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ニコニコニュース 313 舛添都知事に“政党交付金400万円”ネコババ疑惑が発覚! 2016/5/18(水)16:00 週刊文春  舛添要一都知事(67)に、また新たな疑惑が浮上した。舛添氏がかつ

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舛添都知事に“政党交付金400万円”ネコババ疑惑が発覚!


2016/5/18(水)16:00  週刊文春
 舛添要一都知事(67)に、また新たな疑惑が浮上した。舛添氏がかつて党代表を務めていた新党改革関係者が“告発”する。
「2014年の都知事選の期間中、舛添氏は新党改革から約400万円の政党交付金を“ネコババ”しています。新党改革を離党し、無所属で出馬したにもかかわらず、新党改革支部から自身の資金管理団体政党交付金を移動させているのです」
 この証言をもとに小誌特別取材班が取材を進めると、政治資金収支報告書の記載により、告発内容が事実であることが裏付けられた。
 まず、立候補直前の2014年1月3日と22日の2日に分けて、「新党改革」から舛添氏が代表を務める政治団体新党改革比例区第四支部」に計600万円が寄附されている。そして告示後の1月28日、31日には、同支部から舛添氏自身の資金管理団体である「グローバルネットワーク研究会」(以下、グ研)に2日に分けて、約526万円が寄附として移動している。このうち429万円が政党交付金、つまり血税であることが、「政党交付金使途等報告書」により明らかになった(その後、「グ研」が14年7月に解散すると、「グ研」の資金約5000万円は舛添氏の現在の資金管理団体「泰山会」へと引き継がれている)。
 この不可解なカネの流れについて、上脇博之・神戸学院大学教授が疑問を呈する。
「政党助成法によれば、政党本部、支部が解散した場合、余った政党交付金は国庫に返還するように定められています。ところが舛添氏は自らの資金管理団体に持ち逃げしており、返還逃れであると同時に公金の私物化です。政治資金規正法の趣旨に反します」
 この疑惑について、舛添氏は事務所を通じて「事実関係を調査したいと思います」と回答したが、都知事選期間中の疑惑だけに都知事としての「正当性」が問われる事態となりつつある。
週刊文春」5月19日発売号では、他にも舛添氏の様々な金銭疑惑について報じている。
このスクープ記事の詳細は、ニコニコチャンネルの
週刊文春デジタル」で5月19日午前5時より全文公開します。
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文/「週刊文春」編集部


舛添知事「品性ゼロの寄生癖」を元妻・片山さつきが一刀両断

女性自身 5月18日(水)6時0分配信



「演技力だけはあるんでしょ。でも“公”の意識がない。人の命を預かるトップにしてはいけない人なんです」

 そう語るのは、片山さつき自民党参院議員(57歳)。約30年前、舛添要一東京都知事(67歳)の妻だった女性だ。確かに、舛添氏は“演技力”に自信があるのだろう。13日の定例会見に集まった報道陣は約200人。正月の家族旅行でのホテル宿泊問題など、次々と浴びせられる質問に対し、証拠をひとつも開示せずにかわそうとしたのだから……。

 片山氏は舛添氏を、自己アピール力だけで生きてきた政治家だと評する。

「利用できる人はなんでも利用する人なんです。彼にとって他人は、利用する、あるいは寄生する対象でしかない。私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという肩書を利用したかっただけ」

 1986年、片山氏は大蔵省(現財務省)に勤めていた27歳のときに、10歳年上の舛添氏とお見合い結婚をした。当時、舛添氏は東京大学助教授。この結婚が、突然、夕刊紙の1面で報じられたのだ。

「夕刊紙の女性記者に、“結婚を記事にしてくれ”と自ら売り込んでいたんです。さらには、テレビのワイドショーで結婚式が報じられ、親戚から“なんでこんな売名をするんだ”と両親が責められてしまいました」(片山氏・以下同)

 大蔵省幹部への結婚の挨拶も終わっていなかった。若手キャリア官僚が“売名”で得をすることはひとつもない。

「結婚生活では、『“大蔵省の女性と結婚したから、さぞ金回りがいいだろう”と友達に言われた。でも何ひとついいことがない』と言われました。私はまだ係長で手取り20万円ちょっとの安月給だったのに、5万~10万円、お金を入れさせられました」

 仕事で遅くなると、「遅く帰ってきやがって」と一方的にまくしたて、さらにはまわりの物を投げつけてくる。

「あまりに怖くて、夜、逃げるようにタクシーで実家に帰ったこともありました。別居を決めて、うちの父に家財道具を取りに行ってもらったんです。そしたら、悔しかったのか、私の私物に上から踏みつけたとしか思えない跡がありました」

 3カ月で離婚を考え、弁護士に相談。すると、舛添氏には愛人がいて、妊娠中であることもわかった。離婚調停を申し込むが、舛添氏は応じない。結局、離婚が成立したのは、結婚から2年3カ月後だった。

ビートたけしさんがおっしゃっていましたが、“東大(教授への道)がダメになり、タレントで名前を売って政治家となり権力欲を満たすだけの人”。品性、品格のある政治など、この人には無理。それでも、都知事に居座るでしょうね。ここで辞めたら、もう後がないから。引き際とか考える人じゃないんですよ」

週刊FLASH 2016年5月31日号)