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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和八年(2026年)1月8日(木曜日)弐
通巻第9104号
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「台湾は中国とはまったく別の国であることが証明された」と石平参議院議員。
中国に入国禁止になっているが台湾には何の問題もなく入国できた」
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石平参議院銀が訪台、松山空港に台湾メディアが殺到
https://www.sankei.com/article/20260107-2A6R4OL5WRAEXK4CW4KMVR3ONY/
「台湾は中国とはまったく別の国であることが、私は入国禁止になっているので、台湾では何の問題もなく入国できたことが、その証明となった」。
台湾の英字新聞[TAIPEI TIMES]の見出しは、
“Trip proves Taiwan is a country: Seki”
記事は以下のごとし。
https://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2026/01/08/2003850254
現地の報道のなかでも、もっとも詳細に、しかも客観的に報じた記事が下記です。
https://video.ltn.com.tw/article/QODVkucq69o/PLu6it9R0AYTIJqCPSSh1M6At-42WzJv0m
(要約)
独占インタビュー(『自由時報』、1月7日):「台湾が独立国であることを証明するために台湾を訪れた石平氏は、「中国に能力があるなら、二度目の制裁を課すべきだ」。
【陳玉富記者/台北レポート】中国政府の制裁により台湾への入国を禁止された石平衆議院議員は、松山空港で台湾を訪問した際、台湾の土を踏んだことで中華人民共和国と中華民国は全く異なる国であることが十分に示されたと強調した。本日、本紙の独占インタビューで、石平衆院議員は、台湾が独立国家であることを証明することが今回の訪問の重要な目的の一つであり、台湾の土を踏んだ瞬間にその目的は達成されたと述べた。中国に能力があれば、再度の制裁を課すべきだ。
石平氏は今回の訪問にはいくつかの重要な目的があると指摘した。まず、昨年9月に中華人民共和国政府から制裁を受け、中国への入国を禁止された。「中国への入国が禁止されたため、今回台湾を訪問した。そして昨日、無事に台湾に入国できた。これは、北京にある中華民国と中華人民共和国が同一の国ではないことの証明になる」。
「もし中国共産党が台湾を中華人民共和国の一部であると主張するならば、原則として台湾の領土への立ち入りは認められるべきではない」と強調した。つまり、彼は自らの行動を通じて、台湾は完全に独立した国であり、中華民国と中華人民共和国は互いに従属関係にないという単純な事実を示しているのだ。
中国からの報復や二度目の制裁を心配しているかとの質問に対し、石平氏は「私はすでに一度制裁を受けましたが、制裁は私に大きな影響はありませんでした。むしろ、私の評判と信用を高めてくれました。ですから、制裁を全く恐れていません。もし彼らに力があれば、二度目の制裁を受ける可能性もあるでしょう」と答えた。
石平氏は、何十年も日本に住んでおり、中国に資産は一切ないので、凍結する必要はないと指摘した。両親は亡くなっており、兄弟も中国にはいないため、親族に何かされるのではないかと心配していない。さらに、「中国行きを禁止されても、毎年台湾に来ればいいんです!」と付け加えた。
▼文革を経験し、天安門事件で中国とは別れを告げた
石平氏は「1962年に中国で生まれ、4歳の時に文化大革命が始まった」と語り出した。
「幼少期ではあったが、文化大革命と毛沢東時代に人民が受けた残酷な迫害と圧力を目の当たりにした。1980年代に大学に進学した後、中国は改革開放政策を開始し、外国からの情報が中国に流入した。彼の世代は中国共産党の全体主義的統治について反省し始めた。
大学時代を振り返ると、石平は当時、中国で民主化運動に関わっていたことを思い出した。1988年には日本に留学する機会を得た。1989年には天安門事件が起きた。愛国心に燃える私たちの世代の若者に対し、共産党は戦車を使って兄弟や同志を弾圧するしかなかった。六四事件は彼に中国共産党政権の本質を見抜かせた」。
「それ以来、私はもはや自分を中華人民共和国の国民とは考えなくなり、心の中でこの国と完全に決別しました。」
石平氏は、天安門事件後、学業を続けるために中国を離れ、日本の研究所でしばらく勤務したと指摘した。
1995年頃、中国で反日運動が起こっていることを知り、非常に不可解な事態に陥った。その後、江沢民政権が天安門事件から人々の目を逸らすために、中国で反日教育を開始していたことを知った。
石平氏は、この問題を日本国民に知ってもらう必要があると述べ、著書を執筆した。その後、20年以上にわたり日本の論評界で活動し、産経新聞で10年以上にわたり中国に関するコラムを連載しました。中国共産党に対して常に批判的な姿勢を貫き、日本国民に中国共産党政権への警戒を促したことで、多くの日本人から認められ、2007年には日本国籍を取得しました。
「日本の多くの支持者から『立ち上がって日本の政治を変えろ!』と声をかけられました」と石平氏は語り、多くの友人の励ましを受け、昨年は日本維新の会から公認を得て参議院選挙に立候補した。多くの困難に直面しながらも、日本国民の多大な支援を受け、ついに当選を果たした。
石平氏は、「今後、日本は台湾とあらゆる面で協力を強化し、中国の覇権主義に共同で対抗すべきだ」と主張した。
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((余滴))1973年、日本が台湾と断交して一年目。青嵐会の国会議員が二十数名、秘書団ならびにマスコミを随行し、JALをチャーターした大型訪台があった。筆者はそのとき随行記者団の幹事長を仰せつかり、各地の記者会見、歓迎会、集会などのイベントを取材した経験がある。
当時はまだ国民党の専制政治だったので現地のメディアは『連合報』と『中国時報』くらい、テレビは発達しておらず野党系メディアは地下出版だった。爾後、台湾では報道の自由が確立され、民放ラジオから、雑誌(党外雑誌)が発行され、台湾独立運動も合法化された。『自由時報』や『リンゴ日報』が創刊され、週刊誌も『壱』などが敢行され、台湾はまったくの自由を獲得した。
こんかいの石平参議院議員訪台では空港に多くのテレビカメラが押しかける“騒ぎ”となって、今昔の感を強くした次第だ。
☆○◎☆み◎☆◎○や○☆◎○ざ☆○◎☆き☆◎☆□
石平参議院議員訪台
ありがとう&ご苦労様