パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

支那共産党政治の終焉を望むが 支那そのものが現代社会とかい離??

日本人の生きてきた昭和30年代をどうも今 支那の大部分が経験しているようだ。
しかし 為政者、金持ちは 2014年を走りすぎている。
あの当時を考えると 人種など関係ないが アジアと欧米は違うかな。




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上海に青空は戻り出稼ぎは去る

環境対策で廃品価格が暴落、行き場をなくす人々

2014年10月30日(木) 山田 泰司

かつて自分が住んでいた低所得者層の住む再開発エリアで仕事をする廃品回収業の劉さん。いつも愛犬の冬冬(トントン)が一緒だ

 最近の上海は目に染みるような青空が広がる秋晴れの気持ちのいい日が続いている。上海でPM2.5による汚染が進むのは主に冬なのでまだ油断はできない。ただ、去年は春ごろから、1、2時間も外を歩くと、のどや鼻の奥が風邪を引いたようにいがらっぽくなり、日によっては息苦しさすら覚えることもあった。汚染が極端に進んだ去年の12月などは、灰色と黄色を混ぜたような空から太陽が弱々しく姿を見せていた。それに比べると、青空がのぞくことの多い今年は、汚染の度合いが幾分改善されているのかもしれない。

 そんな今年の秋は、友人たちから引っ越しの知らせを受けることが多かった。彼らに共通しているのは、いずれも上海以外の省の農村から上海に出稼ぎに来ている人たち、いわゆる「農民工」「民工」と呼ばれる人たちだったということである。

 私自身も、この春に住み始めたばかりの家を出ることになり、いつも引っ越し荷物の運送を頼んでいる廃品回収業の友人、劉さんに電話をして、次の土曜日に引っ越すのでまたよろしく、と頼むと、「その日はオレ自身が引っ越しだから無理だ」との返事。聞けば、住んでいるエリアが再開発で取り壊しが決まり、立ち退きを余儀なくされたのだという。

 劉さんが住んでいたのは低所得者層の居住地として有名なバラックの建ち並ぶエリア。貧民街といって差し支えない。住民の大半は劉さんのように上海に働きに来た地方の人々だ。窓がない、トイレがない、お湯が出ないなど住環境は決して良くはないが、その分格安の家賃が魅力。劉さんが立ち退きを迫られるまで10数年住んでいた、倒産した工場の跡地に建てられた小屋の8畳ほどのワンルームは450元(約7800円)だった。劉さんはここに、やはり上海に出てきて洋服屋で働いている長女と愛犬・冬冬(トントン)と暮らしていた。


PM2.5の濃度が310の「厳重汚染」になった2013年12月6日の上海都心部の様子(左)、 きれいに晴れ上がった青空の下、自撮りを楽しむ人たち。2014年10月、上海南外灘の上海当代芸術博物館屋上にて(右)

 さて、改めて日を決め直した私の引っ越しの日。私は、劉さんにあげようとペットボトルと古紙を貯めておいた。これまでなら、「えー、貯めておいてくれたのか。悪いな」と笑顔だった劉さんだが、今回は、さして嬉しそうでもない。数が少な過ぎるからかと尋ねると、「いや、今年の春先から、廃品の値段が暴落して、商売にならないんだよ」と暗い顔で言う。聞けば、今年2月頭の春節旧正月)まで1キロあたり1.2元(21円)だった古紙の買い取り価格が、春先ぐらいに0.4元(7円)と3分の1にまで急落。ペットボトルも同様で、その状況が今日まで続いているのだという。コンビニの店員の月給が2500元(約4万4000円)程度であるのに対し、劉さんは、多い月には5000元(約8万7000円)ぐらいは稼ぐと言っていたが、それだけ廃品の値段が下がってしまっては、収入も相当落ちたことだろう。「うん、今までのようにペットボトルや古紙の回収ではとても食っていけない。だから最近は再開発で取り壊しが決まった団地に行って、家電や廃材の回収をやることにしたんだ」と言う。

 劉さんのような廃品回収業の人たちは、各々が縄張りにしている団地を持っている。劉さんは私がかつて住んでいた団地が縄張りで、愛車の電動リヤカーで毎朝出勤してきては団地の入り口に陣取り、団地住民らが持ち込んでくるペットボトルや古紙、古い家電や家具などを買い取って生活していた。ところがペットボトルと古紙の価格暴落で、団地での商売が成り立たなくなり、大量の家電や家具の出物が確実に見込める、取り壊しの決まった再開発エリアに河岸を変えた。

廃品の値段が急落した理由は大気汚染

 それにしても、なぜペットボトルと古紙の値段がそこまで急落したのだろう。劉さんに尋ねると、「PM2.5だよ。大気汚染」との答え。はて、環境汚染を改善するために、リサイクルはむしろ進むはずでは? とさらに尋ねると、劉さんは、「こいつ、何も分かっちゃいねえなあ」というような顔で私の顔を見、しかしそれでも説明してくれた。

