「素晴らしい風景、 素晴らしいチベット仏教寺院の建物」を伝えるが支那政府の横暴や チベット人の人権が侵されていることは言わない。
すなわち 日本人旅行者など 支那政府の財政を支え、チベット人焼身抗議が全く無になるような結果しか生んでいない。
もっともっと 本当のことに 声を出せ!
シナ中国とは地獄であると!!!
チベット人が自由に通れないチベットの駅 <下川裕治のどこへと訊かれて>
さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第21回は中国のラサ駅から。* * *
まるで中国という国家の威信を示すかのような駅である。1番線のホームは、5車線道路ほどの幅がある。
「戦車でも走るんじゃないの?」
列車で一緒になった香港人が小声でささやいた。
しかしこの駅で行われていることを体験すると、彼のジョークも笑えなくなる。
改札口でパスポートと切符を見せると、職員から脇で待つように指示された。香港人も同じように改札脇に立たされる。そこには、すでに5人のチベット人がいた。
ラサ駅は、チベット自治区の中心的な駅である。それなのに改札を自由に通ることができないチベット人がいる。その脇を漢民族はフリーに通り抜けていく。これがラサ駅だった。
いま、日本人がチベット自治区に入るには、許可証が必要になる。そしてその許可証は、ガイドという監視役をつけないと発給されない。僕は日本の代理店を通して、許可証をとっていた。
香港人は身分証明書を提出するだけだった。僕はパスポートと許可証を出す。その照合に時間がかかる。
「問題なさそう?」
隣に立つ香港人に聞いた。
「たぶん。でも、ほかのチベット人は時間がかかりそう。あんなに何枚も顔写真を撮る必要があるのかね。ここはチベット自治区だろ」
「妙な話さ。チベット人がチベット自治区の中心都市に簡単に入ることができない。身分証だけではだめなチベット人がいるらしい。漢民族は自由なんだけどね」
「どういうチベット人?」
「中国の公安がその区分けを公表すると思う?」
たしかにそうだった。
中国支配に対し、チベットの人々は激しく抵抗した。チベット動乱、そしてインド領内でのチベット亡命政府の樹立という歴史が刻まれている。
中国の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ青蔵鉄道は、2006年に開通した。標高5000メートルを超える高地を走る列車……鉄道ファンを喜ばせるキャッチが並ぶ。しかしチベット問題が解決されたわけではない。
中国のチベットへの警戒感はいまだに解かれていない。実際、青蔵鉄道の沿線には、1キロおきとも思われるほど監視小屋が立ち、そこにいる職員が最敬礼で列車を見送る。
その象徴がラサ駅でもある。1日8本の列車がこの駅を発車し、中国へ向かう。その便数にしたら、駅舎はあまりに大きく、異様ですらある。
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など