病院でもらう咳止め薬よりも断然効果が高い…医師の間では常識「ひどい咳がラクになるスーパーで買える食材」なぜ医師はそれでも「かぜに効かない薬」を出すのか
過去最大級のインフル大流行
年末年始の「奇跡の9連休」が終わり、また「日常」がはじまった。連休中には、このときばかりに日ごろ行くことのできない海外旅行を満喫した人もいただろうし、浮かれる世間とはまったく関係なく、年末年始も仕事をし続けていた人もいただろう。逆にこの連休のせいで働く機会を失い、収入を減らしてしまった人も少なくなかったかもしれない。いずれにせよ、長期の連休は私たちの生活に大きな影響を与える。
とくに真冬の大型連休は、ゴールデンウィークやお盆時期とは異なり、人の移動にくわえて気温の低下と空気の乾燥が進むことから、感染症の流行を引き起こしやすい。じっさい今シーズンはコロナ禍以降で最大級のインフルエンザ大流行となった。若干ピークは過ぎたとはいえ、今なお医療機関には多くの発熱者がつめかけ、問い合わせの電話も鳴りやまない状況だ。
問い合わせの電話がつながっても、受診できるかどうかはわからない。医療機関側としても時間もマンパワーもリソースも無限ではないため、診療を一定程度制限せねばならないからだ。さらにやっと受診にこぎつけても、検査キットがないので確定診断が下せないと言われてしまった患者さんもいるだろう。
なぜどこも検査キットが足りないのか
コロナ上陸前であれば、この時期の急な発熱と咳、のどの痛み、関節痛といえば、わざわざ検査などしなくても「インフルエンザ」と診断できた。もちろん当時も検査キットはあったし、診断に迷う場合には私も検査を活用したが、診察所見でインフルエンザとの診断に矛盾がなければ、検査をせずに「インフルエンザ」と診断していた。
だから検査キットが一気に枯渇してしまうことはあまり経験しなかったし、かりにキットがなくても診断を間違うことはまずなかった。だが2020年以降、そのやり方は大きく変わってしまうこととなった。発症早期では、インフルエンザとコロナの症状は似ていることも少なくなく、症状、診察所見だけではこれらを鑑別することが非常に難しくなったからである。
このため、急な高熱と咳、のどの痛み、鼻汁といった症状を呈して受診された方には、やはり検査をすることになる。昨今、医療機関で検査キットが枯渇しやすくなっているのは、こうした理由もあろう。
それにくわえて、薬不足もここにきて深刻化している。すでに多くの人がメディアで見聞きしているかもしれないが、この数年ジェネリック医薬品をはじめとした薬剤の供給が非常に不安定となっている。
そもそも「かぜ」は病名ではない
その理由は、医薬品メーカーの不祥事などによる業務停止処分が発端といわれているが、それだけでなく、そもそもの医療費抑制政策としての薬価切り下げや原材料費の高騰によりメーカーが利益率の低い医薬品の増産をためらうといった構造的な問題があるとされる。こうした背景のもと急速に需要が高まれば、当然ながらユーザーすべてに十分な医薬品は供給できなくなる。
じっさい今回のインフルエンザとコロナの大流行で、多くの人がその当事者となっていることだろう。「かぜ」を引いたからと、かかりつけ医にいつも処方される薬を頼んでも、「欠品なんですよ」と断られたり、代替品を出されたりという経験をした人もいるのではなかろうか。
ちなみに私がかぜに「」を付すのは、かぜとは病名ではなく、鼻からのどといった上気道から、ときに下気道とよばれる気管支に急性の炎症をおよぼす疾患の総称、「かぜ症候群」だからである。したがって医師による「かぜ」との診断は、症状や診察所見から「かぜ以外の疾患」が考えにくく除外されたときに、はじめて下されるものだ。医師が「診断はかぜです」と断言や明言せずに「おそらくかぜでしょうね」と濁した表現で“診断”を患者さんに伝えるのは、このためだ。
「かぜを早く治す薬」は存在しない
その意味では「かぜ」の診断は医師でさえ不確かなものなのだが、たびたび患者さんから「かぜ薬をください」と求められることがある。こうした患者さんが求めている「かぜ薬」とは「かぜを早く治す薬」であろうと推察されるが、かりに診断が「かぜ」で間違いないとしても、そもそもそのような特効薬は存在しない。これは昨今の薬不足の状況ではとくに、すべての人で共有されねばならない「事実」だ。
