パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

ダライ・ラマ14世の考えが凝縮された演説集 『ダライ・ラマ 平和のために今できること』

ダライ・ラマ法王の来日時には マスコミ各社からいろんな情報が出てくる。
中国に堂々と正論をぶつけて、中国が犯している内政の間違いを日本人に理解させてほしい。
そして これ以上対中国で日本人が不利益を与えられないよう、情報を拡散してほしい。



英文へ→Dalai Lama agrees that the current concentration of bases in Okinawa reflects discrimination

 沖縄県を訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は12日午前、同県八重瀬町のホテルで記者会見し、
多くの米軍基地を抱える沖縄の現状について、「(自国に)外国の軍事基地があることは正しいことではないが、
不幸にも世界にはそういう状況が存在している」と批判した。
 米兵による事件が相次いでいることに関しては、「犯した罪は法律で罰せられるべきだ」と述べた。 

時事通信 11月12日(月)11時15分配信 沖縄の米軍基地「正しくない」=ダライ・ラマ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121112-00000042-jij-soci
沖縄への差別とは言ってはいない
http://military38.com/archives/20060748.html


ダイヤモンド社 書籍オンラインより転載

「独立を求めるつもりは毛頭ない」
ダライ・ラマ14世の考えが凝縮された演説集
ダライ・ラマ 平和のために今できること』

今年7月で80歳を迎えるダライ・ラマ14世。今回ご紹介するのは、彼の考えが凝縮された演説集『ダライ・ラマ 平和のために今できること』です。世界平和のために私たち一人ひとりができることとは何か、考えるヒントが満載です。

2008年のチベット騒乱直後の
スピーチなどを収録

北京五輪の開会式が5ヵ月後に迫った2008年3月10日。中華人民共和国チベット自治区ラサ市で暴動が発生しました。チベット独立を求めるデモをきっかけに、暴徒化したチベット族が漢族を襲撃し、商店を略奪・放火したとされる事件でしたが、暴動の詳細については未だに明らかになっていません。

 とまれ、中国政府の温家宝首相(当時)は「暴動はダライ・ラマ14世の組織的な煽動によるものだ」と非難。これに対してダライ・ラマ14世は中国政府の見解を否定し、この暴動におけるチベットの処置について、「文化の大虐殺(カルチャー・ジェノサイド)に等しい」などと中国共産党を厳しく批判しました。

 もっとも、ダライ・ラマ14世は、チベットの独立を求めているわけではありません。01年10月、フランスのストラスブールで開催された欧州議会で登壇したダライ・ラマ14世は、「チベット中華人民共和国の枠組みの中で真の自治を享受することを想定している」と演説しました。また、07年10月に行われた米国議会黄金勲章授賞式のスピーチにおいても、「チベット自治区中華人民共和国の一部であり、あくまでも高度な自治を求めているのであってチベット独立の考えはない」ことを表明しました。

  本書『ダライ・ラマ 平和のために今できること』には、ラサ暴動18日後の3月28日、ダライ・ラマ14世が世界中の中国人に向けて発表した声明(「中国人のみなさまへ」)が収められていますが、その声明でも同様の趣旨を繰り返しています。

「独立を求めるつもりは毛頭ない」
ダライ・ラマ14世が目指す「中道」とは

 中国人の兄弟姉妹であるみなさま、私にはチベットの独立を求めるつもりは毛頭ありません。また、チベット人と中国人の間にくさびを打ち込もうとも思っていません。それどころか、私はこれまでずっと、チベット問題に対する真の解決策、すなわち、中国人とチベット人の双方が確実に長期的な利益を得られる道を見出そうと努力してきました。何度も繰り返し申し上げているように、私がもっとも重視しているのは、チベット人独自の文化、言語、アイデンティティーを確実に存続させることです。仏教の教義にもとづいて日々精進している一介の僧侶として、私は、私の動機が偽りではないことを断言します。(18ページ)

 一九七四年、チベット亡命政府のカシャック(内閣)および当時の亡命チベット代表者議会の正副議長と慎重に協議した結果、私たちは「中道(ちゅうどう)」を見出すべきだと判断しました。「中道」とは、中国からの独立を求めるのではなく、チベットの平和的発展を推進する道です。