 それはこういうことだ。今年の春先、当局が汚染をまき散らす工場を取り締まった。政府の要求を満たせない小規模、零細の工場が大量に閉鎖に追い込まれた。これら零細、小規模の工場の中には、原材料としてペットボトルや古紙を使っているところが多かった。これら工場の閉鎖で需要が激減したため、古紙やペットボトルの買い取り価格も暴落した、というわけである。

 上海に隣接する江蘇省で工場を経営している人からも同じような話を聞いた。江蘇省や、やはり上海近郊の浙江省では、今春以降、環境汚染の基準に合わない労働集約型の中小零細企業の製造業を半ば強制的に廃業させている。直接、廃業を命令するのでなくても、こうした企業に対し、環境保全のインフラが整い、住宅エリアから外れた工業団地に移転するよう求める。ただ、多くの中小零細企業にとって、政府の指定する工業団地は家賃が高過ぎてとても経営が成り立たない。すると移転要求を拒絶した企業に対し、当局が強制的に閉鎖を通告するのだという。

格安住宅はもはや上海にはない

 こうして古紙やペットボトルの回収から、再開発エリアでの家電回収に重点をシフトした劉さん、稼ぎは以前よりも良くなった。集めた家電は専門業者に売るのだが、最も高く売れるのはエアコンで、室外機付きで300~400元(約5200~7000円)程度。その他、冷蔵庫100元(約1700円)、ブラウン管テレビ80元(1300円)といった具合で、最近は平均すると1日400元ぐらいの収入があると言う。劉さんたちのような廃品回収業者は土日もなく働き、休むのは帰省する春節のみ。劉さんの話を額面通りに受け取れば、単純計算で月収は1万元(約17万円)を超えることになる。

劉さんが回収した家電を売っている業者。夏が過ぎてエアコンの値段は下がり気味

 ただ、いいことばかりだけではない。上海では2010年に開催された上海万博に向け、都心部の再開発が本格化した。ただ、再開発のペースはここに来て一服した感がある。つまり、取り壊すべき旧エリアが、都心部にはもうそれほど残っていないのだ。劉さんに聞いても、「オレの行動範囲で言うと、規模の大きいところではあと1つ、2つというところだろうね」と言う。つまり、家電や家具の大量の出物が見込める物件は、あと数年もすれば、上海の都心部からは無くなってしまうことが見込まれ、劉さんたちは再び、開店休業の状態に追い込まれてしまうことが予想される。

 さらに深刻なのは、劉さんたちが住んできたような超格安の住宅が、再開発によって都心部からどんどん姿を消していること。10数年暮らした450元の家を立ち退かされた劉さんは、仕事の利便性から都心部に家を借りた。部屋数は同じ1部屋だが、広さは8畳から4畳半へと狭くなり、家賃は1700元(約3万円)へと約4倍に上がった。日に400元も収入があるなら、1700元の家賃もそれほどの負担ではないでしょう、と聞くと、「とんでもない、とても暮らしていけないよ。今年みたいにモノの値段が急に暴落することだってあるんだから」と言う。1日400元という収入も、「多い日には」なのだろうし、いきなり家賃が4倍になるのはいくら収入があってもなかなか大変なことである。

劉さんが今年10月半ばまで住んでいた家賃450元の部屋

 最近、劉さんは連日、今まで自分が暮らしていた取り壊しの決まった貧民街に通い、家電や古家具を拾って歩いている。残酷な言い方だが、その姿はまるで、自らの肉や仲間を共食いして生き延びているようにも見える。劉さんに忸怩たる思いがないわけがない。勤めていた洋服屋が経営不振で店じまいしたのを機に、劉さんの長女は先月、河南省の実家に帰った。

 上海の再開発が一段落した後、仕事はどうしますか? と劉さんに尋ねた。「もし、このままペットボトルや古紙など廃品の値段が来年も下がったままなら、目の前に再開発の物件がまだ残っていたとしても、商売を替えようと思っている。上海に来て10数年、ずっと廃品回収業をやってきたから、今さら仕事を変えるのは怖いけど」と劉さん。実際、劉さんの仲間内でも、今春の価格暴落以降、商売替えが話題に上ることが多くなったそうだ。


 この秋、引っ越ししたほかの2人の友人も、理由はやはり今の住居の取り壊しが決まったためだ。うち、工場で臨時工として働いているシングルマザーが、2歳の娘と娘の面倒を見るために安徽省の田舎から出てきている母と3人で住んでいたのは、倒産した繊維工場の一角を、工場の関係者が住居にして又貸ししているもの。光熱費込みで500元(約8800円)と格安だったが、再開発が決まり取り壊されることになった。運良く、500元という同じ条件で新しい住居を見つけたが、そこも来春、取り壊しが決まっている。娘の父親から振り込まれる養育費の1200元(約2万1000円)を含めても3500元(約6万1000円)程度しかない世帯収入で家族を養っていかなければならない彼女は、来春以降、どこに住めばいいのかと不安を抱えている。