毎年冬になるとテレビには各製薬会社からさまざまな総合感冒薬のCMが流されるが、いまだに「かぜには早めの……」であるとか「速攻……アタック」といった、早く飲めばかぜを早く治せるやに思わせるキャッチコピーが溢れている。これらの“誇大広告”、いや医師からすればかなり怪しい広告がこうした「かぜを治す薬が存在する」との誤解を生みだし続けている最大の原因だと私は思っている。
そしてこのような宣伝に誘導されて市販薬を買って飲んではみたものの、症状が治まらずに受診される人も少なくない。こうした人は「市販薬で治そうと思ったのですが、やっぱり医師の処方薬でないと治らないと思って」と医療機関を訪れる。
一方で「いやいや、かぜ薬は治すものではなくて、症状を緩和するものでしょう。それくらいは知っているよ」という人も、最近は少しずつ増えてきた。しかしこうした人でも、「市販薬ではなかなか効かないので」と医療機関を訪れる。
処方薬と同じ成分、用量であっても効果はほぼ同じ
もちろんこれらの人のなかには、市販薬で症状が改善しない理由が、そもそもの診断が「かぜ」ではなく、細菌性肺炎や化膿性扁桃腺炎のような抗菌薬による治療を必要とするものである可能性もある。したがって市販薬が効かないことを理由に受診すること自体は、まったく間違いではない。
しかし、こうした特別な薬剤を必要とするものではない、圧倒的に多い「かぜ」の患者さんについていえば、市販薬が効かない理由は、それが市販薬だからではない。さらに言ってしまえば、医療機関で「かぜ」の患者さんに私たち医師が処方する薬にも、「効く」といえるものはない。
市販の総合感冒薬に含まれている成分を見てみると、解熱鎮痛剤、去痰剤、抗ヒスタミン剤、中枢性鎮咳剤などが一般的だが、これらの市販薬に含まれている成分と、医師が処方する薬の成分はほぼ同じであることが、その理由だ。
最近では解熱鎮痛剤や去痰剤などの用量を処方薬と同じレベルに増やしたものを“売り”にしている商品もあるが、これとて効果はほとんど変わらない。そもそもこれらの成分一つひとつに、症状を緩和させるエビデンスを持つものも、ほとんどないのである。
咳止め薬を飲むならハチミツのほうが断然いい
たとえば鎮咳薬として処方薬でもよくつかわれる「デキストロメトルファン」(メジコン)は、海外の小児の咳を対象にした研究で、プラセボ(偽薬)と比較しても改善推移、有効性はほとんど変わらないという結果がすでに20年以上前に複数出ているし、むしろハチミツのほうが「効く」とされているのは、医師の間ではよく知られている。
市販薬にはこれよりもさらに「強い」とされるコデインが含まれているものもあるが、市販薬では効かないという患者さんの実感どおり、これとて「かぜ」の咳にはほとんど効かないと考えてよい。
むしろ痰のからんだ咳を薬の力で強力に抑えてしまうことは、それこそ危険だ。咳は炎症によって増えた汚い痰を、体外に弾きだす「生体防御反応」だからである。この重要な咳の反射をこれらの「強い薬」で脳の中枢に働きかけて止めてしまうと、この汚い痰が気管支から体外に排出できなくなってしまうのだ。
「かぜ」であっても、インフルエンザやコロナであっても、多くの患者さんがつらいと言う症状は、このような咳や痰がらみだ。医師としても、なんとかしてあげたいと思う気持ちはあるものの、この生体防御反応と自浄作用とを、薬という人間が作り出した人工物で抑え込むことは不可能だし、そもそも抑え込んではならないのだ。
すべて知っているのに医師が薬を出す理由
それを知りつつ「症状緩和のため」との方便で医師が処方するのが、鎮咳薬であり去痰薬なのである。そして先述したように、その成分は市販薬ともほぼ同じ。むしろ市販薬は、あらゆる症状を網羅すべく各成分が1錠に盛り込まれている「フルスペック」。医師が個別の症状に応じて処方するのを「アラカルト」とすると、市販薬はラーメンでいうところの「特製全部盛り」だ。
つまりいかなる薬にも「かぜ」を早めに治す効果はいっさいないばかりか、症状を緩和させるという効果についても、きわめて怪しいと言えるのである。医療機関で市販薬を凌駕する「かぜ薬」など出てくるはずがないことを理解いただけただろうか。つまり、咳、痰、鼻水といった「かぜ」の諸症状は、薬ではなく時間でしか解消できないものなのである。
