パルデンの会

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ダライ・ラマ法王が抱くチベット仏教の深刻な存続危機


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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)5月10日(金曜日)
        通巻第6071号 
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パンチェン・ラマ猊下、もし生きていれば30歳になられる
  ダライ・ラマ法王が抱くチベット仏教の深刻な存続危機

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 それは1995年5月17日の出来事だった。
ダライ・ラマ法王は、急死したパンチェン・ラマの後継としてパンチェン・ラマ十一世と指名した少年(当時六葦)がいた。
三日後に、家族もろとも忽然と消えた。

直後、中国共産党は別の少年を引っ張り出してきて、これが「正式パンチェン・ラマだ」と言い張った。以後、この「偽パンチェン」が各地に出没して、チベット仏教徒に教えを垂れているが、だれも本物とは信じていない。
いや、表向きはどこの公共施設や土産店、レストランなどでも、偽パンチェンの写真が飾られ、どこにもダライ・ラマの写真はない。

学校では北京語が強要されており、わかい世代は「親は喋ってますが、わたしたちはチベット語がわかりません」と平然としている。チベットは国語も奪われたのだ。
しかし、裏路地へ、或いは住宅の中はどうかと言えば、ひそひそ話チベット語ダライ・ラマ法王の写真はちゃんと飾られている。

 チベット仏教は輪廻転生を信じており、ダライ・ラマ法王の後継者は、パンチェン・ラマが指名し、パンチェン・ラマの後継者をダライ・ラマが指名する。つまり中国共産党の傀儡=偽パンチェンが、あろうことか、次のダライ・ラマを指名すると手筈となる。

 先代のパンチェン・ラマ十世は1989年にチベットのシガツェに滞在中、急死をとげ、その死因は謎に包まれたままだ。
ダライ・ラマ猊下がインドへ亡命したのは1959年だった。
爾来、お互いの連絡は表面的にはなかった。ダライ・ラマは亡命地ダレムサレムで、チベット亡命政府をつくり、世界に散ったチベッ仏教徒に深甚な影響力を持つばかりか、世界の仏教界全体へも、発言力には強力な磁性がある。
世界をいまも行脚されており、とくに日本の仏教界はダライ・ラマ亡命政府と非常に深い絆がある。

米国でも歴代大統領は訪米したダライ・ラマ猊下を、ホワイトハウスで暖かく迎えている。
日本政府は北京の顔色を見て、まだ首相との会見は実現していない

「(本物の)パンチェン・ラマはどこにいる?」とBBCが特別番組を放送し、またチベット亡命政府は六歳の時の少年の写真を手がかりにコンピュータで30歳になった本物の少年の想像の画像を配信し、米国政府系「フリーアジア・ラジオ」も有名な画家に、想像されるパンチェン・ラマの似顔絵作成を依頼し、それを公表した。

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中国は侵略的援助で覇権目標を世界に浸透させようとしている
 ポンペオ国務長官ヘルシンキでBRIは経済的目的ではない

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 5月8日フィンランド訪問中だったポンペオ国務長官は中国のBRIについて、「スリランカのハンバントタ港が借金のカタに取られたように、中国は経済的、商業的見地からだけでBRIを展開しているのではない。中国の国防上の目的は世界にその影響力を浸透させることであり、シルクロードの究極の目的である。たしかに道路も鉄道も、橋梁もつくられた。だが、金融的側面からみても、そこには透明性がないうえに説明責任を果たしていないではないか」と激しい批判だった。

 シュライバー国防次官補は、ポンペオ国務長官ヘルシンキ発言と同時期に、新彊ウィグル自治区における強制収容所問題を取り上げ、150万人のムスリムが拘束され、再教育と称する非イスラム化、「漢化洗脳」を行っていると強く非難した。
国防総省の幹部が、ウィグル問題に言及するのは珍しいことである


 ▲「イスラム聖地の破壊はここまで進んでいた」と英紙ガーディア

 さて、問題はそのウィグルだ。
 英紙『ガーディアン』は、衛星探査専門家と組んで、ウィグル上空からの撮影記録を精密に調査し、近年だけでも31のモスクと、二つの巨大な神殿が破壊され、2016年から2018年の間に、ムスリムを隔離し、再教育をなし、聖地に近付かないように監視態勢を強化し、また外国人のトレッキングもみとめない期間に、神聖なるモスクを破壊しつくしていたと報じた。
 中国全土にムスリムは2000万人、モスクならびに宗教施設は三万五千箇所あった。 

典型的な聖地のひとつはタクラマカン砂漠にある「イマム・アシム神殿」で、幾つかの複合的な神殿をフェンスで囲み、八世紀頃からお墓のまわりに巡礼者があつまって祈りを捧げる聖地とされてきた
2011年頃の写真を見ると、無数の布が張られ、まるでチベット仏教とシャーマニズムが混在しているような風景で、イスラム遊牧民につたわって伝統的習俗のうえに、新しい信仰儀式が重なっている印象を受ける。

現在、墓地をのぞいて全てが破壊され、建物は撤去され、しかも巡礼者はいない。ホータン地区で最大の宗教祭礼は中止されたままとなった。モスクの破壊は2016年から2018年のあいだに行われた。
聖地巡礼イスラム教徒のつとめであり、比較的自由にウィグル族サウジアラビアのメッカ巡礼をするひとが多かったし、財政的にサウジまで行けない人々は国内の聖地を巡礼してきたのだ。


▲モスクの多くが破壊され、埋められ、聖地が消えてしまった

 カシュガルやホータン(和田)では文革時代にも破壊されたり、倉庫に使われたモスクがあった。だが、2016年以来の中国共産党の遣り方は、完全な破壊であり、イスラム宗教施設の絶滅にある。
中国の言い分は「施設は環境が悪く、昭明、電器系統、エアコンディションをそなえた近代的な建物に造り替えているのだ」と強弁を繰り返しているが、ムスリムはそんなことを誰も信じていない。

カルギリク地区にも高いミナレット、豪華な入り口の門などがあって、庭園には花々が咲き乱れ、オアシスとしての水、緑豊かな木々があった。このカリギリクのモスクは完全に無くなっていた。
 英紙ガーディアンは、上空からの偵察を専門家と協力して行った結果、「多くが破壊され、埋められ、聖地が消えてしまった」と伝えた(2019年5月7日)。

 陳全国はチベットから転じて、新彊ウィグル自治区の党書記となるや、「宗教活動を厳密に規制し、イスラム文化の表現をやめさせ、辻々には検問所を設け、顔識別とAI機器を駆使して手配者の逮捕を強化し、さらに砂漠に次々と強制収容所を設営し、拷問による改宗を強要した」(『TIME』2018年8月27日号)。 
 陳は団派から習近平に靡いた結果、幹部入りした人物である。

 危険な宗教や民族的な慣習を廃止し、信信仰の迷妄からさめて科学社会主義に社会を変える使命があると、陳全国ウィグル自治区党委員会書記は叫び続け、強圧的な漢化政策を実施してきた。
やがて新世代はモスクの存在も知らず、いやウィグル語も満足に喋れなくなり、ウィグルとしてのアイデンティティを失う。これが中共産党の進める政策であり、西側が民族浄化と非難する遣り方なのだ。

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