パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

戦後66年目の 終戦記念日に靖国神社に 日の丸を見、チベット国旗を思う



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我が国の国旗としてわれわれは 日の丸に敬意を持ち 自分たちの誇りとして
守ってきた。 今年はその日の丸を持った 1000人近くの人々が
われわれの発展の礎になって亡くなられた英霊に対して 感謝と鎮魂を伝えに
靖国に参集した。 黙々と唯 歩き 靖国に 「海行かば」を奉じた。

我々の社会には この国旗や 国歌や 天皇にさえ反対するものがいる。
さりとて 彼らには 何もその反対に対してのお咎めもない。
民主主義であるからだ。 自由なのである。

チベット国は ダライ・ラマ13世を通じて 大戦前日本との国交が樹立され、
その国旗の正式制定にも我が国 旭日の図案を取り入れている。

そのチベット国が 戦争中 アメリカより 中国支援に向け 日本軍の背後のインドからの
武器、食料の空輸に際しての 搬入承認を求められた。
即座に チベット国は 承認を断った。 日本はチベットとの交流を始め、友好国となって
いたのであった。 友好国が窮地に追い込まれるような アメリカの作戦を 法王を含めた
チベットの政府は 承認せず 終戦になった。

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チベット国旗 

終戦になると 中国は イギリス、フランス、アメリカ、ソ連等 が組んだ連合国側となり、
その連合国側に 刃を向けた 日、独、伊 は敗戦国となり、その敗戦国に組した
チベットも 敗戦国扱いとなった。 その部分が 中国がチベット国を侵略していく流れで
同じ戦勝国のイギリス、フランス、アメリカ、が 文句をつけられなかったのかも
しれない。 敗戦国の友好国として 戦勝国に圧力を加えられて 最後には国内事情で
ダライ・ラマ14世が 17条の嘘つき条約に署名を強いられ、それを払いのけるべく1957年
よりの 抵抗運動 そして 敗北と同時の 敗走と亡命政権樹立。

戦後15年で 国旗も国歌もすべて取り上げられてしまった チベット国。
それ以来 チベット国旗を掲げて 3年や5年の 懲役刑や良心の囚人に対する
死を含んだ虐待の数々がチベット自治区、それ以外の 四川、甘粛、青海、雲南
でも 繰り広げられてきた。
今も ヨーロッパやアメリカで チベット人が 国旗を掲げて 中国に抗議を行うも
中国人は そのチベットの国旗に 火をつけたり、破ったりの行動を行う。

自由に 日本国旗を揚げ、 日本国歌を歌うことの すばらしさ、自由を 
チベット人のおかれた環境と比較して よく感じていただきたい。

そして チベット国が中国の占領下にあるのも、我が国への配慮があだになって
いることを かみ締めていただきたい。

戦前 チベット国との国交を通じて 日本の発展を信じた 多くの英霊が たくさん
靖国で我々を 見守っていることを考えてください。

チベット独立を言う人の中に、日本国旗を否定し、日本国歌を否定し 九条を守ると称する
人がいる。 
チベット国がこういう風に置かれているのも 日本人が 国歌、国旗に集まり 天皇をいただいた国を 2000年にわたって 安らかに守ってきたことに対して チベット人が共感し 
友好を結んだことも、遠い原因となっており 
戦勝国側としては 日本の友好国はすべて 戦勝国の敵であるという 理屈があることにも 考えをめぐらしていただきたいと思う。
もちろん 歴史的に見て それは間違いであったことは明白である。