パルデンの会

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バンクーバーのチャイナタウンの様変わり   旧街区と新チャイナタウンとの鮮明な差は何を意味するか?

安易な外国人労働者受け入れは 国家存亡の危機になるのを 欧米の事例で

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(バンクーバーのチャイナタウンはいま)



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)8月22日(金曜日)
     通巻第4320号
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バンクーバーのチャイナタウンの様変わり
旧街区と新チャイナタウンとの鮮明な差は何を意味するか?

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 カナダの西の玄関口、バンクーバーに異変が起きたのは1980年代からだ。
香港からどっと移民がやってきてバンクーバーは「ホンクーバー」と渾名されるようになった。
1997年の香港返還前に、ともかく逃げだそうとした人々はまず英国を目指したが、旧宗主国は23万人だけで移民受付を閉め切った。
となれば次の仕向地はおなじ大英連邦のカナダか、豪州だった。

したがってバンクーバーのチャイナタウンでは香港人が「先住民族」になる。
ここへ過去十年間で夥しい中国大陸からの移民が増え、両者の間に摩擦が起こり、混沌とした状況となった。富裕層だけならまだしもインチキ書類による、就労目的の貧困層が流れ込む。

中国人の移民ラッシュに恐怖感を抱いたのはバンクーバーに元から住んでいた人たちで、政府に移民の規制を訴えた。すでに18万5000もの中国人が永住権を得たが、産業的発展はなく、カナダ移民当局が悲鳴をあげる。

彼らはカナダ全体の経済発展よりも自分の生活さえ良くなればそれが人生目標だから投資より投機、とりわけ不動産投機にしのぎを削った。
このためバンクーバーの不動産価格は世界一のレベルとなった。市内のマンション価格は東京の二倍以上、郊外でも庶民は手が出なくなった。

ついに当局は中国移民にストップをかけた。このままだと2030年頃にバンクーバーは80万人の中国人で埋まり、トロントは110万人になるという衝撃的予測がでるにおよんでカナダ政府は政策を修正する。
2014年三月、中国からの移民申請があった四万六千人分の手続きが中断された。
しかし当局の措置は「もう遅い」って。バンクーバーの中華街は不法滞在を含めて既に40万人である。


▼ニュー・チャイナタウンは富裕層の街に

空港近くの新街区リッチモンドがニュー・チャイナタウンだ。ヤオハンの周囲を囲む。高層マンションが少なく、一軒家が多い。ヤオハンは中国系に乗っ取られ、テナントの殆どが中国人で食堂もネイルもサウナも完備。

ここで中国語新聞を手に入れた。フルカラー百ページ近い、しかも日刊。
香港の『明報』と『星島日報』だ。したがって旧漢字(繁体字)で書かれ、トップニュースはすべてが香港情報、ついで広東省情報、つぎが中国全体の動き、それも香港企業や株式市場の動向が多く、いかにバークーバーの中国人が香港のビジネスと直結しているかを物語る。

その次のページがようやく世界情勢という紙面構成だ。
こうした華字紙の特色から見ても香港と広東からの移民が圧倒的、華北出身者は極小で台湾人も殆ど目立たない。ちなみに広告欄はレストラン情報より「移民合法化」「帰化申請の早期達成」「国際結婚の法務相談」など弁護士事務所の広告が圧倒的である。

スーパーに買い物に来ている中国人は何となく明るく、服装も垢抜けている。乗り付ける車もベンツ、BMWトヨタ。。。。

旧市内にあるオールド・チャイナタウンのほうは三ブロック四方ほどの広さ、入り口に大きな中華門があり一目で華人街と判別できた。
漢方、中国食材の店がならび、安宿、クリーニング、そして中国語学校があり、裏道へ入ると麻薬取引の現場のように暗い。聞けば治安が悪く、いまではクーリーの末裔、広東省出身の老人しか住んでいない。

そして中華街の周囲はホームレス、貧困層、麻薬密売人らがごろ寝する物騒な町に変わっていた。

(この文章は『共同ウィークリー』(8月11日号)の再録です)
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