パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

支那政治の不安定は支那人に染込んでゐるところの金錢慾



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)7月31日(水曜日)
        通巻第6155号  <前日発行>
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 (本号はニュース解説がありません)
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  樋泉克夫のコラム   樋泉克夫のコラム   樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1931回】          
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(24
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年

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 アメリカの建国神話は、17世紀初頭の「巡礼始祖」(ピルグリム・ファーザーズ)から始まる。英国国教会を強制するジェームズ1世の迫害を逃れた清教徒ピューリタンがメイフラワー号に乗って大西洋を渡り、プリマスに第一歩を印した後、未開の広大な平野を開拓しながら西へ西へと進み、艱難を克服し粒々辛苦の末に太平洋岸に達した――これが『USA式正統史観』だろう。
だが、その裏側で手当たり次第にバッファローを撃ち殺したように先住民族であるインディアンを虐殺していたはずだ。いわば星条旗の赤のストライブは、無辜の先住民の無念と恐怖の血の色ではなかろうか。

  おそらく建国神話の裏側に隠された先住民虐殺というトラウマの裏返しが「新しき支那の目覺を喝采」させるのだろう。であればこそ、「これ等の樂觀的議論を我々は殊に米國の宣?師の間に見る」に違いない。

  こう考えると、なぜアメリカが?小平の改革・開放政策に肩入れしたのか。
なぜ経済発展すれば民度が向上し、人々の間に民主化を求める声が高まり、やがて共産党一党独裁体制が崩れ、「民主中国」が誕生するなどと夢想したのか。
その遠因が判るような気がする。


 経済発展によって中国人が手にしたものは向上した民度などではなく、独裁体制をより強固にするための無尽蔵に近い『軍資金』を持ってしまった共産党政権であり、アメリカの「善意」は民主中国とは真反対の習近平一強体制による紅色帝国を作り出してしまった。どうやらアメリカは毛沢東に続いて?小平にまで裏切られたということになる。

  世間知では、2度あることは3度あると言う。
ということは、いずれ3度目の裏切があると考えておいた方がよさそうだ。

  米中関係を日本人の立場から言うなら、アメリカによる最初の、最大級のドンデン返しは何と言っても1972年のニクソン毛沢東の握手だろう。当時の噂では、大統領専用機がワシントンを出発する数時間前になってやっと、ホワイトハウスから「大統領訪中出発」の知らせが我が首相官邸に届けられた、とか。
だとするなら、2度目のドンデン返しに備えておく必要があるはずだ。1970年代初期とは違って、いまやツイッターという強力無比のメディアがあることを、我が政界要路は努々忘れてはならない

  鶴見に戻るが、楽観論に次いで、「ジエー・オービー・ブランド氏支那論」を援用しながら悲観論に言及する。

  「支那の統一を妨げるものは、學生の政治論であ」り、支那政治の不安定は支那人に染込んでゐるところの金錢慾であ」り、「支那の政治家の弱點はその勇氣の缺乏であ」る。これを総括するならば、「支那人の金錢慾は人口過剩より生ずる生存競爭に根ざすが故に」、人口問題の解決が先決である。だが人口過剰は彼らの根幹である家族制度に起因するがゆえに、「今日の如き家族尊重の傳統を有する間は支那は救濟されない」と

 これを要するに「今日の如き家族尊重の傳統」が改まらない限り、永遠に「支那は救濟されない」ことになる。
であればこそ、経済成長がもたらす豊かな生活に伴って猛烈な速さで進行する少子高齢化によって「今日の如き家族尊重の傳統」に歯止めが掛れば・・・とも考える。だが、さて、そうなったとして「支那人に染込んでゐるところの金錢慾」はどうなるのか。限りなく不透明だ。

  さらに「學生の政治論」も大問題だ。
科挙の伝統から抜け出せず、学問の最終目的を経世済民(せいじ)に置く。であればこそ歴代王朝を揺るがせた政変の背景に儒教的価値観を巡る対立が加わり、権力争いを一層複雑化させてしまう。とどのつまり「學生」、いわば文人・知識人の理屈は精緻に過ぎバーチャルに流れ、屁理屈に終わりがちなのだ。

