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元慰安婦城田すず子さんの証言⑥ 田嶋陽子の歪曲



大高未貴「慰安婦に性奴隷は失礼」田嶋陽子が論破されまくり


     
2014/05/13 に公開
大高未貴「慰安婦に性奴隷は失礼」田嶋陽子が論破されまくり

慰安婦問題で知識がなさすぎで田嶋陽子(たじまようこ)が可愛そうなぐらい論破されま­くってます。
研究が進むにつれて、強制連行があったと主張する言い分が幼稚過ぎてもう討論にならな­くなってきましたね。
田嶋陽子の話を聞いて「そうなんだ」って納得できる人はいるのでしょうか。。。
慰安婦問題は国によって歴史認識が違うというレベルの話ではないです。
金欲しさに嘘と解って言い張ってるただの捏造だから。

たかじんのそこまで言って委員会
画像
http://d.hatena.ne.jp/biso/20121123/1...
http://ameblo.jp/lovejetmaximum/entry...
 


日本海側に注目しつつ世の中を見て行きたい―
 
 

慰安婦城田すず子さんの証言⑥ 田嶋陽子の歪曲

11日の「たかじんのそこまで言って委員会」で、大高未貴さんと田嶋陽子さんが、城田すずこさんについていささかバトルしていたそうです。ネットに動画がupされていたので、ざっくり見てみました。
まず、城田さんに対して「性奴隷」というレッテルをはることは、彼女に対する人権侵害だとする大高さんの見解に賛成です。
実際、城田さんは自力で借金を清算(男に泣き付いて、という方法ではありますが)していますし、弟の病気治療代のねん出のために自らの意志で自分の体を担保に借金をしてサイパン行を決意したりしています。

また、元慰安婦のなかには、"sex slave"と呼ばれることを許せないとする人たちもかなりいるそうです。
被害者も一様ではありません。「慰安婦」 という言い方はごまかしだ、として"sex slave"と呼べという人たちがいます。確かに実態は("sex slave"という)その通りだった、という被害者もいますが、そういう呼び方をされるのはセカンド・レイプをされているようで許せない、という被害者もかなりいるんです。でも、NGOはそれは認めないし、マスメディアではそういう声は報じられません

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために
江川 紹子氏 2013/5/25http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/

こういったことからも、城田さん自身が生前、自分は「性奴隷」である、とでも言っていたのではない限り、彼女を性奴隷と呼ぶべきではないと思います。

田嶋陽子さんの発言で気になったのは、
■5月11日たかじんのそこまで言って委員会https://www.youtube.com/watch?v=RFZQWCV3X7I
10分すぎあたりからの発言です。
(韓国では)セックススレイブにされた人は民間に分かったらリンチされるから言い出せなかった。女性の人権が言 われるようになって名乗り出ることができるようになった。

日本でも、城田さんだって発言できなかった。日本には数万人の慰安婦がいると言われているが、名乗り出て国に恥をかかせるな、と言う圧力があった。
1日15人~30人の相手をさせられ、使い物にならなくなれば裏に穴を掘って埋められた女の人たち。
日本に帰ってきたって言えない。
パラオで、敗戦になり、最後の船が来て日本に帰るという時、慰安婦の人を連れて帰ろうとしたら、慰安婦の人たちは、日本に帰ったら、何されるか分からないから、帰らないって逃げたんですよ。
と、城田さんがマリヤの賛歌で書いている
マリヤの賛歌のどこにそんなことが書いてあるのかと言いたい。
問題のパラオの箇所を「マリヤの賛歌」から引用します。
船に乗ってから1昼夜出航しないで、あとに日本人が残っていないかと、アメリカ人がコロ-ル島から本島と島民部落まで探しました。

すると、前に徳野屋という料理屋で働いていた女の子が3 人、戦争中に食べるものも食べられず島民と一緒になっていました

一人は子供が生まれていました。あとの二人は、「こんなになってしまって日本に帰るのは嫌だからここで放っておいてください」とアメリカ人と一緒に行った南洋庁の人に泣いて頼み

