パルデンの会

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疲弊したマスコミは 一連の文部事件で 「オレオレ詐欺」しているようだ


籠池氏の「100万円」劇場に失笑 「札束」の間は「真っ白」

6/22(木) 19:07配信
J-CASTニュース
 学校法人「森友学園」の籠池泰典・前理事長が安倍晋三首相夫人に「返そうとした」として報道陣に示した「100万円」が、両端の2枚以外は偽物にしか見えないとテレビやネットで話題になっている。

 「今日はね、寄付でいただいた100万円をね、お返しせないかんと思って持ってきたんですよ」。テレビの映像を見ると、籠池泰典氏は2017年6月21日夜、安倍昭恵夫人が経営する東京・神田の居酒屋「UZU」を訪れようとして、記者団に囲まれるとこう切り出した。

■「真ん中が白い紙のよう」と追及されても否定

 そう言いながら胸の内ポケットから封筒を取り出すと、札束らしきものを引き出して示す。このときでも、両端の「1万円札」2枚の間は不自然に白く、お札というより白紙の束のように見える。

 籠池氏は、小学校建設がとん挫し、前日に大阪地検特捜部の家宅捜索を受けたことから、お金を返すのは今しかないと判断したと説明した。

 しかし、籠池氏が居酒屋に入ると、「何やってんだよー!」と怒号が聞こえ、10分ほどで中から出て来た。籠池氏は、従業員から「迷惑な話だ」などと言われたといい、「100万円」を受け取ってもらえなかったことを明かした。昭恵夫人には、5日ほど前にお金を返しに行くことをメールで伝えたというが、返信はなかったという。

 「100万円もう一度見せていただいてよろしいですか?」。籠池氏は、記者からこう聞かれ、「いいよ」と言って胸元から封筒を取り出す。そして、引き出した「100万円」のうち「1万円札」1枚を少しめくると、すぐに引っ込めてしまった。

 ここで、記者から「真ん中が白い紙のように見えましたけれども?」と追及を受けると、籠池氏は、「全然、それは違う」と否定した。さらに、「まあ、それでよろしい、もう」と言って立ち去ろうとした。
小倉智昭氏「受け取らないと思ってやった」
 その後も、「100万円」の真ん中白紙疑惑について記者から突っ込まれたが、籠池氏は、無言のままだった。

 籠池氏は同じ6月21日夜、昭恵夫人の居酒屋に続いて、東京都内にある安倍首相の私邸にも足を運んだ。ここでも、警備中の警察官に封筒を見せたが、「物とかはお預かりできませんので」と断られていた。なお、安倍首相と昭恵夫人は同日夜、公邸の方にいたと報じられている。

 白紙疑惑は、テレビで取り上げられ、22日朝放送のフジテレビ系「とくダネ!」では、小倉智昭キャスターが「100万円」の映像を見て、「誰が見ても2万円だろうという感じに見えちゃう」と笑った。小倉氏は、籠池氏が「2万円」にした理由として、「絶対ね、受け取らないと思ってやってるんだよ」と推測し、こんなことをすれば籠池氏の国会証言がウソじゃないかと見られると疑問を呈した。

 TBSテレビ系「あさチャン!」でも22日、「100万円」のことが取り上げられ、居酒屋から出て来た籠池氏の手にあったのは、「本人が100万円だと主張する『紙の束』」だったと夏目三久アナが紹介していた。

 ネット掲示板などでも、籠池氏の「100万円」が話題になっている。白紙疑惑の指摘が多く、「マスコミが中継していることを計算した粗雑な小芝居」「絶対に受け取らないだろうと確証してたんだろうな」などと冷ややかな声が書き込まれている。

