パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

軍政下で「盗まれた孫」、36年ぶりに発見 アルゼンチン

あのアジェンダ政権が倒され、軍が国政を奪い めちゃめちゃなことを
行っているときに 私は 母と父と 休暇のためにボリビアからブエノスアイレスの空港に到着した。当時ボリビアに駐在の両親を尋ねて2日かけて地球の裏側に入ったのが26歳のころだった。

空港の 税関のカウンターで申告なしで通過しようとしたとき、税関官吏では
なく 周りにいる軍人が 私のカバンを開けてチェックするという。

全てのものが開かれ、新品の整髪剤や歯磨きのチューブ、靴下の片一方、
薬の袋、汚れた下着の入った袋 すべて開けよという!

女性と男性の 官吏は この軍人にしきりに 多分「失礼だよ!日本人だよ!
地球の向こうから来てくれた観光客に何するんだ!」という剣幕。
すると この軍人は その二人の官吏に 銃を突きつけて「うるさい」
のようなことを言う。 

当方も空港で打たれることはないという思い込みで、
英語と日本語で 「ふざけるな ボケナス クーデターやっていい気になるな。アルゼンチンなんか乞食の国だろう。おまえの爺様の国イタリアにとっととうせろ」を大声で吼えた。
親も二人とも うろたえている。 

そして この軍人は「 日本人なんか洗濯屋だろうが! 馬鹿野郎」
とののしった。 そして 自動小銃をこっちに向けたのである。

ここで 税関の二人の官吏が 
「観光客に迷惑だ! 上司を呼ぶぞ! この馬鹿たれが!」 
のようなことを言ったら しぶしぶ 話は終了。

こっちを向いて 二人の官吏がにっこり 「プリーズ ゴーアヘッド」
こちらも サンキュウ アンド ウィ ジャパニーズ ベリーブ ユー
ウイル ハブ ア グッド ガバメント アズ ミスター アジェンダ

そして 二人と しっかりと握手をし、ハグしてきました。

ついでに 馬鹿な兵士にも ¥50のボールペンをくれてやり
にっこりしながら 「早く死ね ぼけ~~~」で握手、彼もボールペン
もらって 笑顔でした
いまから 38年位前ですかね。ブエノスアイレスの空港の一幕でした。

*その当時 アルゼンチンでは 日本の移民が 洗濯屋をやっており、
日本人=洗濯や という見方がありました。

軍政下で「盗まれた孫」、36年ぶりに発見 アルゼンチン

AFP=時事 8月6日(水)19時34分配信

【AFP=時事】アルゼンチンで5日、83歳の女性が1976~83年の軍事独裁政権下で自分の娘の下から奪われた孫の存在を36年ぶりに確認した。この女性は「盗まれた孫」たちを捜す女性たちの人権団体「5月広場の祖母たち(Abuelas de Plaza de Mayo)」の代表エステラ・デ・カルロット(Estela de Carlotto)さん。

新法王、「汚い戦争」で軍事政権に加担? バチカンは全面否定

カルロットさんはこの日、DNA鑑定の結果、イグナシオ・ウルバン(Ignacio Hurban)さん(36)が亡くなった娘が産んだ子であることが判明したとの連絡を受けた。

「汚い戦争(Guerra Sucia)」と呼ばれる右派軍事独裁政権による左派弾圧の中、カルロットさんの娘で左派の闘士だったラウラ(Laura Carlotto)さんは、1977年に妊娠3か月の体で強制収容所へ連行された。

ラウラさんは1978年6月26日、獄中で男児を出産。生まれた男の子を「ギド(Guido)」と名付けたが、出産からわずか5時間後に男児は軍に奪われた。それから2か月後にラウラさんは処刑され、遺体がカルロットさんに引き渡された。以来、カルロットさんは孫は必ず生きていると信じ続け、行方を追っていた。

男児は軍の高官によってラウラさんから引き離された後、別の家庭に渡され、そこで育てられた。カルロットさんによれば、その家族はおそらく事実を知らず、男児を大切に育てたようだという。

■「114人目」の子ども

カルロットさんには4人の子どもがいたが、ラウラさん以外は全員存命で、14人の孫と2人の玄孫もいる。カルロットさんの実孫であることが判明したウルバンさんもいとこたちと同様にアーティストで、ミュージシャンだと、カルロットさんは聞いている。

ウルバンさんは、首都ブエノスアイレス(Buenos Aires)の南西350キロに位置するオラバリア(Olavarria)に住んでいる。1か月ほど前に、軍事政権下で行方不明になった人々の特定を行っている国家委員会に自ら不明者だと名乗り出たという。

ウルバンさんとはいとこ関係になるクラウディア・カルロット(Claudia Carlotto)さんは、既にウルバンさんと電話で話したと語った。「とても幸せそうで興奮していた。もうすぐ家族の皆で会う予定だ」

軍政下で左派活動家や政府に反対する人たちの元から取り上げられた乳幼児は約500人もいる。こうした子どもたちと家族との再会を果たす努力が「5月広場の祖母たち」や姉妹団体「5月広場の母たち(Madres de Plaza de Mayo)」を中心にアルゼンチン全土で続けられており、カルロットさんの孫のウルバンさんは114人目に発見された子どもとなった。

「盗まれた」子どもたちの多くは軍や警察幹部、あるいは実の親を殺害した張本人に育てられている。

アルゼンチンで軍政時代に殺されたり、拉致された後に殺害されたとみられる市民は約3万人に上る。【翻訳編集】 AFPBB News