パルデンの会

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新・名言「『韓国するな』は各国から強い支持」タイ発・嫌韓動画300万回再生突破の大人気


とりあえず 日本人に 日本人と
朝鮮人支那人は違うことを知ってほしい、そして 帰化人にも注意することを知ってほしい。


新・名言「『韓国するな』は各国から強い支持」タイ発・嫌韓動画300万回再生突破の大人気


配信日時:2014年10月9日 14時00分 [ ID:1086]

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 2014年10月9日、タイのネットユーザーによる嫌韓の投稿動画に注目が集まり、ついに再生回数は300万回(各国版を含め)を超え、タイ発の動画としては、この秋一番の大ヒットになっている。

 ことわざ的、新語『韓国するな』は、新しい明言といえそうだ。日本のポータルサイトのコメント欄でも、多くの評価を集めた。

 アジア大会は、韓国への不信感を増すような判定が多かった。この韓国での判定についての疑問をテーマにしたタイ制作のYouTube動画は、欧米などのネットユーザーの注目も集め、韓国を批判するコメントが数多く書き込まれている。

 「『韓国するな』という言葉は、不正するな、という意味だ。米国では『韓国するな』という『新語』はとても人気だ」
「韓国に正義の報復を」
「アジアの詐欺師。恥を知れ、金泥棒、韓国」
「消えうせろ、韓国」
「韓国は品格が低く、横柄すぎる」
「韓国には、羞恥心が無いのか」
「韓国は面子を重んじると聞いたが、損得勘定ばかり」
「韓国には、中立公正という言葉は無いのか」
「韓国には、謙虚さは無いのか」
「韓国には、信用を大事にする習慣は無いのか」
「韓国は、いつも短絡的で長期ビジョンを持たないのか」
「韓国は、今回の大会を成功と考えているが、そんな低レベルで国際社会の信用を得られると思っているのか?」
「韓国は大きく狂っている」
「韓国はいつも相手をだまして、嘘ばかり」
「真剣にサムスンの製品を買うのは、もうやめる」
「タイよ、心配しないで。私たちはあなたたちの味方だ。私はイタリア人で、韓国人が大嫌い。アジアの一員だからという理由だけで韓国と関わらなきゃならない、君たちを気の毒に思っている」など。

 YouTubeで公開されている動画は、陽気で明るいメロディー。テンポの良いタイ語の歌声。ダンスや大会の映像など、クオリティ高く仕上がっている。

 映像はレスリングでイラン選手が判定に怒っている場面や、テコンドー、サッカー、ボクシングと続く。韓国選手と対戦して「疑問が残るジャッジ」を経験した選手たちが、次々と登場。ほんわかした牧歌的な、コミカルなムエタイやダンスシーンも織り交ぜている。

 また、2002年のサッカーW杯の映像まで使用され、韓国代表 vs イタリア代表の試合で世界から注目された「? ? ?」の判定を批判し、バドミントン会場で吹いた「不思議な風」も。

 歌詞は、「我らがホスト国サマ、万歳! 金を願えば金メダル、銀を願えば銀メダル。どんな試合でも韓国が相手なら、もう練習も特訓も必要ない。死ぬほど特訓したってまだたりない。教えてやるよ、ホスト国とぶつかったら、あいつら確実にインチキしてくるから。インチキ、ひたすらインチキ、ひたすらインチキ、ただひたすらインチキ。すべてのチームを騙くらかす。ボクシング、サッカー、バトミントンでは風が吹く。人呼んで、詐欺師韓国」といった痛烈なもの。

 この「嫌韓」動画のオリジナル版タイトルは、Mafiarecord -Parody。日本語字幕のタイトルは、我らがオッパ(兄貴)、万歳! 話題沸騰! タイ発の「嫌韓」。この他にも、英語字幕版。中国語字幕版がある。

 産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴を取消し、韓国はこれまでの非を改め、言論の自由や国際社会の常識を理解し、アンフェアな国からフェアな国になることを強く願う。


【編集:安麻比呂 】




中国人が浴びせた理不尽な罵声は、人生で一番の屈辱! ーフィリピン
配信日時:2015年12月3日 15時08分 [ ID:2836]

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 2015年12月2日、南シナ海問題など、中国と政治的な緊張が高まっているフィリピン。高速鉄道建設を途中で投げ出したり、中国を批判する国内ニュースの数も増えている。

 現在23歳のミリンさんに、中国の印象を聞いた。「私は17歳で故郷を離れ、マニラで家政婦として働き始めました。その家の女主人は中国人で、料理やお菓子作りの料理教室を自宅で営んでします。通常の家事だけではなく、料理教室の準備や後かたずけも、私たちの仕事です。時々、やつあたり的に『私が雇ってやっているのは、奉仕の心からだ』、『さぼるな! 』、『家事見習いとして、富裕層の生活を見れることに感謝しろ! 』、『貧困家庭で教育水準が低いから、こんなことも分からない! 』、『私が雇わなければ、お前なんか、どこからも仕事を与えてもらえない』などと、罵声を浴びせられることもありました。

