パルデンの会

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勝谷誠彦氏の 「 朝日新聞 日曜の論説委員 年収1000万以上のお気楽人生 」

勝谷誠彦氏の有料ブログより

朝日新聞を「ちゃんと」見ておこうと思う。世界遺産…いえいえ、
私こそ公平に対応をウォッチしておかなくてはと思うのだ。しかし。困ったなあ。軽井沢の家には新聞が届かないので、戻って週末の夕刊や朝刊を読むことになる。土曜日の『素粒子』。
<爪楊枝ほどの矢でも事実の土台が揺らげば害になる。
吉田調書に関する小欄の過剰な表現をおわびします。>
コラムニストが<過剰な表現>とか言ってはいけない
事実が違っていたことはお詫びしてもいいけれども、そこから先はあんたの筆でしょう。<過剰な表現>をしてしまったと思うのなら、筆を折れ。会社のカネでお気楽なことを書く稼業そのものをやめて、いやあ、立派な書き手らしいから、こちらの自由な業界においでなさい。引く手あまたでしょう、きっと。
批判しないと言いつつ、あまりなので。これにも驚いた。


<日曜に想う/事実と正直に向き合いたい/特別編集委員星浩

 http://www.asahi.com/articles/DA3S11350291.html

下記参照
<新聞記者になった時の、あのドキドキ感、
事実に基づいて良い記事を書いたときの達成感を、思い出そう。そして、事実に向き合う真摯(しんし)な姿勢を、紙面で表現していく。私たちがやるべきことは、それに尽きる。>
最後だけ、引いておく。あとは読んでいただけばわかるように「
朝日新聞」の記者としてのおっさんの回顧と自慢話である。こういうことを書けずにおわっていく記者がほとんどなんだよね。この星浩のおっさんが出たばかりの『中央公論民主党の再生について能天気な話をしているのは「本誌既報のとおり」だ(笑)。
私は『Emma』の記者として採用された時に<ドキドキ感>
などなかった。ただただ、これでメシを食えていけるのかなあという<ヒヤヒヤ感>だけだった。多くの人々はそうではないだろうか。選ばれた場所から選ばれたところに来ての<ドキドキ感>はまた違うものでしょう。いえ、私は「選ばれた場所」をずっと歩いて来ているので、と言うときっとまた叩かれるけれども(笑)敢えて言うのである。「選ばれてあるものの特権と義務」を思い出しなさい。朝日の友たちよ。

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(日曜に想う)事実と正直に向き合いたい 特別編集委員星浩

2014年9月14日05時00分 朝日新聞

 1979年4月。新幹線もなかった時代だったから、信越線上野駅から長野駅に向かった。朝日新聞長野支局(現在は総局と言う)に赴任するためだ。新聞記者としての生活が始まるかと思うと、胸がドキドキした記憶がいまも残っている。
 警察署を回って交通事故の記事などを書いた。統一地方選の開票日は、県庁で投票結果が発表されるたびにコピーを支局に運ぶという仕事を明け方まで続けた。善光寺が火事になって写真を撮りに現場に走った。翌日、ネクタイが焦げていることが分かり、肝を冷やした。先輩からいつも言われたのは「事実と正直に向き合え」だった。
 地元紙の先輩からは「新聞記者の仕事は、事実を集めて権力の内側を描くことだ」と説教された。彼は、転勤の時に長野駅まで見送りに来てくれた。「おまえは東京で頑張れ。ただし、あまり意気込むな。俺は信州で書き続ける」が、送別の言葉だった。
 政治記者になったのが85年。中曽根康弘政権の時だ。8月15日、靖国神社公式参拝する中曽根首相を早朝から待ち構えた。真夏の暑さが地面から体に伝わってきた。まともな政治記事が書けず、官邸取材チームのキャップに原稿を全面的に書き直されるという屈辱も味わった。編集委員だった石川真澄氏から聞いた話が忘れられない。

 「政治記者の仕事は、取材でできるだけ多くのファクトを集め、寝る前の風呂に入る時に、日本の明日、1週間後、1カ月後、1年後、10年後がどうなるかを考える。それを毎日、更新していくことだ」。そんな難しいことはできないと思ったので、「風呂に入らずに寝ます」と混ぜっ返したら「コラッ」と怒られた。

    *
 あれから30年近くが経つ。冷戦の終焉(しゅうえん)、55年体制の崩壊、小選挙区制の導入、政権交代東日本大震災など取材を重ねてきた。少しは石川氏の教えを実践するようになった。毎晩、その日の取材を基に、安倍晋三政権や日本外交などの行方を占っている。
 朝日新聞の多くの記者も地道に細かな事実を集めてきた。リクルート事件大阪地検の証拠改ざん、猪瀬直樹東京都知事への資金提供問題( より悪くなった都政 反日国家に迎合する都知事が誕生する 原因は 朝日新聞じゃないか)など胸を張れるスクープもたくさんある。だから、今回の慰安婦問題と「吉田調書」報道の記事取り消しは、悔しくてしようがない。慰安婦問題吉田清治氏の証言が事実かどうか、なぜもっと早く点検できなかったのか。吉田調書を、なぜ思い込みを捨てて淡々と読み込めなかったのか。池上彰氏のコラム掲載を見合わせたことも併せて、私たちは猛省しなければならない。
 慰安婦問題を含む人権問題に厳しく目を向ける。東京電力福島第一原発の事故原因とその影響、そして原発のあり方にしっかりと目を凝らす。その姿勢を保ち続けるためにも、報道の誤りをきちんと検証し、事実と向き合う態勢を整えなければならない。
 35年間の記者生活で感じるのは、朝日新聞内で時折、事実の発掘・報道とは別に、行き過ぎたキャンペーンを展開しようという動きが出てくることだ。そうした点が、今回の問題などに通じることなのかどうかも検証すべき課題だろう。
    *
 もう一つ、悔しくつらいことがある。いま、日本の政治は岐路にさしかかっている。集団的自衛権の行使容認を含めた外交安全保障の転換、財政再建消費税社会保障の見直し、東京と地方との格差、若者の貧困……。多くの課題をどう解決するか、まさに政治の役割が問われている。読者に重要な事実を伝えなければならないその時に、朝日新聞の問題に紙面を割かねばならないことが、本当に残念なのだ。
 新聞記者になった時の、あのドキドキ感、事実に基づいて良い記事を書いたときの達成感を、思い出そう。そして、事実に向き合う真摯(しんし)な姿勢を、紙面で表現していく。私たちがやるべきことは、それに尽きる。



とにかく朝日を廃刊に!!!