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[橘玲の世界投資見聞録]チベットの民族独立問題と経済的支配

橘玲の世界投資見聞録]チベットの民族独立問題と経済的支配

ダイヤモンド・ザイ 3月23日(土)9時26分配信

 当事者でも専門家でもない私がチベット問題を軽々しく論じることはできない。そこでここでは、チベットの旅で感じたことを備忘録風に記しておきたい。

(1) 欧米人のチベットに対するロマン主義的な感情がもっともよく表われているのは、ブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』だ。

この作品は、アイガー北壁の初登頂に成功したオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラー(ナチス親衛隊員でもあった)の自伝をもとにしている(邦訳は『セブン・イヤーズ・イン・チベットチベットの7年』〈角川ソフィア文庫〉)。

ヒマラヤ遠征の途中で第二次世界大戦が勃発し、イギリス領インドで捕虜になったハラーは、親友のペーターとともに収容所を脱走し、険しい峠を越えてチベットに逃れる。賓客として宮殿に招かれた2人はそこで利発な少年と出会い、その人柄に魅了される。ハラーは少年に外国語と欧米の学問を教え、少年はハラーに精神世界の奥深さを伝える。ポタラ宮の主人であるこの少年こそがダライ・ラマだった……。

ハラーの数奇な体験が現在に至るまで多くの欧米人を魅了するのは、「近代社会から隔絶したどこか遠くに文明に毒されていない無垢で高貴なひとたちが暮らしている」という夢物語を現実のものにしたからだ。

科学が進歩し、生活がゆたかになり、なにもかもが便利になるにつれて“かつてあった純真なものが汚されていく”と感じるのは万国共通で、その幻影を自分たちとは異なる社会に投影して自己満足に耽ることを、パレスチナ生まれの文学者エドワード・サイードは「オリエンタリズム」と名づけて批判した。

 アジアにおけるオリエンタリズムには武士道や浮世絵、切腹や芸者などがあるが、明治期の日本が近代化に成功するにつれてその魅力は色あせていく。

それに対して、標高3000メートルを越える高地に壮麗な宮殿を建てて宗教生活を送っているチベットの民ほど、「オリエンタリズム」の夢の舞台として完璧なものはない。

こうしてチベットは、欧米の(主として)知識層にとって、“なにものにも替えがたい特別な場所”になった。この地に生きる聖なるひとびとが共産主義者の手によって権利を奪われているのなら、彼らの自治・独立を支援してともにたたかうのが自由主義者(リベラル)の義務なのだ。

中国にはチベット以外にも少数民族自治区はいくつもあるが、チベットがことさら注目され大きく報道されるのにはこうした背景がある。

(2) 私がチベットを訪れたのはラサ市での騒乱から1年半たった2008年9月だが、北京オリンピックが無事に終わっても厳戒態勢は続いていた。

ラサ旧市街の中心はジョカン(大昭寺)で、7世紀中期に創建された広壮な仏教寺院だ。このジョカンを取り囲むのがバルコル(八廓街)と呼ばれる商店街で、伝統的なチベット建築が並んでいる。バルコルから奥へと延びる路地がチベットのひとたちが集住するエリアで、騒乱が起きた現場でもあるから、中国政府から見れば最重点警戒区域だ。

厳重な警備といっても、チベットの主要産業は観光業で外国からの旅行者も多いから、軍による露骨な弾圧はできない。そこでこの一帯で、朝から深夜まで、人民武装警察隊員(日本でいう機動隊員)が3列縦隊になって行進する示威活動が大規模に行なわれることになった。文字どおり人海戦術チベットの反乱を押さえ込もうというのだ。

ラサの武装警察隊員は、中国各地の農村地帯から集められてきた若者たちだ。彼らのあいだでは、「(空気の薄い)チベットで3年勤務すると(心臓病などで)寿命が3年縮む」と信じられているという。


(3) ジョカンの正門前では敬虔なチベット仏教徒が五体倒地を行ない、そのまわりを欧米からの観光客がカメラを持って取り囲んでいる。

ラサの北8キロほどのところにあるセラ寺はダライ・ラマも学んだゲルク派の大寺院で、赤い袈裟をまとった若い僧侶たちが中庭で、独特のジェスチャーを交えて問答修業をすることで有名だ。この寺にも大型観光バスが何台も乗りつけ、欧米の団体観光客が夢中でカメラのシャッターを押し、ビデオを撮っている。こうしたツアーを仕切っているのは、ほぼすべて漢族が経営する旅行業者だ。

ポタラ宮を中心としたラサの宮殿や寺院が世界遺産に登録されてから、チベットは中国人にとっても「いちどは行ってみたい観光地」になった。私が青蔵鉄道の寝台車でいっしょになったのは蘭州の電子部品工場の社員旅行で、身なりは質素だが、みんなキヤノンニコンの一眼レフのデジタルカメラを持っていた。こうした国内団体客も、当然、漢族の旅行会社が一手に扱っている。

