9月3日、北京で「抗日戦争勝利70年」の式典が行われた。中国で9月3日は「抗日戦勝記念日」である。戦後70年の今年は国家的行事の日に格上げされて3連休となり、大規模な式典が開催された。
 中国では式典に先駆け、マスコミが数々の特集を組んだ。新聞は数ページを割いて特集記事を作り、テレビは中国の軍事力を解説する特番や90歳代の老兵を取材した番組などを絶え間なく放送した。

 中国政府は、中国全土を再び「抗日一色」に染めようとしていた。2012年9月の反日デモを体験した日本人は、当時のつらい記憶を思い出さずにはいられない。中国人たちに囲まれて言いがかりをつけられる日本人もいれば、熱いラーメンをぶっかけられた日本人もいた。日本語を話すことさえ憚られ、中国にいる日本人たちは隠れるようにして嵐が過ぎ去るのを待ったものだ。

 現地の日本人はあの悪夢が再び現実のものになることを怖れた。9月3日の「戦勝記念日」を前に、多くの日本人が上海から退避した。日本料理店の従業員は「日本のお客さんはみんな帰国してしまった」と話す。上海在住20年のベテラン駐在員も、「この日は何が起きるか分からない。家からは出ない」と“戒厳令”を決め込んだ。

反日特番に反応しないマッサージ店員

 筆者は戦勝記念日直前の街を歩き回った。すると、街にはある変化が起こっていた。
 9月2日、上海の徐匯区の足ツボマッサージ店に行ってみた。近隣住人のために手軽な料金でツボ押しを提供するサービス施設だ。
 建物は老朽化し、お世辞にも衛生的とは言えないが、なぜか壁に掛けられた液晶テレビだけは大きく立派だ。その画面に映し出されていたのは、CCTV中国中央テレビ)の「日本の戦犯の懺悔備忘録」(原題「日本战犯忏悔备忘录」)という番組だった。
 東条英機にはじまり岸信介小泉純一郎安倍晋三など「抗日」のターゲットとなる日本の歴代首相が次々に映し出される。その番組は「2013年に企画され、制作に100日をかけた」力作だと宣伝されていた。
 その時、客を含めて20人近くの中国人がこのフロアにいた。しかし、不思議なことに誰一人としてこの“力作”を話題にする者はいない。安徽省四川省出身の従業員たちは、マッサージの手を動かしながらあくびを連発し、晩飯の話や他人の噂話を繰り返していた。
 番組が終盤に差しかかったとき、1人の従業員がおもむろに「日本は中国の女性や子どもを殺したんだ。中国人は日本人に痛めつけられた!」と声を上げた。筆者は内心「来た、来た!」と身構えた。しかし、呼応する者は誰もいなかった。
 日本人の客である筆者に遠慮したせいだろうか。いや、違う。そのあと、従業員は筆者に向かってこう言った。「あんたの国もやられたでしょう」。彼女たちは筆者を韓国人と思い込んでいたのだ。