 かなり厳しい人で、休日は2カ月に1日だけ。勤務時間は、朝5時から、夜の22時ごろまで。作業が多いと23時を過ぎることもありました。1か月の給料は2500ペソ(約6000円)。かなり過酷なものです。

 その家には、5人の子供がいましたので、洗濯物の量も多く、5人が家政婦として働きました。与えられた部屋は狭く、寝返りもしにくく毛布にくるまって眠るだけの部屋でした。また、食事は、古くなった冷凍魚が中心でした。3年間辛抱しましたが、あまりにも理不尽なことが続いたため、家政婦の仕事を辞めました」と話す。

 ミリンさんは、同じ家政婦の仕事でも、アメリカ人や日本人宅では、理不尽なことは、無かったと友人から聞き、すべての外国人が酷いわけではないと理解しながらも、中国と聞くと今でも、警戒してしまうと言う。

 ミリンさんは、ウェイトレスとして働き蓄えた貯金で、小さな養豚ビジネスを始めようとしている。子豚10匹からスタートして、3年後には、30匹に増やす計画だ。


不参客:タイで韓流をぶちこわす韓国人観光客

韓国人観光客による現地業者とのいさかいが増加

 11月18日午後、観光地として知られるタイのプーケット県で、ある観光警察官がパトロールをしていた時のことだ。海沿いのとあるホテルの前を通り掛かったところ、突然ロビーから言い争うような声が聞こえたので急いで駆け付けた。すると一人の韓国人男性が観光バス会社のタイ人担当者の腕をつかみながら「たったの15分も待てないのか」「前払いした金を返せ」などと詰め寄っていた。観光警察官がそのいきさつを詳しく聞いてみると、この韓国人男性は観光地に向かうバスの出発時間に15分遅れてロビーに来たため、バスに乗り遅れたというのだ。このバス会社の担当者は「決められた時間に来て待っていた他の客はどうでもいいのか」「約束も守らないくせに態度だけはでかい韓国人は本当に頭が痛い」と語る。
 プーケットには45人の観光警察官がいて、記者はその中の7人から話を聞いたが、彼らが一様に語るのは韓国人観光客の予約キャンセルに伴う業者とのいさかいの問題だ。例えばホテルで車などの決められた時間を守らず言い争いが起こった場合、これに警察が介入することはできない。しかし被害を受ける業者からの相談は後を絶たないという。警察官たちは「言い争いが激しくなって本当のけんかにならないかいつも心配だ」と語る。
 別の観光警察官は「タイでは韓国のドラマが人気で、韓国は先進国というイメージが定着しつつある。しかし実際の韓国人に触れるホテルやタクシーなど観光業界では『韓国人は予約を守らない』『遅れてきたくせに席を譲れと怒る韓国人とのいさかいが絶えない』と訴える人たちが多い」と述べた。プーケット市街地の観光警察本部で取材に応じたある警察幹部は「韓国人観光客が予約を守らず、業者といさかいを起こしていないか常に注意を払っている。今ではこれが観光警察官たちの大きな仕事になった」と語った。
プーケット(タイ)=オ・ロラ記者
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

イスラム国の蛮行で暴かれる「韓国が知られたくない恥史」

2015.2.3
 野口裕之の軍事情勢】

 イスラム過激武装集団《イスラム国》と韓国が、小欄の頭の中で混ざり合った。両者に共通するのは「民主主義とは異質な法治体系」の他「歴史への常軌を逸した執着」ではないか。片や歴史を遡り、現代の主権国家枠を否定。片や歴史を遡り、主権を捏造し人権否定を覆い隠す。と、考えを整理していた1月23日、イスラム国の蛮行がきっかけで、日韓併合(1910年)の正統性や、百ウン十万と報じられてもいる韓国政府が行った自国民大虐殺など、「韓国が知られたくない哀史/恥史」へと筆を走らせる仕儀と成った。

 ■独立認めなかった米国

 1月23日。イスラム国が拘束したジャーナリスト、後藤健二氏(47)のご母堂(78)は会見で、父親が日韓併合時代、朝鮮・馬山(マサン)に駐屯した大日本帝國陸軍の部隊長だった旨示唆した。調べると、朝鮮軍管区の馬山駐屯直轄部隊指揮官(中佐)がご母堂と同姓だったが、追加取材はしなかった。小欄の興味は、会見が誘った朝鮮軍管区を通して思い出した「韓国の哀しい生い立ち」にある。

 大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争(1941~45年)敗戦を国民に知らせた。無政府状態を憂う朝鮮総督府は《朝鮮建国準備委員会》設置を比較的冷静・公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。ソ聯軍侵攻→朝鮮人政治・思想犯の釈放・流出→朝鮮共産化→日本人への掠奪・暴行…が想定され、朝鮮人釈放や治安維持への協力を取り付ける意図もあった。だが、自治組織に過ぎぬ委員会は45年9月6日《朝鮮人民共和国》を樹立し“独立”を宣言してしまう。