格差はあったが嫉みはなかった

 1990年代以降、上海人のやりたがらない肉体労働などの重労働を担ってきた、地方から出稼ぎに来た低所得の人々の生存する空間が今、上海からどんどん消え始めている。

 こうした出稼ぎの人たちと、上海人の間には、10数年前から既に大きな格差が存在していた。私は2005年ごろから、意識して彼らの話を聞き、生活を見ていたのだが、その私が抱いた印象は、出稼ぎの人たちというのは、上海人、すなわち都会生まれの人たちの生活を羨むことなく、ただ黙々と、目の前にある自分にできる仕事をやり、淡々と日々を暮らしている人たちだというものだった。彼らの口から、農村に生まれた自分たちの境遇を嘆く声や、都会人に対する嫉み、自分たちの生活に対する愚痴というものを、私は聞いたことがなかった。


 こうした彼らの姿勢に変化を感じ始めたのは、今年の春ぐらいからだろうか。出稼ぎの人たちと一口に言ってももちろん個人差はあるのだが、「儲かるのは経営者ばかりだ」「世の中はどうしてこんなに不公平なのか」等々、明らかに愚痴や嫉みの類いの発言が増えた。

 大学院で環境工学を学び、修士課程に在学中に国の南極観測隊に誘われるほどのエリートになった長男が自慢の、ある出稼ぎの夫婦がいる。この長男は来夏、修士課程を終える予定なのだが、今年の春節の時点では、本人も両親も当然、博士に進むつもりでいると話していた。ところが先月会うと彼女は、「博士なんてとんでもない。はやく働かせなきゃ」と、言うことが変わっていた。彼女は家政婦、夫は再開発エリアで肉体労働をしているのだが、今年の春以降、彼女は家政婦を掛け持ちする家の数が減ったのだと言う。夫にしても、働き口となる再開発するべきエリアは、前述の通り確実に減りつつある。


 彼らが愚痴や嫉みを口にしなかったのは、自分が納得できるだけの仕事と、働いただけの見返りがあったためだったということが分かる。出稼ぎに来た人たちの生活に対する不安が今、確実に膨らんでいる。

メンツを潰さざるを得ない事情

 自分の引っ越しの翌日、私は廃品回収業の劉さんに、彼が先日まで住んでいて、最近は職場にしている再開発エリアを案内してもらった。彼の電動リヤカーの荷台に乗り一帯をグルグル徘徊したのだが、その途中、運転していた劉さんが背中越しに、「昨日の引っ越し代だけどね」と話し出した。「おれたちは友達だから構わないよ。でもね、昨日帰って仲間たちに話すと、『そんなに安いなんてあり得ない』と皆言うんだよ」

 今回、私は彼に、今春の引っ越しの際、彼の言い値で決めた額と同じ額を払った。「友達だからいくらでもいいよ」という彼を説得して、ようやく言わせた言い値である。今回の引っ越しは、前回と比較して移動距離は多少延びたものの、荷物の数は減ったので、差し引きゼロでいいだろうと思って決めたものだ。それに、ペットボトルや古紙の値段が暴落しているというのだから、横ばいなら彼にとっても御の字だろうと判断したのである。引っ越しを手伝いに来てくれた他の友人たちと一緒に、昼と夜の食事もご馳走している。ところが、彼は暗に「少ない」と言うのである。

 中国ビジネスのことについて書いた本には、必ずと言っていいほど、「中国人はメンツをとても大切にする」「中国での商売には、友達など人間関係が重要」ということが書いてある。これはあながちウソではない。もちろん額にもよるけれども、友達は持ちつ持たれつであり、関係にお金は発生しないというのが彼らの考え方。劉さんが今回、「オレたちは友達だ」と言いながら、メンツが潰れるのを承知で「安い」と不満を漏らした。上海の秋に、青空が戻ったのと引き換えに、劉さんたちは今、相当追い込まれている。

劉さんが立ち退きを迫られた再開発エリアに積まれていた売り物の魚。ハエがビッシリとたかっていた


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中国生活「モノ」がたり~速写中国制造

「世界の工場」と言われてきた製造大国・中国。しかし近年は、人件費を始めとする様々なコストの高騰などを背景に、「チャイナ・プラス・ワン」を求めて中国以外の国・地域に製造拠点を移す企業の動きも目立ち始めているほか、成長優先の弊害として環境問題も表面化してきた。20年にわたって経験を蓄積し技術力を向上させた中国が今後も引き続き、製造業にとって不可欠の拠点であることは間違いないが、一方で、この国が世界の「つくる」の主役から、「つかう」の主役にもなりつつあるのも事実だ。こうした中、1988年の留学から足かけ25年あまり上海、北京、香港で生活し、ここ数年は、アップル社のスマートフォンiPhone」を受託製造することで知られるEMS(電子機器受託製造サービス)業界を取材する筆者が、中国の街角や、中国人の普段の生活から、彼らが日常で使用している電化製品や機械製品、衣類などをピックアップ。製造業が手がけたこれら「モノ」を切り口に、中国人の思想、思考、環境の相違が生み出す嗜好を描く。さらに、これらモノ作りの最前線で働く労働者達の横顔も紹介していきたい。本連載のサブタイトルに入れた「速写」とは、中国語でスケッチのこと。「読み解く」「分析する」と大上段に構えることなく、ミクロの視点で活写していきたい。