パルデンの会

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モン族の悲劇とチベット その1

モン族とは

 
中国南西部、ベトナムラオスビルマ、タイ北部を中心に分布する少数民族。自称モン、蔑称メオ中国ではミャオ(苗)族と呼ばれ、約740万人(1990年)が居住する。モン・クメール系のモン族と区別するために、英語標記ではHmongと書かれている。
(メオとか ミャオとかいう言葉は軽蔑語であることを押さえてほしい)

チベットとの関係は

アメリカCIA アダーホルトは1957年からチベットのカンパ族に対して軍事訓練を行った責任者。
http://www.korean-war.com/Archives/2000/10/msg00043.html

   1950年10月、旧ソビエト空軍はチベット侵攻する中国人民解放軍に武器、
   弾薬、食糧をパラシュート投下していった。スターリン毛沢東の密約であっ た。
   この為、チベット軍部隊とその家族たちが空爆や掃討作戦で幾度と
   大量虐殺(ジェノサイド)された。1959年からの「民主改革」、
  1966年から10 年余に渡る「文化大革命」は、チベット全土を人民公社化し、
   チベット人を「社会主義民族」化させた。また、6000余の寺が破壊され、
   盗まれた黄金仏像は 中国本土に運ばれ金塊に化けた。
   チベット人の主食の大麦が強制徴収された為、30万人余りが餓死してい

ラオスのロンチェンベース、タイのタクリベースに集めて、沖縄、コロラド州キャンプ・ヘールへ移して訓練していた。
1960年嘉手納から飛び立ったU-2がスベルドルフスクでソ連に撃墜され、チベットへの支援を一旦中止。このとき14000人のカンパ族を投入していた。補給が途絶えて、餓死者、凍死者が出ている。
その後、1971年にキッシンジャーニクソン訪中で米中国交樹立、カンパ族に対する補給がなくなる。ネパールが中国寄りになり、チベット武装勢力を1970年代半ばに武装組織の抵抗運動が終わる。

1959年のダライ・ラマ脱出の際、アメリカ人アントニー・ポー(Anthony A. Poshepny)が協力していた。チベットからネパールに毎年1200人1300人ぐらい脱出してきていたが、2008年3月以降は3,4人しか成功していない。

モン族は1970年以前は アメリカとの傭兵として、チベットのカンパ族の支援にチベット各地にゲリラとして送られたが、1970年以降は ベトナム戦争に投入された


ホーチミン・ルートの9割はラオスを通る。ここに米兵を投入すると犠牲が大きくなるので、モン族を使う。まだ7000人ラオスに残っている。兵士が2000人で残りが非戦闘員。
モン族については、1999年毎日新聞社から「モンの悲劇」が出ている。
雲南省に住んでいたモン族が中国の弾圧で南下。中国ではミャオ(苗)族と呼ばれている。ミャオというのは野蛮人という意味で、ビルマやタイでもメオと呼ばれている。ラオスベトナムでは、モンと呼ばれている。

チベット・中国問題研究所から竹内正右氏「チベットが消される日」

1961年1月、ケネディ大統領就任後、ラオス北部の奥深い渓谷ロンチェンで、 ひそかに米軍基地が創設され、そこでモン族の特殊部隊が組織された。ラオスで実行された特殊戦争戦略の一環で、モン部隊は、インドシナ戦争の激戦の中で、 最も命の危険をおかす前線部隊を担った。このことが、タイ、ラオスベトナム等で山岳民族の一つとして扱われているモン族が、1999年現在で、全米で16万人生活している事実と大いに関係がある。 

また、モンは、第2次インドシナ戦争ベトナム戦争)の時期に、米軍にだけ利用されていたわけではない。様々な時期に、フランス軍、ベトミン軍、北ベトナ ム軍、パテトラオ軍などとさまざまな軍隊に召集されて特殊戦闘部隊を構成、各国軍の命令に従い、前線部隊に投入されていた。

