パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

丁寧に作る職人気質や、買う人に対してフェイス・トゥ・フェイスでサービスする商人の精神、それらを美徳とする社会が今、瀕死の状態を迎えている。

勝谷誠彦たちの××な日々。より転載

9:27 (2 時間前)

本日勝谷氏お休み
 おはようございます。ヨロンです。昨日は、勝谷さんの原稿をギリギリまで待っていたために、記号「■」を付けずに出してしまいました。楽しみに読み始めてがっかりされた方も多いと思います。ごめんなさい。

 勝谷さんは、かなり強い腹痛と嘔気があるようで、執筆はできないけれど、(おそらく)命に別状はなく、おとなしく寝ていれば徐々に良くなっていくことが期待されています。

 11月の一ヶ月間。みなさんに支えられてなんとかやってきました。勝谷さんは、短いものであっても、当初の私の想定よりは多く日記原稿を送ってきました。

 この状況が改善するのか悪化するのかは、今のところ全く予想できません。医師としても「酒を飲まずに栄養を入れていれば良くなるでしょう」としか言えないようです。ただ、勝谷さんは「依存症」であることを認めようとせず、強制的に専門施設に入れようにも、内臓疾患を抱えたままでは受け入れ先を見つけるのが困難なため、とにかく内臓の回復を待つしかありません。

 このような状況の中で、今後の進め方を検討しています。「勝谷さんが行きている限りは、いつまでも待っている」というメールもたくさんいただいています。しかし、もし回復の見込みがなくなったとしたらどうなるのか。これはあくまで仮定ですが。

 明日、12月の方針をお伝えします。毎日状況が変わるために、明日お伝えする方針もその後に変わる可能性がないわけでもありません。そこも含めて説明させていただきます。

 月曜日から少し暗い内容になってしまいましたが、徐々に年末の慌ただしさも街に出てきているので、気持ちだけでも前向きに行きたいところです。
 本日は、トーラさんのコラムをお送りします。私が「何か労働問題について書いてくださいよお」と無茶ぶりしてしまったところ、さすがにトーラさんならではの視点と経験で書いてくださいました。



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東良美季(作家)

 「出入国管理法改正案」の衆院通過に向けて、自公両党が突き進んでいるらしい。このコラムを書くに当たってヨロン社長から「外国人労働者問題とかどうかな?」と振られ、「そんなの書けるワケねーじゃん」と言ったワケですが、フト、思い出したことがあった。今のアパートに引っ越したときのことである。僕はテレビ・電話・インターネットすべてをケープルテレビの〈j:com〉と契約していて、その工事を依頼した。何しろまずはネットが繋がってくれないことには仕事が出来ない。
 〈j:com〉のスタッフは、2人のチームでやって来た。1人が主に外の工事をして、もう1人が中の配線作業をする。お見かけしたところ30代半ば、明るく爽やかな若者たち(僕から見たら)である。我が家は築45年の老朽アパートなので、建物までケーブルが来てない。だから外ではゴンドラ付きクレーン車に乗って電柱から線を引っ張る必要があったのだ。
 かなり大がかりな作業だが、約1時間でテレビ、電話、ネットが開通してしまった。驚いたのはすべての工事が終わった後、地上波・BS・CATVにアプリと、非常に多機能なテレビの説明を、判りやすく鮮やかにしてくれて、iPhoneipad miniの設定までやってくれたことだ。彼らは本来「技術屋」であろう。それでも今の時代は、こういう客と接することまでやらなくてはならないのだ。
 続いてガス栓を開けるために東京ガスの人がやって来た。彼はもっと若く20才そこそこ。高校を出てまだ数年という感じであった。それでも〈j:com〉の人たちほど流暢ではないが、一生懸命説明してくれた。とても助かった。ただそこでひとつ気になったのことがある。それは、世の中にはあまり他人としゃべるのが得意でないという子もいる。そういう若者にとって、今の時代は生きにくいのではないか? ということだった。

 なぜそんなことを考えたかというと、その少し前に、小学館の『edu』という教育雑誌の取材で、〈東京インターナショナルスクール〉の校長先生、坪谷ニュウエル郁子さんにお話を伺ったからだ。坪谷先生は著書『世界で生きるチカラ-~国際バカロレアが子どもたちを強くする』(ダイヤモンド社 https://www.amazon.co.jp/dp/4478026505 )の中で、次のようなことを語られている。
 <ヨーロッパにはフランスのシェフ、スイスの時計職人のように、長い歴史と文化に支えられた職人文化があり、彼らは自らの仕事に誇りを持ち、尚かつ高い収入も得ている。また、ドイツのマイスター制度のようにそれらを支える職業教育制度もある>。しかし<一方アメリカでは、マニュアルに従って動けば素人でも効率的に同じ品質の商品を提供出来る、言わばマクドナルド的な文化が主流です。>と。
 結果どうなるかというと、<そこで働く人は最低賃金しか得られないことも少なくはなく、その半面そういったビジネスのスキームを作った起業家や経営者は信じられないほどの収入を得ています。>。つまり人を動かすシステムを作った者だけが莫大な富を得て、額に汗して働く者は冷遇される。極めて不健全な格差社会が生まれるという構造である。日本も現在ほぼ、このアメリカ型社会になっていると言っていいだろう。
 かつては我々の国にも、大工さんや左官屋さん、鳶職など、職人さんを尊敬し重んじる文化があった。子どもたちは「大きくなったら大工さんになりたい」と言い、それらのリーダーは「棟梁」「頭」と呼ばれ地域の尊敬を集めた。けれどそれは、戦後の高度経済成長期に無残にもなぎ倒された。坪谷先生は僕と同世代なので身に沁みてお判りなのだと思う。「教育ママ」と呼ばれる母親たちが現れ、「いい大学に入っていい会社に入れるようにしなさい」と言い始めた。
 坪谷さんは神奈川県の名門県立進学校に通っておられたが、同級生が受験を苦にして自ら命を絶ったことから、日本の受験戦争に疑問を持ちアメリカの大学に入学。帰国後は通訳を経て、語学学校を開いて教育の道へ入る。