医師ならこの事実を当然知っているのだが、医療機関に行けば「かぜでしょうね」との“診断”とともに「ではお薬を出しておきましょうね」と医師は言い、患者さんもその言葉に納得する、という状況が常態化している。
つまり医師は自分が処方する薬が「かぜ」に効かないこと、偽薬と同等のものであることを知りつつ処方しているのである。それはなぜか。もちろんカネ儲けのためではない。たんに患者さんに納得してもらう時間がないからだ。
「休んでください」と言われて納得する患者さんは少ない
さて読者の皆さんは、本稿をここまで読むのにどのくらいの時間を要しただろうか。そして納得できただろうか。
これまで縷々私が書いてきた内容を、一人ひとりの患者さんにわかりやすい言葉で相手の理解度を確認しながら語り、そのうえで「かぜに効く薬はありません。市販薬も処方薬も成分はほぼ同じ。処方薬のほうが効くわけではありません。かぜの諸症状を改善させるのは薬ではなく、時間です」と説明するには、ゆうに15分はかかる。
しかもこのような説明をされ、いっさい薬を処方せずに帰そうとする医師に納得できる患者さんは、いったいどれくらいいるだろうか。
冒頭でも述べたが、現在発熱外来には非常に多くの患者さんが詰めかけている。患者さん一人ひとりにかけられる時間は1~2分ていど。問診も診察もそこそこに検査し、型どおりの処方をするという流れ作業で人数をさばかざるを得ず、「事実」を患者さん一人ひとりに理解してもらうために、15分もかけていられないというのが実情だろう。
だから「かぜ」と“診断”した患者さんに効きもしない薬をつぎつぎと処方することになっているのだ。驚かれるかもしれないが、そもそも「かぜ」にたいする投薬は、医師の本来の仕事ではない。
「休むことが許されない社会」を変えるべき
先にも述べたが、「市販薬で治らない」という人のなかには、ときに「かぜ」ではなく抗菌薬の処方が必要な人もいる。私たち医師の本来の仕事は、この一見「かぜ」のように見える患者さんのなかから「かぜ」ではなく、治すための適切な処方が必要な人を見抜くことである。
現在臨床現場で足りないとされる薬剤のうち、発熱者や「かぜ」にかんするものとしてよく名前が挙がるのは、抗菌薬や鎮咳薬、去痰剤のたぐいだが、こうした医師の本来の仕事を踏まえれば、抗菌薬の欠品は非常に由々しき問題だ。
だが鎮咳薬や去痰剤についていえば、そもそもが絶大な効果を期待できるものではない。それを知らない医師はほとんどいないはずなのに欠品しているということは、やはり「効かない事実」を説明せずに「とりあえず処方」していることも、薬不足の大きな原因ではなかろうか。
「薬の欠品」は“先進国”としてあり得ない由々しき問題だが、これを奇貨として、無意味な処方と無意味な内服といった、過度な薬依存について、医療者とユーザー双方が思考し直す良い機会にしてはどうだろうか。
「かぜ」を治すのは薬ではなく、時間。休むことこそが治療。「咳を止めないと出勤できないので、咳止めを飲まないと」という、休めない社会構造がもしもあるなら、そんな社会をまず「治す」ことから始める必要があるだろう。
2025年1月20日は「大寒」でした。この日は一年の二十四節気の中で最後の節気でありながら、同時に新しい一年の節気養生のスタート地点でもあります。この記事では、古代中国の知恵をもとにした節気養生について、特に「大寒」を迎えたこの時期に適した方法をご紹介します。
古来、養生(健康管理)は自然界の季節や二十四節気のリズムに従って行うことが重要とされてきました。特に「大寒」は、一年の節気の起点と見なされており、この時期には人間の「肝の気」が特に影響を受けやすいとされています。そのため、肝臓の健康を整えることが、この時期の養生の大きなテーマとなります。加えて、肝と密接な関係にある脾胃(消化器系)の調整も重要です。
では、なぜ肝の気がここまで重視されるのでしょうか? その理由を理解するためには、古代の人々が自然と人間の関係をどのように捉えていたかを知る必要があります。古代の養生は「自然界のリズムと調和しながら生きる」という考え方を基盤にしています。この視点を知ることで、節気養生の本質を理解し、古代医学の知恵を現代の健康管理に活かすことができるのです。
「気」とは何か?