(中略)

 私たちはまた、チベット中華人民共和国という枠組みにとどまるならば、少なくとも近代化と経済発展に関しては、大いにチベットに利することになるだろうと考えていました。チベットは古くからの豊かな文化遺産に恵まれていますが、物質的にはまだまだ遅れていたからです。

(中略)

 一九七九年、当時の国家主席鄧小平(とうしょうへい)氏は、「チベットの独立を除けば、他のすべての問題は交渉可能である」と私の特使に断言しました。私たちはこれをあらたな好機の到来ととらえました。このときすでに、中華人民共和国という政治体制の枠組み内でチベット問題を解決する道を模索する、という方針を表明していたからです。

 私の代表団は中華人民共和国の指導者たちと何度も会見を行いました。二〇〇二年にふたたび交渉が始まって以来、私たちは六度にわたる交渉を重ねています。しかしながら、根本的な問題に関しては、具体的な進展はまったくありません。これまでにも何度も述べてきましたが、私はこれからも「中道のアプローチ」を断固として貫き、対話を通じて問題を解決していくつもりです。ここであらためて、私の決意をお伝えしたいと思います。(22~24ページ)

 ラサ騒乱から1ヵ月超が過ぎた4月25日、中国政府は米国など複数の国からのアドバイスを受け入れ、ダライ・ラマ14世に直接対話の再開を呼びかけました。
   ダライ・ラマ14世は、チベットと中国の双方の利益につながる「中道のアプローチ」を断固として貫くこと、チベットが求めているのは「高度な自治」「中華人民共和国憲法で保障されている完全な自治」であることなどを主張しましたが、チベット亡命政府内の急進独立派であるチベット青年会議が組織したデモの参加者はチベットの自由解放、独立を求めていたため、チベット亡命政府と中国政府との対話は当初から困難なものとなりました。両者の直接対話は北京五輪をはさんで三次にわたって続けられたものの、交渉はまったく進展せず、物別れに終わったのです。


チベットの文化は
「分離独立の源」とみなされている

チベット人と中国人は、古代から隣人同士の間柄として暮らしてきました。両者の2000年にわたる歴史を振り返ってみると、剣を交えた時代もあれば、国王が姻戚関係になるほど友好的な絆を深めた時代もありました。

 しかし、1949年に中華人民共和国が建国されるや、人民解放軍チベットに侵攻し、紛争の種が芽生えました。翌50年にはチベット全域を中華人民共和国に併合し、51年5月には中国とチベットのあいだで「チベットの平和的解放のための17ヵ条協定」が結ばれました。54年から55年にかけて北京に滞在したダライ・ラマ14世は、全国人民代表大会に出席し、毛沢東国家主席をはじめとする多くの指導者と出会い、彼らの献身的な姿勢に励まされ、楽観的な気持ちでチベットに帰国しました。

 ところが、56年ごろになるとチベットにおいて緊張が高まり始め、59年3月10日には中国の支配に反対する民衆がラサで蜂起しました。中国軍による侵攻が激しくなるなかでダライ・ラマ14世は国外へ脱出し、隣国のインド北部にチベット亡命政府を樹立したのです。
 以降、中国政府とチベットは幾度となく衝突を繰り返し、両者の交渉はまったくといっていいほど進展していません。前述した欧州議会の演説で、ダライ・ラマ14世は次のように訴えました。

 祖国を離れて四〇年以上になりますが、その間ずっとチベット中華人民共和国の完全な支配下にあります。大規模な破壊やチベットの人びとが被った苦悩は今日よく知られています。このような悲しく痛ましい出来事については、これ以上お話ししたくもないほどです。亡くなったパンチェン・ラマ一〇世の七万字に及ぶ中国政府への陳情書は、チベットにおける中国の厳格な政策と行動を鮮明に綴った歴史的証言です。

チベットは今も占領された国であり、力によって抑圧された苦悩の痕跡があちこちに見られます。ある程度は経済的にも発展したにせよ、チベットは今も、民族として生き残れるかどうかという根源的な問題に直面しています。チベット各地で見られる深刻な人権侵害は、往々にして人種や文化に対する差別政策によるものです。