国歌の歌詞があやふや

 9月3日、筆者のスマートフォンには、朝から軍事パレードのニュースが続々と送られてきた。
 多くの国民が生中継の軍事パレードを見るために午前10時から家にこもった。上海では道路から車両が消え、店舗は臨時休業となった。筆者の乗ったタクシーの運転手も「あんたが最後の客だよ」と言ってそそくさと家路についた。
 筆者は、法曹や教育、実業などの分野で活躍する中国の友人たち(いずれも女性)と一緒に、テレビで軍事パレードを鑑賞することになった。
 10時になった。李国強首相の「開始!」という発声と70発の礼砲とともに、軍事パレードが始まった。民兵が行進する10年に1回の従来の建国パレードとは異なり、今回は陸海空の1万2000人の兵士が隊列を組んで行進を行った。
 人を殺傷する武器を見せつけながら平和を唱える習近平国家主席。パレードの武器と隊列は間違いなく日米を牽制するものでありながら、「日本、日本人に向けたものではない」とする中国政府。筆者は違和感を覚えながら、テレビ画面に見入った。
 軍事パレードのプログラムが国歌斉唱に移った。正式名は「義勇軍進行曲」、日中戦争中に歌われた抗日歌曲である。
「さあ、立って」と家の主人に促され、テレビの前で皆が起立した。筆者は、軍事パレード鑑賞会はテレビ画面の前に正座するぐらいの謹厳な雰囲気になるのではないかと想像していた。やはりその通りになりそうな気配だった。
 ところが、皆の歌が怪しい。誰も完璧に歌えないのだ。「正確に覚えてない」「私も・・・」。テレビに映った多くの国民の口元にも「自信のなさ」が垣間見えた。軍事パレード鑑賞会は照れ隠しの笑いに包まれた。
 中国人にとって、軍事パレードは“見どころ満載”である。テレビの解説によれば兵器は国産が84%を占め、最新鋭の兵器が次々に初公開される。天安門の前の96メートルの距離を128歩、66秒で行進する兵士たちの一糸乱れぬ隊列も、注目すべきポイントの1つだそうだ。
 だが、軍事パレードを鑑賞する友人たちの話題の中心は、いつの間にか「最近の流行」に移っていた。やがて、巷で流行っている「豆芽花(もやしの花)」というヘアピンを頭に刺し、撮影大会になってしまった。

「抗日」にはもう飽きている?

 軍事パレードの大きな目的の1つは、中国の民族主義を高揚するためである。国民の帰属意識を高め、愛国教育の絶好の機会に利用するためのものであることは間違いない。
 だが、上海市民は一定の距離を置いていた。2012年の反日デモは政府が焚きつけて、市内や国中に燃え広がったが、今回の軍事パレードでは当時のような国民の一体感は見られなかった。
 この時期に売られていても不思議ではない国旗をモチーフにした商品や、「反ファシスト闘争70周年記念グッズ」なども、上海ではほとんど目にすることはなかった。百貨店での「抗日記念セール」といった販促活動も皆無だった。
 反日デモは経済損失につながる。軍事パレードは予算を食いつぶすだけで経済効果はもたらさない。「抗日」「反日」を唱えても自分たちの生活は向上しない――。上海市民はそれを見抜いているかのように冷静だった。
 今回、上海市民の「成熟」も強く感じた。筆者はタクシーや飲食店などで「私は日本人だ」とあえてアピールしてみた。しかし、そこで拒否反応を示されたり、攻撃的な態度をとられることはなかった。
 タクシーの運転手は「我々は同じ民衆だ。戦争中の苦労も同じだ」と、日本人である私にかえって同情の目を向けてくれた。飲食店で隣に居合わせた上海人の夫婦は、「歴史を忘れないでくれたらそれでいい。私たちもいつか日本に行ってみたい」と日本への関心を語ってくれた。

笛吹けど踊らない中国人

 中国人がそうした「大人」の対応を見せるようになった要因の1つは、何と言っても訪日旅行客の増加だろう。

 上海では、日本人が想像する以上に訪日旅行が大ブームとなっている。訪日旅行者数は、反日デモのあった2012年は147万人。それが2014年は283万人と拡大の一途をたどっている。市民の間で「抗日」や「反日」がほとんど話題に上ることがないのは、多くの人が実際に日本を訪れてみて、従来の政府やメディアの喧伝とかけ離れていることに気づいたせいかもしれない。

 道端で不動産販売の客引きを行う若い女性従業員がいた。筆者が日本人だと知ると「私は日本に旅行したくて、ここで働いてお金を貯めているの。あなたと『wechat』(『LINE』に相当するメッセージアプリ)をしたい」と営業そっちのけで誘ってきた。中国メディアが煽る抗日は、若い世代にほとんど作用していない。

 確かに「抗日戦勝記念日」を迎えて、上海市民は「過去の歴史は忘れまい」と胸に刻むことだろう。だがその一方で、「永遠に日本に敵愾心を抱き続けることは不可能」だということも理解している。
 上海において、今回の軍事パレードは、残念ながら愛国教育の絶好の機会とはならなかったようだ。メディアが連発する「抗日」という言葉も新鮮味を失いつつある。
 笛吹けど踊らず――。中国は今、そんな局面に差しかかっている。