 一連の流れの中で、朝鮮総督の阿部信行・陸軍大将(元首相/1875~1953年)や朝鮮軍管区司令官の上月良夫・陸軍中将(1886~1971年)が総督府はじめ主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を掲揚させる。
 しかし“独立宣言”直後、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再び掲揚させた。米軍の軍政が本格的に始まるや、日章旗星条旗へと付け替えられた。なぜか-

 米国は日章旗掲揚で朝鮮=日本だと公認。軍政に正当性を持たせた。朝鮮が別国家ならば解放したことになり、解放後は統治を朝鮮に任せる過程を生む。従って終戦直後、米軍上陸前の統治を総督府に密命した。治安も朝鮮軍管区や日本の官憲に担わせた。上陸後も、日本人官吏は相当期間軍政を支援、治安も軌道に乗るまで日本側が協力した。日本側の統治能力や軍紀を大いに評価していた背景も在った。反面、米国は当初、朝鮮人を軍政より徹底的に遠ざけた。朝鮮人の軍政登用は牛歩で進められた。なぜか-

 ■強弁だけの「抗日戦」

 統治能力欠落や、度を超した自己主張、激高しやすい民族性に加え、偏狭な民族主義者や共産主義者が入り乱れ、一致団結して建国に邁進するまとまりに欠けている…など。こと朝鮮人に関し米国の学習能力は高かった。実際45年秋、30もの朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を勝手に接収。米軍は武装解除を強制したが効果は限られた。政党や政治結社も200近くにのぼり、指導者は内部抗争を繰り返し暗殺・テロが横行した。そも朝鮮人民共和国ですら中華民国に建てた韓国臨時政府と対立。2つの“政府”それぞれの内部でも抗争に明け暮れた。米国は朝鮮人の政党も政治活動も全く認めなかったのに、この有り様。

 斯くなる混乱では、38度線の北側に陣取るソ聯軍に対する力の均衡維持は覚束ない。米国の最重要課題はソ聯の半島支配阻止で、南朝鮮独立は副次程度の認識だった。米国は、曲がりなりにも内閣・政府を通じ権力を行使した日本と同じ統治形態ではなく、韓国に直接軍政を敷いた正解を噛み締めた。

 しかも朝鮮人は戦前~戦中~戦後と、日本に向けまともなゲリラ抗戦も民族蜂起も起こしていない。むしろ帝國陸軍内の朝鮮人高級軍人の武勇は目覚ましく、触発された朝鮮人が志願兵募集に殺到した。42年と43年の場合、募集各4000/6000名に25万5000と30万人超が受験。競争倍率63/50倍が裏付ける朝鮮人の戦意に日本=朝鮮一体を確信する米国専門家もいた。

 韓国が「日帝を打ち負かして独立を勝ち取った」と強弁しようと、独立は日本敗戦3年後。米国は聯合国による長期の半島信託統治を描いたが、北朝鮮統一国家を建設する動きを見せたソ聯に対抗、韓国の独立実施を大きく前倒しした。日本ではなく、日本に勝った米国に棚ぼた式で譲ってもらったのだ。

 ■無辜の民を大虐殺

 哀れ韓国は「歴史の不完全燃焼」に身悶えるだけでコンプレックスを癒やせない。制御不能な嫉妬の炎は“歴史の新作”を次々ひねり出すエネルギー源と化す。半面、取り憑かれたような情念で日本を「口撃」している間は、不都合な史実は目立たない。韓国の為政者の反日カードは国家戦略であり続ける。

 《国民保導連盟事件》も反日の激しさで埋没させたい超弩級の傷。会見で具体名が出た「馬山」も事件の舞台だった。

 保導連盟とは、共産主義者が転向し、韓国に忠誠を誓う人々と家族を再教育・統制すべく立ち上げられた思想保護観察組織。ところが、朝鮮戦争(1950~53年休戦)勃発で連盟加入者名簿は虐殺リストに変わる。北朝鮮軍がソウルに迫るや初代大統領・李承晩(イ・スンマン)大統領(1875~1965年)は国民や韓国軍将兵を見捨てて逃亡。その際、連盟登録者を“危険分子”として処刑するよう軍・官憲に命じた。北朝鮮側間諜が紛れた可能性は有るが、大多数は無辜の民。食料の優先受給目的で登録した人もいた。政治犯ら政権に目障りな人々もついでに抹殺された。韓国紙によれば60万~120万人、政府も《子供を含む最低10万人以上》の国民を虐殺し、排水溝や海に遺棄した暴挙を認めた。馬山でも廃坑や刑務所内で殺戮が行われた。

 おびただしい数の韓国人が難を逃れ、日本に密入国し、大半が居座った。そうか。(南北)朝鮮とイスラム国の最大の共通項は凶暴で残忍。であるが故に大量の死者・棄民を輩出しても心痛まぬ思考回路。まだある。日本を歴史捏造でいたぶり、つきまとって離さぬ韓国。日本人を拉致・誘拐する北朝鮮イスラム国。わが国を「解放」でじらす外道ぶりはソックリだ。(政治部専門委員 野口裕之