「でも日本からはもう全然船もこないから、帰りたくなっても帰れなくなるから船に乗りなさい」といくら説得してもこようとはしなかったこと、腰にちょっと布を巻いているだけで島民とほとんど同じ姿をしていること、

南洋庁の人もあきらめて残っていた食料、毛布などを置いて、「日本の戸籍に死んだことになってもいいのか」と念を押したところ、「放っておいてください」とのことだった、ということを南洋庁の人が船に帰って話しましたので、

私達女は、「馬鹿だな、今そんなことを考えても内地の生活が待っているのに、もう一度行って連れてきて」と頼みましたが、もうアメリカ軍の出向の準備ができていましたので、そのまま帰ることになってしまいました。
21年の3月はじめころでした。          (「マリヤの賛歌」1971年 p74)
実に胸の痛む話ではありますが、子供までできてしまって島に残ることを選択した女の子たちは、決して「日本に帰ったら何をされるかわからないから逃げた」のではありません。
田嶋さんはマリヤの賛歌を歪曲しています。

ただ、韓国で「リンチ」があったというのは事実かもしれません。
占領期、GHQで売春を調査していたマクドナルド中佐がこんなことを言っていますから。  
「ドイツでは、たとえ飢えのためとはいえ米兵に身を売った女は、男たちに殴られ、髪の毛を駆られる事件場続発しているそうです。戦争中、フランスやベルギ-で、ドイツ兵に身を任せた女が丸坊主にされたのと同じように」

「同じアジアでも、朝鮮では戦時中日本兵と関係した女は殺されたと言います。米兵と初めて腕を組んで歩いた女にも、石がぶつけられたそうです。当初だけの話だとしても、日本では、そのような事実は見当たりません」
敗者の贈物ドウス昌代氏 p187

朝鮮人は日本軍の慰安婦を「殺した」そうですよ、マクドナルド中佐によると。

また、城田さんはパラオでは「紅樹園」という慰安所の帳簿係兼女性の世話掛、爆撃でジャングルに逃げ込んでからはジャングルの慰安所の女将をしており、慰安婦として働いていませんでした。紅樹園の主人の3号さんにおさまってもいます。(⇒元慰安婦城田すず子さんの証言③

元慰安婦城田すず子さんの証言⑤ プロパガンダの虚実 「名乗り出た日本人元従軍慰安婦」から「朝鮮人慰安婦のやり手婆」まででとりあげましたが、城田さんについては、「戦後40年目にして名乗り出た日本人元従軍慰安婦」から、「朝鮮人慰安婦たちのやり手婆」まで実に幅広く、且つ矛盾に満ちたプロパガンダがばら撒かれています

参考までに、パラオでのすずこさんを「日本軍の餌食にされ、狩りこまれて連行された朝鮮人慰安婦たちのやり手婆」と最も辛辣に書いている、山田盟子の書きぶりを引用しておきましょう。
●(「紅樹園の慰安所の」慰安婦20人は)いずれも素人の、チョゴリをきた朝鮮のムスメたちであった。 女たちの太平洋戦争(1991)p177

●20名の慰安婦たちをすかしつけたり、宥めたり、気合を入れたりがすずこの役であった。~

ムスメたちのなかに売春を嫌うあまり、チャモロの青年 と恋をして島抜けをはかる者もいた。波止場で内田の用心棒に追い詰められ、ぶたれたりけられたりして、青年は撲殺され、慰安婦のそのムスメにも折檻が加えられた。

用心棒は波止場の留置場に入れられたが、内田のとりなしですぐ返り咲きをして、慰安婦たちににらみをきかせた。(パラオ島オメンカルの証言)

同胞の女たちを圧するこの用心棒は、頑健な体をした朝鮮人であった。~内田への忠誠で同胞の女を滅多打ちにしたこの用心棒は、女たちの目には日本帝国に魂まで奪われた男に映じたであろう。
女たちの太平洋戦争 p181