【加計問題】前川氏、大川小“津波で児童74人犠牲”検証委員会から遺族を排除していた

投稿日: 2017年6月9日
和田 政宗@wadamasamune
昨日の内閣委。特区法改正案に関連し、小規模保育所の対象年齢が拡大する中、事故防止のため過去の学校事故の分析は十分か質問。
震災での大川小事故で文科省主導の検証委員会の検証が不十分だった点を指摘。なお、委員会を主導したのは当時の文科省前川喜平官房長。ずさんな報告の責任は重大と指摘した
○ 和田委員
そうした学校事故の原因調査や再発防止という点においては、東日本大震災における宮城県石巻市の大川小学校の事故をしっかり見てみなくてはいけません。
この事故は全校児童108人のうち74人が亡くなりました。地震発生から約50分間、津波が襲ってくる直前まで学校管理下で児童に避難行動を取らせなかったわけですが、行政によって設置された事故検証委員会の最終報告書が「検証不足」だということで、遺族が訴訟にまで発展をしました。
この大川小学校の事故検証委員会、これ文科省が主導する形で設置されましたけれども、この検証委員会の設置や人選について文科省で指揮を取ったのは誰でしょうか。
(略)
○ 和田委員
与党側なので、そこまで追及するのはどうかというところはあるのですが、これはもう私が野党側の時からやっておりましたので、もうちょっとこれは切り込んでいかなくてはならないのですが、これ、「遺族を検証委員会に入れなかった」「入れるのは難しかった」という風に判断したのはですね、当時の前川喜平官房長なんですね、これ。
当初からですね、ご遺族の間には事故検証委員会の委員の人選にも疑問が呈されまして、「遺族も参加を」という風に言っていたのを、前川氏は「それは必要ない」と言って「だめだ」 という風に押し切ってるんですね。
で、まぁ「行政を歪めた」というような発言が前川氏は何かしてるようですけれども、この時、前川氏、行政歪めてるんですよ、これ。
ご遺族の中にはですね、当時の前川氏の様子や話を振り返って、「当初からしっかり検証する気もなかった」という風に怒りを述べてる方もいるわけです。
それでも検証がしっかり行われればよかったわけですけれども、事故検証委員会の最終報告書、これ何度も何度も私も読み返しました。
事実関係が地震から津波が襲ってくるまでの50分間のあいだ、これ検証できてないわけですよ。私は防災の研究者でもありますけども、客観的に見ても、どう考えても時系列がおかしいところがあります。
最終的にこの報告書でよいと判断したのは文科省の中の誰なんでしょうか。
(略)
○ 和田委員
文科省全体で、というようなことになってくるかという風に答弁なさっておりますけれども、いま少し答弁の中でもありましたけれども、これ実は「検証が不十分だ」ということで、検証委員会の委員長も認めてる最終報告書を通してしまっているというところがあるわけです。
この最終報告書、出たのが平成26年ですけれども、前川氏は初等・中等教育局長。
ご遺族が中間報告や最終報告書の案に対して、「事実関係がおかしい」という風に客観的に述べてもですね、「公正中立に検証が行われていると確信している」と何度も言ってるんですね。
当初の人選も含めて、この委員会を主導した前川喜平氏に対してですね、ご遺族、かなりの怒りを持っております。
大川小学校で子供を亡くしたご遺族の方々はですね、「なぜ子供が命を失ったのか、その原因を明らかにしてほしい」ということで、この検証委員会に賭けてたわけですけれども、それが全くなされなかったということで、訴訟に訴えるしかなかった、裁判で事実を明らかにするしかなかったということで、「検証報告がしっかり行われていれば、そういう風にしなかったかもしれない」と言ってる遺族もいるわけですね。
こうした点において委員会を主導した、前川喜平氏の責任は大きいですし、文科省全体でということであれば、文科省自体の責任も大きい。
これはですね、運輸安全委員会のような強力な権限を持った調査機関というものを私は必要だという風に思っておりますし、こういったものがですね、大川小の事故を教訓として作られるのであれば、ご遺族自体も「自分たちの教訓が活かされるのであれば、ということで訴えなかったかもしれない」という風に言っている人が実際にいるわけですね。
こういったところをですね、踏みにじったという風に私は被災地の議員として、 ご遺族の切実な 中でそういったことを申し述べたいという風に思います。

関連

文字起こしはこちらから引用
【出会い系バー】「津波で児童74人死亡、事故検証委員会から遺族を排除したのは当時の前川喜平官房長」被災地議員の怒り
http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1496930871/
関連
【動画】和田政宗議員「前川氏から貧困対策の指示やレポートはあったか?」 文科省「指示もレポートもない」
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1496902136/

コメント

11:
>>1
これ急いで子どもを迎えにきた保護者が先生に
「早く児童を高台へ」つったら先生は
「お母さん落ち着いて」て取り合わなかったらしい
しかもこの先生は地元民じゃなかったから
尚更危機感がなかったとか
※上記の内容は全て裁判記録にあります
> A教諭は、校庭に出ると「山だ! 山だ! 山に逃げろ」
> と叫んだ。それを聞いて、山にダーッと登っていった子
> がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻
> された。
> 5、6年生の男子たちが、「山さ上がろう」と先生に訴え
> ていた。当時6年生の佐藤雄樹君と今野大輔君は「い
> つも、俺たち、(裏山へ)上がってっから」「地割れが起
> きる」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、
> なんでわからないんだ」と、くってかかっていたという。
> 2人も一旦校庭から裏山に駆けだしたが、戻れと言わ
> れて、校庭に引き返している。
> 子どもを迎えに来た保護者は、20家族ほど。名簿に
> 名前を書いて帰宅していった。大津波警報が出ている
> ことを報告していた母親もいた。
> 保護者たちは、教諭から「学校のほうが安全」「帰らな
> いように」「逃げないほうがいい」などと言われていた。
> 当日、校庭に50分間、待機し続けたのは、誰かからの
> 具体的な指示や命令によるものだったのか、現場での
> 誤った決断のためなのか、はたまた、決められない人
> 間関係のせいだったのかについては、市教委側からは、
> 見解が全く示されていない
> 典型的な問題点は、生存者や帰宅して助かった児童た
> ちへの聞き取り調査のメモを「破棄した」と、調査を担当
> した当時の指導主事が言い続けていることだ。
> 津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほう
> が正しかったことが分かったのだ。
しかもこのA教諭と遺族を会わせないよう工作しまくり
http://diamond.jp/articles/-/27043