木漏れ日を歩むふたりに風ぬけて
3月10日と聞いて、東京大空襲で多くの人が亡くなった事実を
思い起こせる人がどれほどいるだろうか?と、毎年この日がくるたびに思う。
とは言え、前もって言い訳をしてしまうけど、 僕は例えば小倉、呉、佐世保、神戸、大阪、名古屋…等々、
他の都市への空襲がどの程度の規模でいつあったのか知らない。
だから東京大空襲がピンとこないからといって、
そのことを非難めいて言えないし、その資格などないと思っている。
けれど、それでも渋谷や原宿で遊んでいる若者らに、 そして5月に開業する東京スカイツリーのひざもとの川が、
焼けただれたご遺体で埋めつくされた事実を知ってほしいのだ。
「勝ったとか負けたとかの視点で戦争を語るのでなく、
『先人たちの犠牲があって現在がある』ことを忘れるな。
それが現在を生きる者の責任である」の一言に尽きる。
僕たち日本人は、 とかくモノを都合よく忘れることに長けている民族だとつくづく思う。
高校生の男の子が、日本が中国、朝鮮半島を統治していた事実を知らないことに唖然としたことがある。
彼いわく「だって教わってないもん」。
学校現場での歴史・社会科教育がどのように扱われているのか僕は知らない。が、近代史を学校で教わらない子供がいるとしたら、 それは大きな禍根を将来に残すだろうことはわかる。
何故なら、『先人たちの犠牲』を理解しない心で作られた社会は、
感謝する心を忘れた「徳」のない社会ということになる。
そんな社会は、世界からも未来の人間からだって尊敬を得ることなどできない。
沖縄にある青少年研修施設は、 多くの市民が地上戦で亡くなった地元の人にとって聖地とも言える土地にある。
本来なら戦没者を奉るべく場所に、
国が金を出して石碑を隅に追いやり、
立派な研修施設で歴史の記憶を封印しているのだ。
語り継がれるべく戦争の記憶を、 忌まわしいものとして封印をし顔を背けたとしたら、
それほど戦没者に対して無慈悲な扱いはないだろう。
そんなことがあっては絶対にいけない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://hamatetsu.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/2016/02/59a19660e7d74e70ad277aa9d49d9360.jpgそして皆さんに聞いてほしい まだ沖縄では 遺骨収集でさえも終わっていない 現実があるのに 平和教育だって、 辺野古反基地 問題の前に 戦争を売り物にし 金を引き出す 沖縄根性は 叩きなおさなければならない。 金を引き出す前に 骨を拾え! (パルデン記) |