 若者たちが堀江貴文さんや前澤友作さんに憧れ、自分も起業家を目指すというのは別に悪くない。しかし同時に、そういったアメリ格差社会が日本に於いて、「ブラック企業」と呼ばれる特殊で醜悪な状況を生み出しているのも明らかだ。
 一昨年僕はブラック企業に関する本の執筆協力をさせてもらい、取材や資料に当たる機会を得たが、やはり一部の小ずるい人間の作ったシステムだけが一人歩きを始め、結果その下で働く者はすべてロボットのような、あるいは交換可能な歯車の如き非人間的な労働を強いられる。そこには人間の尊厳はおろか、一瞬の安らぎを得られる温かい会話すらない。あるのは命令と恫喝と罵倒だけだ。
 さらに悪いことにアメリカ以上に核家族化の進んでいる日本では、若年層は圧倒的に孤独になる。地方出身者となると尚更だ。しかも我々は欧米型の宗教を持たないので、「神様だけが私を導いてくれる」という最後の砦すら持てない。結果多くの若者たちがうつ病パニック障害を発症し、最悪の場合は自殺する。
 しかも企業はその責任を認めず、遺族に補償をするのを何とか逃れようとする。彼らにとって死んだ人間は単なる「負け犬」なのだ。いや、人間とすら思ってないのだろう。会社こそが、システムこそが人間より大切だからだ。

 もうひとつ、数年前に飲食店系情報誌の仕事をした時期がある。新興の居酒屋やレストランのチェーンなどでは現在その多くが「ブラック企業」化していると言われている。その真偽のほどはわからないが、僕ら取材者が接触するのは「広報」担当者である。大抵が若い。20代後半から30代半ばの若者。彼らに接していると、その「ブラック臭」とでも言えそうな強烈な体臭を直に感じざるを得なかった。要はそんな非人間的なコミュニティでも、平然と生きていける人間性である。
 誰もが非常に手際がよく効率のいい仕事をする。しかし半面、奇妙な共通点があった。異常なほどに早口で用件を言う(相手に何かを伝えようという意識がない)、せせら笑うような口の聞き方をする(相手の立場が「下」と見るやあからさまに軽んじる)、相手の都合には厳しく自社の都合に甘い(社内の査定、自己の保身だけを気にする)、証拠が残らないことに関しては平然と嘘をつく(「えっ、お伝えしたはずですが」)etc. さらに本人たちは、自分は「イケてる」と信じて疑わない。

 しかし問題なのは、誰もが人としてまったく魅力を感じられないということだ。別に「ブラック企業」の「広報」担当に人間的魅力を求めようとは思わないが、その陰で、それら飲食チェーンの厨房で、社交性に乏しく要領も悪く、口べたで孤独な若者が泣いていたとしたら、正直なところ気分はよろしくない。
 こういった傾向に新自由主義的な効率性だけの重視とグローバリズムが加わったとしたら、いったいどんな悲劇が起きるだろう? 日本人でさえ人間扱いされないこの社会で、外国人がまともに扱ってもらえるとは到底思えない。カルロス・ゴーン氏の巨額な報酬が話題になっているが、かつてゴーン氏本人はそれを「グローバリズムゆえの高額収入だ」と豪語したそうだ。言ってみれば彼の20億とも25億とも言われる年収は、世界中の労働者から搾取されたカネをかき集めたものだという構図だ。
 コンビニに行けば働いているのは外国の若者ばかり。現在のコンビニは単に商品を並べて売るだけではない。各種公共料金の支払いから宅配便の発送に受け取り。それらがコンビニで出来れば我々消費者は便利だが、負担は当然働く人たちに重くのし掛かる。宅配便の時間指定のシステムを構築した会社は業績を上げたかもしれないが、ドライバーは長時間労働で過労死に追い込まれた。同じ問題が日本中で起きている。
 坪谷ニュウエル郁子さんの話に戻るが、彼女の2人のお嬢さんはオーストラリアの大学に通われていて、<私も現地に行ったりする中で驚いたことがあって、それは『ホワイトカラーが偉い』という概念が無いこと。>と記している。日本もかつてはそうだったはずだ。デジタルという名の仮想空間でシステムを作る側ではなく、実際に手で触れて感じることの出来る商品を丁寧に作る職人気質や、買う人に対してフェイス・トゥ・フェイスでサービスする商人の精神、それらを美徳とする社会が今、瀕死の状態を迎えている。



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