中国医学では「気」という概念が非常に重視されていますが、この「気」は現代医学では説明しきれない抽象的なものと考えられることが多いです。しかし、「気」とは一種のエネルギーであり、目に見えないものの、私たちの生活や自然界に確実に存在しています。
たとえば、現代では天気予報を毎日確認する習慣があります。「今日は寒いか」「風が強いか」「湿気が多いか」など、私たちは常に「天の気」を意識しています。この「天の気」は、人間の体内に存在する「気」と密接に関わっています。古代ではこの関係を「天人合一(天と人は一体である)」や「天人感応(天と人は響き合う)」という言葉で表現しました。
人体は小さな宇宙(小天地)とも言われ、外界の自然環境と同じように、内部にも「気」の変化が起こっています。この「気」のバランスを整えることが、健康を保つための鍵なのです。
人間の「気」の状態を直接見ることはできませんが、自然界の「気」の変化を観察することで、ある程度予測することができます。たとえば、気温や湿度の変化を感じ取ることで、体内の「気」の変化を予測し、病気を防いだり健康を保つ方法を考えたりすることが可能です。
毎日私たちの皮膚や鼻は、外気と接触しています。呼吸を通じて空気(気)を吸収し、体内のエネルギーの流れに影響を与えています。このように、自然界の「気」のリズムを理解することは、人体の「気」の状態を把握し、養生に活かすための第一歩です。
伝統的な中医学では、病気の診断や治療において「気」を中心に考えます。この視点を持たずに中医学を実践することは、その本質を理解していないことと同じです。現代医学的な考え方で中医学を取り入れるだけでは、十分な効果が得られない理由がここにあります。
節気とは何か?
「気」を理解するためには、その「気」がどのように変化するかを知ることが重要です。では、「気」の変化にはどのような規則性があるのでしょうか? その規則性を明らかにし、人間の体との対応関係を見つけ出せば、健康管理や養生に応用することができます。ここで登場するのが、「節気」と「季節」という概念です。
「節気」と「季節」は、いずれも自然界における「気」の規則的な変化を表しています。「気」の変化には明確なリズムがあり、誰でも日常生活の中でその規則性を感じ取ることができます。一年を通じて春夏秋冬の循環が繰り返されることは、誰もが知る事実です。この四季の変化は非常に安定しており、疑う余地はありません。そのため、「気」の変化も一定のリズムに従って進行するのです。
しかし、四季という大まかな分類だけでは、自然界の「気」の変化を十分に細かく表現することはできませんでした。そこで、古代の人々は一年をさらに細分化しました。
まず、1つの季節を3か月に分け、それぞれの月をさらに2つに分けました。これが「節気」です。「節気」は、自然界の「気」の変化が段階的に進むことを示す単位であり、「節」と「気」という2つの要素から構成されています。月初めの節気を「節」、月半ばの節気を「気」と呼びますが、どちらも「気」の変化を示す重要なポイントであることに変わりはありません。
こうして、1つの季節(3か月)は6つの節気から成り立ち、1年(四季)は全部で24の節気に分けられるようになったのです。
さらに「気」の変化をより小さな時間単位で捉えるため、「候(こう)」という概念も生まれました。「候」とは、「気」が5日間で一つのサイクルを形成することを指します。この5日間の「候」が3回繰り返されると、15日となり、1つの節気が完成します。私たちが日常的に使う「気候」という言葉は、まさにこの「候」から生まれたもので、「気」の小さなリズムが積み重なり、大きな季節や1年という単位を形作っていることを反映しています。
「気」の変化は、その時間のスケールによって異なる名前で表現されています。最も大きなスケールでは「年」として捉えられ、その次に「四季」という単位で分けられます。さらに細かく見ると「月」に分けられ、そこから「節気」という単位でさらに細分化されます。そして、最も小さな時間単位として「候」があります。このように、時間の長さに応じて「気」の変化は段階的に分けられているのです。
このように、「気」の変化はその時間の長さに応じて分類されます。「候」という言葉には「待つ」という意味も含まれています。これは、「気」がやってくるのを待つ、または「気」の変化が次の段階へ進むのを待つ、というニュアンスを持っているのです。このように、「気」の変化には一定のリズムと規則性があり、その流れを観察することで、自然界だけでなく人体の「気」の動きも予測することができます。
