さんは拉致議連の平沼会長や松原事務局長らとも面会し、ミヨシさん救出への協力を訴えました。(24日02:06)
母ミヨシさん早期救出を 曽我ひとみさんが訴え
集会で母ミヨシさんの早期救出を訴える曽我ひとみさん=23日午後、東京都文京区
時事通信
「いつも母のこと気に掛かる」=早期救出を訴え-曽我さん
北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(53)と共に拉致され、帰国していない母ミヨシさん=拉致当時(46)=の救出を求める集会が23日、都内で開かれた。曽我さんは「いつも気に掛かっているのはただ一つ、母のことです」と述べ、一刻も早い救出を訴えた。
曽我さんは、1978年に拉致された当時の状況について、曽我さん親子拉致容疑で国際手配された北朝鮮工作員通称キム・ミョンスク容疑者が日本語を話していたことなどを証言。「はっきりしたことは拉致した人が知っている。早く説明を聞きたい」と話し、北朝鮮が残る被害者全員を帰国させ、事実関係を全て明らかにするよう求めた。(2012/10/24-00:11)
曽我さんは、1978年に拉致された当時の状況について、曽我さん親子拉致容疑で国際手配された北朝鮮工作員通称キム・ミョンスク容疑者が日本語を話していたことなどを証言。「はっきりしたことは拉致した人が知っている。早く説明を聞きたい」と話し、北朝鮮が残る被害者全員を帰国させ、事実関係を全て明らかにするよう求めた。(2012/10/24-00:11)
島田洋一ブログより
本日、曽我ひとみさんを招いたシンポジウム―ミヨシさん生存の合理的根拠 ニュース記事に関連したブログ
2012/10/23 11:45
私は、ひとみさんと同時に拉致された母ミヨシさんは北で存命と見るのが、最も合理的な発想だと思っている。その理由は下記エントリ参照。
■合理的に考えれば曽我ミヨシさんは生存している
母ミヨシさんのスクリーン映像の前で話す曽我ひとみさん
曽我ミヨシさんを救うぞ!東京連続集会69
1978(昭和53)年8月12日に、曽我ひとみさんとともに拉致されて満34年となる曽我ミヨシさんの拉致に焦点を当てます。登壇者は、曽我ひとみさんに、惠谷治(ジャーナリスト)、西岡力救う会会長の両氏。拉致の手法、経路、曽我さん拉致の目的、背景などを探る。その他の家族会メンバーからも近況報告あり。
日 時:平成24年10月23日(火)午後6時半~8時半 会場6時
場 所:文京区民センター3階3A(03-3814-6731)
参加費:1000円(事前申込み不要)
連絡先:救う会事務局
03-3946-5780 FAX03-3946-5784