パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

モン族の悲劇はまだ終わっていない 我々日本人のやるべき事を考えて欲しい


本来人権を言う リベラルな人々が、モリ・カケや原発など 偏向政治問題に追われ
やらなければならない人間の権利や人権について主張する機会がどんどん減ってきている。
それ以上に グローバルという言葉で本来 我々が日本として 世界の中で 存在
を許されるために、課せられた事まで忘れてしまっているようである。

内戦で疲弊した、中東のさまよえる人々、東南アジアの山の中で彷徨える支那北朝鮮で抑圧された人々、そして過去の歴史で翻弄され 歴史の重圧であえいでいる流浪の
民をもう少し考えなければ、人として国家として 黄色い白人国としては アウトです、

70年以上前の日本の動きは 西欧諸国に追いつけ追い越せを目標に、アジアにおいて
西欧諸国に 植民地として抑圧されたアジア諸国、アジア人の解放を目指して努力してきたはずではなかったのか?
左でも右でも 我々日本人のやるべき事を考えて欲しい!!!



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018年)6月8日(金曜日)弐
         通巻第5721号 
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 モン族の悲劇はまだ終わっていない
   アメリカに暮らすモン族は20万人に膨らみ、社会進出

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 ベトナム戦争中、ラオス北東部でゲリラ戦をたたかったモン族は、米国の戦略上の犠牲になった。
ラオスの「シークレット・ウォー」と言われたが、アメリカでこうした認識があった人は少なかった。ビエンチャンンの北部ロンチャンにはモン族軍団の秘密基地も置かれ、CIAが訓練を施し、武器も供与した。

 トランプ政権のスタッフとラオ族ゲリラの退役軍人がホワイトハウスで会合をもったのは、最近のことである。
トランプ大統領は「ラオ退役軍人サービス法」に署名した。つまりラオスで戦ったモン族の退役軍人もアメリカ軍人墓地に同様な戦死者として葬られることが可能となった。40年の歳月を経て、モン族の悲願が達成された。

 なぜこういう悲劇が起きたかと言えば、1960年代のベトナム戦争で、アメリカ兵がラオスに侵入する作戦、戦闘は議会の反対で禁止されていた。
しかしホーチミン・ルートはラオスを経由し、無数のトンネルが掘られベトナムの共産ゲリラに通じていた。
しからばと米国は北爆を実行する一方で、CIAを基軸にラオス国内にいる少数民族のモン族を利用することにしたのだ。モン族は強桿であり、かつ適応能力に優れた青年が多かった。

 戦場はラオスのジャール平原、モン族はおよそ20000人が戦死した。
 戦後、数百人のモン族はアメリカへ逃げた。ラオス共産主義一派の独裁に陥ったため報復を恐れたのだ。しかし大量のモン族は隣国のタイへ避難したのである。

 最後にヴァン・パオ将軍率いる二千名の部隊がラオスを引き揚げることとなり、アメリカのベトナム戦争は無惨な敗北に終わった。モン族の部隊は、アメリカが引き取った。

 しかし、45万人のモン族がラオス国内に閉じこめられ、以後、酷い仕打ちや差別を受けた。いまだに8000名のモン族難民がタイ国境に暮らしている。 明らかな差別が存在し、貧困に喘ぐが、政府は本腰を入れて少数民族問題に当たることを避けている。ミャンマーのスーチーと同様である。

 ▲ラオス北西部には夥しいモン族の集落がある

 先月、筆者はラオス北東部を取材したが、いまではモン族の集落も出入りが自由となって、その子だくさんの村を二つばかり観察できた。
 学校は日本が寄付した。
 黒板に字を書いての教育であるが、小学生のノートを見ると、ちゃんと文字が書かれており、ラオス語の教育、同時に高学年は英語を教えている。

 さてアメリカに逃れたモン族は、その後、キャンプ生活だったため、子供が増え続ける一方で、カリフォルニアとモンタナの収容所で暮らしているうちに繁殖能力にも優れていたので、コミュニティのなかからはみ出し、全米50州にモン族は散らばったが、それでも人口が増え続けた。

いまではミネソタ州のコニュニティの行政トップになったり、その適応能力がぬきんでているため、社会的に溶け込み、アメリカになじむのも早かった。推定で45万人のモン族がアメリカ社会の内部で生活しているのだ

 他方、タイではベトナム戦争中にラオスカンボジアで非公然に戦闘に参加した裡の、2482名が死亡、一万人が負傷し、755名が「行方不明」。
捕虜となっていた240名は1973年にタイに送還された。タイ軍人の一部もまたラオス方面の秘密の戦争に加担していたのである。
 カンボジア難民は「キリング・フィールド」の映画で知られるようになったが、モン族の悲劇についてアメリカでは、これまで公然と語られることはなかった。
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