米 国に居住するモンの人びとの風習や文化をめぐって、米国人との間で生じている軋轢の状況から、家族殺害・自殺に至る精神的障害、更には黒人・白人によるモ ン襲撃や、犯罪に走るモン人のことまで、今米国に住むモンを取り巻く状況についていろいろと紹介している。1990年数人の白人による日本人留学生殴打事 件があったが、その真相は日本人をモンと間違えての犯行であったというのは知らなかった。祈祷での阿片使用や豚を犠牲獣として捧げること、モン伝統の略奪 結婚(ジー・ポー・ニャム)などの伝統風習・文化が生む軋轢から、「赤ん坊ばかり生む」「稼ごうとせずぶらぶらしている」「公共アパートはモンで占領され た」「福祉金をなぜ我々が支払わねばならないのか」「ラオスに追い返せ」など米国人からの排除の声は、モンに限らず外国人移民をめぐる世界各地で聞かれる 共通した問題であろうと思うが、もともとラオスの土地が嫌でアメリカを望んできたわけではなかったモン族の歴史と事情については正しく知られるべきではな かろうか? 
『モンの悲劇』暴かれた「ケネディの戦争」の罪         
竹内正右 著、毎日新聞社1999年1月発行 

モン族のラオス送還開始=国際社会の抗議の中で-タイ政府

12月28日22時32分配信 時事通信
 【バンコク時事】タイ陸軍は28日、同国難民キャンプで生活する少数民族モン族数千人のラオス送還を開始した。AFP通信が伝えた。モン族の送還をめぐっては、帰国後に迫害を受けるとして、タイ政府に対する国際社会の抗議の声が高まっていた。
 送還を指揮するターナ大佐は記者団に対し、「強制送還は、現地時間午前5時半にスタートした」と述べた。兵士ら5000人が北部ペチャブン県ファイナムカオ村に入り、4000人以上のモン族を集め始めたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091228-00000153-jij-int

タイ軍、モン族約450人をラオスへ送還 米国が抗議

12月28日16時54分配信 CNN.co.jp
(CNN) ラオスからタイに流入し、北部のキャンプで暮らしている少数民族モン族の一部が27日、バスで送還された。ラオス政府による迫害を懸念する人権団体などから非難の声が上がっている。

タイ政府の発表によると、送還されたのは、ペチャブン県フアイナムカオのキャンプに収容されていた448人。軍大佐は国内向けのテレビ番組で、対象者の一部が抵抗したと述べ、送還に応じない者には強制的な措置を取らなければならない、とコメントした。

タイ政府は年内にも、このキャンプからさらに3900人を送還する方針だ。

モン族はベトナム戦争で米軍に協力。1975年、ラオス社会主義政権が樹立されたため、迫害を恐れてタイへ逃れたとされる。一方タイ政府は、モン族に亡 命申請を認めず、経済的な理由でラオス流入した不法入国者だと主張。ラオス政府との交渉で、モン族を全員送還するとの合意に達していた。

米国務省は同日、「タイ政府は、モン族の多くが保護を必要とすることを認識していた」と指摘。送還によって「多くの人々の生活が脅かされる」と抗議した。 
最終更新:12月28日16時54分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091228-00000012-cnn-int

<タイ>モン族のラオス送還に着手 欧米は中止を要請

12月28日20時44分配信 毎日新聞
バンコク西尾英之】タイ政府は28日、同国北部ペチャブン県のキャンプに収容されている少数民族モン族約4400人のラオスへの送還に着手した。欧米 各国や国際人権団体は「送還されればラオス政府による迫害を受ける恐れがある」と中止を求めるが、タイ政府は「ラオスでの迫害は過去の話」として送還を強 行する姿勢を崩していない。

 ラオスのモン族はベトナム戦争当時、非公式に米中央情報局(CIA)に協力して共産勢力と戦い、ラオス社会主義政権が発足した75年以降、弾圧を恐れ て多数がタイなどに流出した。送還されるのはその人々と子供たちで、ベトナム戦争が生み出した「最後の難民」とも呼ばれる。

 タイはラオスからのモン族について、政治的迫害を受けた難民とは認めず「大部分は仕事を求めて流入した不法移民」との立場。今年に入りラオスとの間で、 最後までタイ領内に残った約4400人の年内送還で合意。この日、当局はキャンプに数千人の軍兵士らを動員し、厳戒態勢を敷いて送還に着手した。

 これに対し欧米や国際人権団体は、モン族の帰還後の扱いに懸念を抱いている。米国務省報道官は「送還は人権に関する国際原則に反する」として、タイ政府 に中止を求める声明を発表。AP通信によると、人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」のタイの代表者は「(送還は)ぞっとする行為だ」とタイ政府を強 く非難した。

 同通信などによると、ラオス外務省報道官は送還されるモン族を「ラオス国民」と認め、一時的な住居を提供するなど「面倒を見る」用意があると強調している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091228-00000085-mai-int