●艦隊がなだれこんだときの「紅樹園」は、兵は渚にある島民のアバイ集会所を巻き、しっぽは坂の中途まであった。

20人の特要隊のうぶな慰安婦たちは、内臓を擡げられるほど、つぎつぎと兵たちの猛攻に伸びきった。
すずこはみずからの経験を生かし、賺しと嚇しで管理側に回った。すず子のこの時期があったればこそ、疾しさがあればこそ、館山の丘に「噫従軍慰安婦の碑」の建碑となったのである。
女たちの太平洋戦争 p182,183

●このときすずこは、紅樹園慰安所の特要員(海軍慰安婦)である、朝鮮人慰安婦の行方を記していない。~
しかし、残りの特要員たちは、アルミズ飛行場のかたわらのジャングルで、慰安所を再開したのであった。

パラオで14歳から23歳までいた仁川生まれの女は、日本のタワシ工場へと騙されて、20人ぐらいでパラオに連行された。日本人夫婦が管理する長屋のような慰安所に入れられたが、彼女は幼かったので、泣いたり逃げたりして兵に殴られ、耳が聞こえなくなった。

兵は入口で金を払い、彼女は月に30円給金をもらい、週に一度、軍医の検診を受けたという。パラオが空襲をうけだすと、ジャングルの奥地で、カエルや蛇、野草を食べ、米軍に捕えられ、シンガポ-ルに送られた」(「朝鮮人従軍慰安婦問題資料集」朝鮮人従軍慰安婦を考える会)

右の女のように、シンガポ-ルにはマレ-やタイやジャワの朝鮮人慰安婦も収容されている例もあり、紅樹園の特要員も同じコ-スをたどったともいえる。 
占領軍慰安婦 p12,13

ヤレヤレという感じです。さすが「女版吉田清治」と言われるだけのことはあります。
「マリヤの賛歌」で、20人の女性は沖縄と朝鮮の人と書いてあるのに、全員朝鮮女性に歪曲。

その他の記述も、マリヤの賛歌にはありませんし、そうでなくともかなり疑わしいものです。

しかし、40年後にすずこさんが毎晩夢でうなされ、慰安婦の魂を慰める碑の建設を願うにいたった心情としては、「管理側」にいたパラオ慰安所時代の「疾しさ」という捉え方が一番しっくりくるのも、皮肉なことです。

なお、慰安婦プロパガンダサイト「FIGHT FOR JUSTICE」の「本・映像資料」において、山田盟子の「女たちの太平洋戦争」、「占領軍慰安婦」は掲載されていないようです

また、吉見義明氏は「従軍慰安婦(1995)」の「Ⅲ女性たちはどのように徴収されたか 日本からの場合」において、慶子(「従軍慰安婦・慶子」千田夏光)、高梨タカ(5~6人の慰安婦の姐さん格、「日の丸を腰に巻いて」玉井紀子)、芸者菊丸(「証言記録 従軍慰安婦・看護婦」広田和子)、を例に挙げているのに、なぜか城田すずこさんをとりあげていません

城田さんを「徴収」された「従軍」慰安婦とは見ていなかったということなのでしょう。「噫従軍慰安婦の碑」が建立されるきっかけとなった「戦後40年目にして(唯一)名乗り出た日本人元従軍慰安婦」のキャッチフレ-ズが泣きますね。

城田さんを利用したプロパガンダは、まるで統一性がないため、プロパガンダそのものが矛盾をきたして自己崩壊してしまっているのです。

いい加減城田さんを引き合いに出すのは止めてはどうかと思います。本来、パラオでの彼女を、管理者側の人間として、慰安所の様子を証言してもらっておくべきだったのです。その方がはるかに客観的な情報が得られていたことでしょうが、後の祭りです。

それから、「名乗り出て国に恥をかかせるな」と言う圧力(これも左派系のプロパガンダによく出てくるのですが)、なんてあったのでしょうか。むしろ、自らの意思で、過去を秘して墓場まで持っていった女性たちが殆どではないでしょうか。
ですから、圧力をかける必要などなかった、というのが実情なのではないでしょうか。
また、韓国では、朝鮮戦争時の韓国政府直営の連合国軍向け慰安所慰安婦は、全く名乗り出ていないのではありませんか。奇妙なことです。

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