人体の経絡(エネルギーの通り道)や臓腑の「気」もまた、自然界の「気」と同じようにリズムを持って変化します。この変化を正しく把握し、気の流れが滞ったり混乱したりしている箇所を調整することで、健康を維持し、病気を予防することができるのです。節気を活用した養生法は、自然界のリズムと調和しながら生きるための知恵そのものと言えるでしょう。
大寒節気:冬の気が退き、春の気が訪れる
大寒は冬の最後の節気であり、春の気へと交代する節目でもあります。次の節気である「立春」から本格的な春が始まりますが、その準備として、気のエネルギーが変化する重要な転換点がこの「大寒」です。地上ではまだ冬の寒さが厳しい時期であるとしても、この日を境に寒気は春の気に道を譲り始めるのです。
冬の気は五行では「水」に属し、陰陽では「陰」に分類されます。「陰」は寒さや冷たさを象徴しています。一方、春の気は五行では「木」に属し、性質は温かく穏やかで、陽のエネルギーを持っています。春の気は上へと伸び、成長し、生き生きとした生命力を生み出す特徴を持っています。そのため、大寒を過ぎると自然界では木の気が動き始め、地中で植物が芽吹く準備が進むのです。やがて芽が地表に顔を出し、万物が生長を始め、生命が新たに動き出す春らしい景色が広がるでしょう。
植物が芽を出して土を押し上げる様子を想像してみてください。これこそが「木の気」の特徴です。「木の気」は生命を育む力を持ち、そのエネルギーは下から上へと力強く伸び、生命の源となるのです。大寒は、自然界がこの木のエネルギーを受け入れ始めるスタートラインでもあります。
大寒の養生:肝と脾を調和する
古代中医学では、木の気は肝の気と通じると考えられています。そのため、肝の気を「肝木」と呼びますが、これは具体的な肝臓という臓器を指しているのではありません。臓器は「気」が作用する基盤であり、「気」は臓器の機能を決定し維持する存在です。中医学では臓器そのものよりも、臓器に対応する「五行の気」に重きを置いているため、「肝は左に生じる」という表現があります。
この「肝は左に生じる」という考えは、現代医学の視点からは理解が難しく、「肝臓は右にあるのにどうして左から上昇するのか?」といった誤解を招きがちです。しかし、この言葉が指しているのは、肝臓そのものではなく、肝の「気」が左側、つまり東から上昇するということなのです。太陽が東から昇るように、木の気もまた東を象徴し、朝のエネルギーを表します。この木の気は、特に日本の文化や人々の性格に影響を与えています。
日本は「日の出の国」として知られるように、活力や前向きな精神、粘り強さといった特性を木の気から得ていると考えられるのです。
木の気には力強い生命力があり、下から上へと突き進むエネルギーを持っています。しかし、木の気が過剰になると、その力は暴風や地震といった自然災害を引き起こす可能性があるように、人間の体内でもバランスを崩しやすくなります。肝の気が過剰になり、潤い(肝血)が不足すると「肝火(肝の気が炎症を引き起こす状態)」に変わり、体にさまざまな不調をもたらします。
例えば、以下のような症状が現れることがあります:
- 心身の不調:イライラ、怒りっぽい、胸が重苦しい、不眠
- 目や喉の症状:目の乾燥やかすみ、喉の痛み
- 消化器の不調:胃の張りや痛み、便秘
- 筋肉や関節の問題:筋肉のけいれん、関節痛、皮膚の乾燥やかゆみ
さらに、肝の気が過剰になると、脾胃(消化器系)にも影響を与えます。五行では肝は「木」、脾胃は「土」に属しており、木の気が強すぎると土を圧迫するため、消化機能が乱れるのです。このため、日本人は特に脾胃が弱い人が多く、肝と脾のバランスを取ることが健康を保つために重要とされています。
大寒期に適した養生法
大寒は、木の気がまだ萌芽(もが)状態にあるため、このタイミングで肝の気を調和しておくことが大切です。勢いが強くなる前に調整をしておくことで、木の気が穏やかに春のエネルギーを体に与えるようにすることができます。具体的には、以下のような食材を取り入れることが効果的です:
1. 気血を補う食材
- 鰤(ぶり)などの青魚
- 人参、南瓜(かぼちゃ)、地瓜(さつまいも)、ほうれん草などの黄色や緑の野菜
2. 肝の気を調和する食材
- 大根、紫蘇(しそ)の葉、セロリ、ピーマン、ネギ、ニラなど香りの強い野菜
- 海藻類(昆布、わかめ、海苔など):滋陰(体を潤す)と肝の熱を抑え、気のバランスを整える効果がある
おわりに
大寒は、冬から春へと「気」の交代が始まる重要な節目の時期です。この時期に肝の気を穏やかに調整し、脾胃をサポートする食事を心がけることで、春に向けた体の準備を整えることができます。これからの季節に向けて、ぜひ自然のリズムに寄り添った養生を試してみてください。次回は、さらに詳しい食材や調理法をご紹介します!
(翻訳編集 華山律)