パルデンの会

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琉球新報・沖縄タイムスを糺す県民・国民の会11月27日より転載


琉球新報沖縄タイムスを糺す県民・国民の会

「メルマガ第139号」11月27日より転載

沖タイの阿部記者は、偏向記事を書くことを自ら認め、「悪魔に魂を売った記者」であることを自認しても、それを恥とは思っていないようです。

百田尚樹さんに「差別発言」と噛みついては見たものの、那覇代表の生放映による猛反撃を受け、全国的有名記者、いや悪名高い記者になり果てました。

それでも百田尚樹さんを「差別主義者」と糾弾できないどころか、逆にこう反撃されました。

差別にこだわるのは阿部記者自身が差別主義者の証拠ではないか」と。

阿部記者にとってもはや「差別」は一種のトラウマのようなものです。

そうです。
急性の心因性差別病疾患です。

そこで性懲りもなく自己弁護の感のあるのが本日27日の沖タイコラム「大弦小弦」の内容です。

事実をそのまま直球で報道するのではなく、カーブを投げ事実を捻じ曲げるのも報道の一種だというから、呆れて絶句します。

阿部岳記者はもはや新聞記者ではありません。

超能力者に変身したのです。


▼▼ 引用 ▼▼▼

[大弦小弦]全国紙の記者が「書いてもうちは載らないから」とこぼすのを・・・
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/175564

沖縄タイムス 2017年11月27日 07:05
 全国紙の記者が「書いてもうちは載らないから」とこぼすのを何回聞いただろう。辺野古新基地を巡る国と県の訴訟合戦、現場で見る国の強権ぶり。どんな異常事態も長引くにつれて日常化し、「ニュース」は「また」に変わっていく

▼同業者として、理由はよく分かる。私たちは地元紙だから記録を続けるが、扱いは最初に比べれば小さくなりがちだ

▼それでも、工夫次第で切り口はある。共同通信那覇支局は「辺野古から」というシリーズ記事を全国の加盟社に配信し、加筆してインターネットでも公開している。大事件がなくても現場に足を運び、生の声を本土に届ける。もう89回になる

▼今月立ち上がった沖縄を論じるサイト「OKIRON(オキロン)」でも、沖縄と縁が深いTBSキャスター、松原耕二さんと佐古忠彦さんが対談している。実像をどう本土に伝えていくか

▼「沖縄報道が定型化すると、番組を作る方もつまらないし、見ている方はもっとつまらない。ますます沖縄報道が減る。だから、いろんな沖縄の描き方をしなければ」「直球を投げても受け止めてくれるんじゃないか」

▼正解はたぶん一つではない。本土の無関心は本土メディアのせい、と嘆いているだけでも変わらない。私たち地元メディアも切り口を競い、沖縄を考えるいろんな種を本土に届けたい。(阿部岳)

▲▲ 引用ここまで ▲▲▲


>見ている方はもっとつまらない。ますます沖縄報道が減る。だから、いろんな沖縄の描き方をしなければ」「直球を投げても受け止めてくれるんじゃないか」

ということは、今までの報道は直球ではなくカーブを投げ続けていたというのでしょうか。

阿部岳という捏造記者にかかると、事実を事実として直球で報道しても、読者にとってつまらない判断したから、これまでは事実を捻じ曲げて報道したということになります。

言葉を変えれば阿部岳記者にとって新聞とは、面白可笑しくするためには、三流週刊誌のように捏造記事を書いても良いというのでしょうか。

これでは阿部記者はユリゲラーのような超能力者になったつもりなのでしょう。

ユリゲラーはスプーンを捻じ曲げて観客の興味を引きましたが、阿部岳記者は事実を捻じ曲げて読者の興味を引こうというのです。

超能力者の書いた歪曲(捻じ曲げ)報道を真実と信じて金を払って読まされる読者はたまったものではありません。

新聞社にとって報道は商品です。

故意に捻じ曲げた報道を売りつけられる読者は欠陥商品を売りつけられる詐欺と同じではありませんか。

野球では投手は直球の他にカーブを投げて打者を幻惑してもよいでしょうが、報道で事実を捻じ曲げて報道したら、読者への裏切り行為です。

皆さん!
沖縄2紙の不買運動を本格的に始めようではありませんか。
さぁー、手始めは、新報か沖タイか。
どちらが先だ!