支那で 外国企業の広告に関して、クレームが起き 各社謝罪している。
今度は ダライラマ法王の言葉を使ったと、ベンツ社を なじっているが、
それでは 支那が 日本語を取りいれて 自分たちの言葉にしていることで
すべての日本語由来語を止めないのか?
我々も 支那人が 日本語由来語を使うのを阻止できるのではないだろうか!!!
【2月7日 AFP】独自動車大手ダイムラー(Daimler)傘下のメルセデス・ベンツ(Mercedes Benz)はこのほど、インスタグラム(Instagram)の公式アカウントに掲載した広告にチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世の言葉を引用し、謝罪に追い込まれた。中国はダライ・ラマを独立主義者と見なしている。
外国企業が、中国当局の公式見解と相いれない情報によって「中国人消費者の気分を害した」という理由で広告などの撤回を余儀なくされるケースがこのところ相次いでいる。メルセデスがインスタグラムに投稿した広告は、白い波が打ち寄せる海岸に停められた1台のベンツを写したもので、一見すると何の問題はないように思えるが、画像には英語で「あらゆる角度から状況を見よ、そうすればもっとオープンになれる」というダライ・ラマの言葉がキャッチコピーとして付けられており、「ダライ・ラマによる、人生への新鮮な視点で新しい週を始めよう」という言葉が添えられている。
中国ではインスタグラムは使えず、ほとんどの中国人は閲覧できないが、広告が投稿されてすぐに中国人のインターネットユーザーからダライ・ラマの発言を引用したことへの批判が殺到した。
だったら日本語由来の支那語を使うな!
中国語の中の日本語(Chinese Borrowings from the Japanese Language)
陳 生保(Chen Sheng Bao) 上海外国語大学教授
はじめに
「共産党 幹部指導 社会主義 市場 経済」 という文は、すべて日本製漢語語彙でできているといったら、これらの語彙をさかんに使っている普通の中国人は信じかねるだろうし、これらの語彙の原産地の日本人も、たぶん半信半疑だろうが、しかし、それは事実である。私が十年前にこれまでの先行研究をふまえてまとめた「中国語の中の日本語」は、その間の消息を伝えている。
現在、日本語は毎年一万語(その多くは音訳による外来語だろうが)のペースで新語が増えているそうである。ところが、二千年の長きにわたって中国語の中に入った外来語は、たったの一万語にすぎない。そして、そのほぼ一割に当たる千語の外来語は、日本製漢語語彙なのである。
千語ぐらいといえば、多くはないと思われるかもしれないが、しかし、ほかの九割には「仏陀」など、仏教からの外来語が多く、死語に近いものがかなりあるし、日本語来源の語彙のほとんどは現代生活に欠かせない基本的概念であり、使用頻度の高いものであり、しかも造語力のあるものが多い、ということを考えると、現代中国語における日本来源語の影響が非常に大きいといわねばならない。
「中国語の中の日本語」は最初は雑誌 「カルチャー千葉」 (八七年冬、第十四号)に発表されたが、のちに日本国際交流基金の英文誌 「The Japan FoundationNewsletter」 (八八年四月号)に転載されたことがある。それからほぼ十年間立っている。この十年間の間にも少なからぬ日本製漢語が中国語の中に導入されている。例えば、[カ]拉OK(カラオケ)、通勤、放送、民宿、物業、福祉、営業中、単身貴族、日本料理などがそうである。
今回(九六年十二月十七日)、日文研第91回フォーラムとして私はまたこの「中国語の中の日本語」の話をした。発表の場所が京都市内から急に交通の便の悪い日文研に変わったし、その日はあいにく雨が降っていて、肌寒い日だった。常連の聴衆もたぶんあまり来てくれず、十数人も集まればいいと、コモンルームで当フォーラムのコメンテーターの芳賀徹先生と話合っていた。ところが、教室に入っていったら、意外に満員だった。日文研研究協力課が後でまとめた報告によると、参加者はいままでの平均を上まわる九一人あり、西京区の住人はその一割にも満たず、聴衆の多くは、遠路はるばる滋賀県や京都府、大阪府から来たのである。このことは中日文化交流に寄せる日本の一般民衆の関心の高いことを示しているかと思われる。
発表が終わって教室の廊下で、ある年配の方が私にこう話してくれた。「私たち日本は中国からたくさんのものをいただいた。陳先生のお話で、日本も恩返しとして千語ぐらいの言葉を中国にさしあげていることを知り、ほっとした。とてもうれしかった。」これはおもしろい話だなと、私は、心に微笑を禁じ得なかった。この方の感想はあるいは聴衆たちの共通の気持ちをあらわしたものかも知れない。
しかし、実際のところ、国際的交流の場合、先進国から後進国へ伝っていくものが相対的に多いということは、一般的な法則だと思われるが、しかし、それは決して一方通行にはならず、お互いに利益になるところがあると思う。中日両国は一衣帯水の近隣であって、大昔から交流がさかんであった。古代においては、主として日本が中国に学んだが、近代になると、中国が日本にいろんなものを学び取った。「中国語の中の日本語」は、その一例に過ぎないのだろう。そして今は中日交流の新時代に入り、第三のピークを迎えてお互いに学び合っているのである。中華料理がどんどん日本の家庭に進出し、カラオケが中国の都会で大流行していることはそのあらわれだといえよう。
ところで、私の発表が終わってまもなく、当フォーラムの司会者であり、日文研研究協力専門官の臼井祥子先生から、聴衆からの希望もあり、発表の記録としてもぜひ小冊子を刊行したいというご要望があった。私は喜んでそれに応じることにした。一つは時々友人からほしいといわれて、その都度その都度コピーをしなければならなかったが、小冊子ができると、その手間が省ける。二つは私の日文研での記念にもなる。もう一つはもっと大事なことだが、日本の皆様が拙文で中日文化交流の一端を知るのに役に立つことができれば、さいわいだと思うからである。それで、この「はじめに」をつけるとともに、もとの文章をすこし訂正、補足した上で関係の方に手わたした。ただ、印刷上の便宜を図って、文章中に出てくる中国語の用例は中国現行の略字を使わず、日本現行の漢字で間に合わせた。この点、読者の承諾をお願いする次第である。
陳 生保
一九九六年師走
日文研ハウス301室にて