 そして、その背後には、さらに根深い問題が存在しています。中国当局は、チベット独自の文化や宗教を分離独立の脅威の源とみなしています。それゆえ、中国政府による意図的な政策の結果として、独自の文化とアイデンティティーを持つチベット人全員が、絶滅の危機に瀕しているのです。(41~42ページ)



ノーベル平和賞を受賞した
紛争解決への態度

 人間同士の衝突のほとんどは、率直さと和解の精神にもとづく真の「対話」によって解決できる――。ダライ・ラマ14世はそう確信しています。だからこそ、「チベットが真の自治を獲得する」という闘いを「非暴力」という道に導き、中国との和解と妥協により、交渉を通じて双方が合意できる解決策を追求してきました。一貫して非暴力と対話を重視してきたのです。その非暴力と対話を通じた世界平和への貢献活動が高く評価され、ノーベル平和賞の受賞(89年)に至ったことはご承知のとおりです。

 世界は今や一つの共同体です。そのことを考えると、戦争などのあらゆる形の暴力は、紛争解決の手段としてはまったくふさわしくありません。大昔から、人間の歴史には暴力と戦争がつきもので、そこには勝者と敗者がいました。しかし今、もし世界規模の衝突が起こったとしたら、勝者は一人もいないはずです。だからこそ、私たちは核兵器や軍隊を永久に保有しない世界を築く勇気やビジョンを持つべきです。アメリカでの恐ろしい攻撃を考えればなおのこと、国際社会は誠実に努力し、あの衝撃的な経験を生かして世界に対する責任感を育み、対話と非暴力によって互いの違いを解消しなくてはなりません。

 対話は、個人、あるいは国家間の意見の相違や利害の対立を解決する唯一の良識ある方法です。人類の未来のために、対話と非暴力の文化を培うことは、国際社会が担うべき有意義な役割です。政府はただ非暴力主義を推奨するだけではなく、実践するために、適切な行動を取る必要があります。もし非暴力を広めるつもりなら、そのための運動を効果的に行い、しかも成功させなければなりません。二〇世紀は戦争と流血の世紀だと言われています。私たちは、新しい世紀を対話と非暴力の世紀にしなくてはなりません。(39~40ページ)

 今日の世界が直面しているもっとも深刻な問題の一つ――それは「憎悪」であるとも指摘しています。私たちの心が憎悪でいっぱいなら、知性の最高の部分である智慧や善悪を判断する能力を失ってしまうからです。

 現在、中東や東南アジアで起こっている衝突や南北問題においては、憎悪の及ぼしている影響を無視することはできません。こういった衝突は、お互いが同じ人間であることを理解しないために起こっています。紛争を終結に導くための解決策は、軍事力の増強や行使にあるのではなく、軍拡競争でもありません。また、純粋に政治的に、あるいは技術的に解決できるわけでもありません。求められているのは、お互いの状況を思いやり、理解することであり、その意味では、きわめて精神的なものです。

 憎しみや闘争心はだれに対しても、戦いの勝者に対してすら、幸せをもたらすことはできません。暴力は常に苦悩を生み出し、必ずや不幸な結果を招きます。したがって、世界の指導者たちが、人種や文化、イデオロギーの違いを乗り越え、お互いを同じ人間として見るときが来ているのです。そうすることが、個人や社会、国家、さらには世界のために有益でしょう。(87~88ページ)


 本書は「中国人のみなさまへ」「欧州議会における演説」以外にも、「世界平和のために人としてできること」「仏教と民主主義」など、チベット仏教の最高指導者にしてチベット亡命政府国家元首を務めたダライ・ラマ14世の講演や演説、声明、アピールなど計8本を収録しています。今年7月に80歳を迎えるダライ・ラマ14世の後継者選びが現実味を帯びてきている昨今、チベットと中国の対立の歴史を振り返り、また、イスラム国など世界平和に脅威をもたらしている国家とどのように向き合うか、宗教や民主主義、戦争、暴力、政治や社会のあり方等々を再考するのに欠かせない貴重な資料と言っていいでしょう。