1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世(79)が今月来日し、朝日新聞との単独会見に応じた。「非暴力」を訴えるチベット仏教の最高指導者の目に、過激派組織「イスラム国」(IS)のテロなどで混沌(こんとん)とする現在はどう映っているのか。
ノーベル賞を受けた年にベルリンの壁は崩れた。冷戦後の世界について、ダライ・ラマは「第3次世界大戦の恐れは基本的に薄れ、はるかに安全になった」との認識を示す。だが、すぐに続けて宗教がらみの地域紛争やテロが広がる現状に言及。「とても、とても悲しい」と二度繰り返した。
憂うのは中東情勢ばかりではない。例えばミャンマーやスリランカでは近年、仏教徒による少数派イスラム教徒への襲撃事件が起きている。暴力とは縁遠い仏教のイメージを揺るがす出来事だ。この問題では、同じくノーベル平和賞を受賞したミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチーさんとも話し合ったという。
「私たちチベット人も『仏教こそが唯一の真理』と言うことがある。しかし地球上には数多くの宗教伝統があり、何千年も人類に寄与してきた。私たちは『いくつもの真理』を認めなければならない」。一神教の論理まで用いて説く。「敵もまた神が創造したもので、同じ神の子ではないか。敵への怒りは神への怒りと同じだ」
とはいえ、ISの蛮行の前では、そうした言葉はきれいごとではないか。武力で封じ込める以外に手立てはあるのか――。
こうした問いには「暴力的な手段は人の肉体を押さえつけるだけで、精神をコントロールすることはできない」と信念を語る。
「容易ではないのは承知している。しかしテロリストたちを人間として、信仰を持つ者として受け入れ、対話の道を探るしかない。そのための長期的な戦略と説得工作が必要だ」。武装組織の中に、考えを変える者がいずれ現れることに希望をつなごうというのだ。
そう語る理由の一つには2001年の米同時多発テロがある。ダライ・ラマは事件の翌日、当時のブッシュ米大統領に書簡を送り、「暴力は暴力の輪を広げるだけだ」と武力行使に慎重であるよう求めた。しかし結局はアフガニスタン戦争、イラク戦争と続き、ISが生まれてしまった。
長期的に重要と指摘するのは教育だ。「教育は、自分を取り巻く世界の全体像についての『知』を与えてくれる。それによって現実的な行動を取れるようになる」。人々が過激な考えに走る背景には、国家間や一つの国の中での経済格差もある。「自分は不幸だと感じている者はたやすく思想的に感化されてしまう」
テロや地域紛争には、宗教だけでなく政治や経済などの問題が絡み合う。それに対処するため、世界の英知を結集した組織づくりを提唱する。「国々が集まる国連では対応できない。科学者や作家、各国政府と利害関係のない指導者……。純粋に人類の幸いを追求する組織が必要だ」(磯村健太郎、小暮哲夫)
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1949年の中華人民共和国の建国後、中国軍がチベットに進駐。ダライ・ラマは59年にインド北部に逃れ、亡命政府を樹立した。政教一致体制は徐々に民主制へ移行。ダライ・ラマは2011年、民主的に選ばれた指導者に政治的権限を移譲した。ただし、中国政府からは「分裂主義者」と非難される。