QED
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【知道中国 1932回】           
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(25
  鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年

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 「學生の政治論」の弊害の1つが「筆杆子(ペン)」の機能だろう。「筆杆子(ペン=宣伝)」は「槍杆子(鉄砲=武力)」と結んで相乗効果を発揮する。「槍杆子」とは、毛沢東の言として余りにも有名な「槍杆子里面出政権政(政権は鉄砲から生まれる)」のなかのソレである。一般に毛沢東は「槍杆子」によって政権を奪取したように思われているが、「筆杆子」の働きは無視できない文革でも四人組の1人であった文芸評論家崩れの姚文元を筆頭に、「梁効」(北京大学と精華大学の超エリート集団)、「羅思鼎」上海市党委員会エリート集団)などの「筆杆子」を駆使し、政敵を理論(=屁理屈)でネジ伏せている。

  なにしろ「筆杆子」は権力者のゴ注文に応じ、古今の文献から屁理屈を無限にヒネリ出す。ウマをシカと、シロをクロと言うことなどは朝飯前である。
現在でも「筆杆子」は最高権力者の習近平のために忠勤に励む。習近平が一帯一路構想を掲げれば、そのための理論書や研究書の類は「瞬時・大量」に出版される。
まさに紙の爆弾による絨毯爆撃である。

 漢族の始祖と伝えられる三皇五帝の後を継ぎ、徳の高さによって政権を禅譲した尭・舜・禹のうちの舜を「中華民族漢族を中心に周辺少数民族を糾合)の始祖であり、禅譲という政権継承行為に顕現された自己犠牲と道徳性の統合の象徴であり、清廉潔癖な指導者」と褒め称え、「中華民族の高尚な道徳と民のために無私を貫く精神的価値を体現する舜」習近平に重ねた新編歴史京劇の『大舜』を、アッと言う間に創作し公演しまう。

 ところが、である。文革期に出版された歴史書には、「禅譲は原始社会が悲惨で残酷な搾取制度である奴隷制度へ移行する際の産物であり、舜は原始社会末期を反映し、部族連盟内の頭領に過ぎない」と記されている。
つまり毛沢東式正統史観では、舜は否定されてしかるべき存在だったということになる。

 いわば権力者のゴ都合に合わせて、どのような屁理屈であれ考え出し、学術的に粉飾し宣伝する。それが「筆杆子」に課せられた使命なのだ。

 文革期から現在に至る毛沢東華国鋒、?小平、江澤民、胡錦濤、そして習近平――いずれの最高権力者であれ、その周辺には「筆杆子」が控え、彼らの正統性、無謬性、万能性、道徳性、高潔性・・・超人性を訴える。これが現代の「學生の政治論」ということになるだろう。
だから文革期、日本の中国研究者や中国専門家、さらにはメディアの大部分が、文革版「學生の政治論」にモノの見事に引っ掛かってしまった事実・経緯を検証する必要があると痛感するが、それは後日の楽しみに・・・。

 「支那悲觀論」の次に鶴見は、「亞米利加人のエレン・ラモットといふ婦人の書いた支那論」である『北京の埃』『阿片商賣制度』の2冊を取り上げて、その「獨特なる支那論」について考えた。

 彼女は、日本の軍国主義は欧米諸国から非難されているが「歐洲列國が試みたる侵略主義に比ぶれば殆ど數ふるに足らざる輕微なもの」とした後、満洲で出会ったイギリス人青年の発言を引用して、「外國人の日本を排斥する眞相を論じ」た。

 その青年は「日本では外國人を自分達の同等なる人間として取扱ふけれども、支那に來ると、支那人は吾々を目上の人間として扱つてくれるからさ」と言ったというのだ。かくして彼女は、「外國人は皆支那に來ると、支那の保護者となつたような感じを持つ。隨つ支那の問題を自分の問題と考へるやうな心理状態となる。是れが全世界に蔓る支那贔屓感情及び排日感情の起源であると論じ」たという。

 鶴見は「一個の婦人が斯樣な眼を以て支那を觀たといふ事に自分は非常な興味を感じた」とするが、中国人には「支配されながら支配する」という得意ワザがあったような。
QED