ラサの旧市街からすこし離れた道路沿いには、団体客向けの大型ホテルが漢族の資本で次々と建設され、レストランや土産物店もジョカン周辺を除けばほとんど漢族が経営している。

チベットの観光業が隆盛になるにつれて、四川省などから仕事を求めて大量の漢族が移住してきた。さらには2011年からチベット自治区に3300億元(約5兆円)の公共投資を行なう5カ年計画が始まり、水力や太陽光の発電所建設、道路や鉄道などのインフラ整備のほか、銅やリチウム、希少金属などの地下資源の開発も行なわれることになっている(日本経済新聞3月11日)。

チベット自治区260万人の総人口のうち90%超はチベット人とされるが、その周辺を含めれば600万人のチベット人に対して漢族は800万人を超え、今後10年間でさらに100万人の漢族が流入するとの予測もある(日経新聞同上)。広義のチベットでは、すでにチベット人と漢族の人口比は逆転している。残念ながら訪れる機会がなかったが、ラサ郊外には漢族の集まる新都心が建設され、そこには若者向けのクラブまであるという。

チベットの最大の観光資源は、古い建物や大自然ではなく、ダライ・ラマに帰依し仏教の教えを深く信じるひとびとだ。世俗を超越した彼らの姿を見るために多くの観光客が訪れ、それが巨大な観光ビジネスになって、漢族の資本家がホテルなどの不動産開発に乗り出す。

私は、「漢族がチベット人を搾取している」と批判したいわけではない。だが事実として、チベットの経済は漢族によってほぼすべてが支配されている。


(4) ダライ・ラマに次ぐ高位のラマであるパンチェン・ラマをめぐる政治的混乱は、チベット問題の困難さを象徴している。

ダライ・ラマパンチェン・ラマはお互いの転生者を認定することになっている。

1989年にパンチェン・ラマ10世が急死した後、ダライ・ラマと亡命政府は密かに転生者を探索し、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6歳の少年をパンチェン・ラマの生まれ変わりとして認定した。しかし亡命政府を“反中国”と見なす共産党政府はこれを拒み、同じ6歳のギェンツェン・ノルブという少年をパンチェン・ラマ11世として擁立した。

ダライ・ラマが認定したゲンドゥン少年はその後、両親とともに当局に連行され、現在に至るまで所在不明のままだ。こうした経緯があるため、亡命政府は(共産党政府の主張する)パンチェン・ラマ11世パンチェン・ラマの転生者とは認めていない。

古来、パンチェン・ラマはラサの西にあるシガツェを拠点としていた。

ラサからニャンチェ川を越えてシガチェに至る途中に、古都ギャンチェがある。この街を歩くと、ラサとはずいぶん雰囲気がちがうことに気がつく。さびれた旧市街を抜けると、かつての日本の団地のような建物が現われる。これは共産党政府がチベット系の住民に無償で与えたアパートだ。

ギャンチェのいちばんの見所は巨大な仏塔に描かれた仏眼で知られるバンコル・チョエデ(白居寺)だが、そこに向かう途中で100台以上もの白い軽トラックの車列とすれちがった。ガイドの説明では、この新車もチベット系のひとたちに寄贈されるのだという。

高齢のダライ・ラマが身体を捨て去れば、その魂が転生した先はパンチェン・ラマが認定することになる。そうなれば共産党政府はダライ・ラマパンチェン・ラマという2人のラマを手に入れて、亡命政府の正統性を否定しチベット問題を“最終解決”できる。

この計画を成功させるためには、できるだけ多くのチベット人パンチェン・ラマ派に鞍替えさせなければならない。そのために、なりふり構わぬ大盤振る舞いをしているようだ。


(5) 共産党政府のチベット対策から恩恵を被っているのはパンチェン・ラマ派のひとたちだけではない。欧米メディアが注視するチベット統治は飴と鞭で行なうほかなく、きびしい弾圧と引き換えに補助金や公共事業、現物給付などさまざまな懐柔策がとられている。

システム分析の専門家である川島博之氏によれば、中国にも日本の地方交付金にあたるものがあり、広東省上海市北京市などのゆたかな省や市から、貧しい地方に多額の金銭が支払われている(『データで読み解く中国経済』〈東洋経済新報社〉)。

こうした所得移転の実態を調べると、もっとも多額の資金を受け取っているのは四川省だが、1人あたりではチベット人が最大の受益者で、年間平均収入の1万6539元に匹敵する1万5830元の援助を受けている。1世帯の人数を4人(少数民族には一人っ子政策は適用されない)、1元=15円とすれば、チベットの平均的な家計の1年間の総収入は約48万円で、そのうち24万円は国からの補助金ということになる。

このようにチベットは、地域経済ばかりでなくひとびとの生活までも中国(漢族と共産党政府)の強い影響下に置かれている。もし仮にチベットのひとびとが悲願の民族独立を手に入れたとしたら、その瞬間に地域経済もひとびとの生活も崩壊してしまうだろう。

<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。

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