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拉致問題アワー】ソウル国際会議報告と衆院委員会での訴え[桜H22/11/17]

拉致問題アワー】ソウル国際会議報告と衆院委員会での訴え[桜H22/11/17]





★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.11.11)
拉致の起源は朝鮮戦争拉致-拉致問題で変化し始めた韓国

以下は、平成22年11月4日に開催した、「東京連続集会」の報告です。3回に
分けて送ります。

■拉致の起源は朝鮮戦争拉致-拉致問題で変化し始めた韓国

司会(平田隆太郎事務局長) 訪韓報告とともに、今日は衆議院で拉致特別委員
会があり、ご出席の家族会の飯塚さん、増元さん、横田さんも参加されましたの
でその報告もしていただきます。またその後、西岡会長、洪?先生から訪韓報告
と最近の北朝鮮情勢についても報告をしていただきます。

◆自由北朝鮮放送で参加家族全員の声収録
飯塚繁雄・家族会代表 北朝鮮による国際拉致解決連合の大会は3年前に東京で
行われた後、韓国で計画をしていましたが、当時の事情で延び延びになり、今回
の第2回大会が11月1日、ソウルで実施されました。

目的は、国際連携によって拉致問題の解決をめざすものですが、今回は、「北
朝鮮による拉致-期限、拡大、解決」というテーマで各国から参加し、プレスセ
ンターで実施ました。

前日の10月31日の日曜日には、自由北朝鮮放送のスタジオで家族の声を収録し、
北朝鮮に向けて放送されます。今回家族は、私と増元さん、市川さん夫妻、斉藤
さん、平野さん、松木さんが参加しましたが、すべての家族が収録しました。自
北朝鮮放送は今収入が厳しく、放送時間も短くなっていますので、今回は、家
族会、救う会拉致議連が支援金をお渡しもしました。

日本では「ふるさとの風」や「しおかぜ」を放送していますが、自由北朝鮮
送は視聴率が高く、それなりの効果が出ていると思います。

11月1日の国際大会は、日本語と英語の同時通訳で行われました。開会式では、
私と李美一さん、韓国戦争拉北人士家族協議会会長が挨拶をしました。李美一さ
んは、同会の努力で、今年3月に家族会を支援することが明記された「朝鮮戦争
拉致被害者名誉回復法」が成立し、9月に試行されたことが報告されました。こ
のことを韓国の家族会は大変喜び、救出はまだこれからですが、これまでの努力
が実ったと評価していました。武藤正敏大使や両国国会議員も来てくれました。

大会のことは後で西岡さんに報告してもらうことにして、大会の他、両国の議
員同士の朝食懇談会ではかなり具体的な論議が交わされたようです。また、国会
議長に面会しました。韓国は一院制ですから議長は一人ですが、日本の議員とと
もに意見交換しました。韓国も、ようやくと言っては失礼ですが、国会の中でも
動きが出てきました。今後日本との連携をはっきりおっしゃっていました。我々
も前からそう言ってきましたので、即、そのような連携体制がとれると思います。

韓国からも、日本の拉致問題対策本部のようなものを作ってほしいという要望
もありました。韓国は拉致被害者脱北者も多く、色々な情報もあると思います。

11月2日には臨津閣(イムジンガク)という北朝鮮を目前にした所で、風船に
メッセージを付けて飛ばしました。私たちとしては効果が感じられる大会でした。

なお、今回行ったのは被害者の兄弟ばかりでした。親の世代は高齢化し、なか
なか行けないという状況の中で、早く救出ができればなあという感じを持ちまし
た。

今日の衆議院拉致特別委員会では家族会から3人が参考人招致という形で話を
してきました。それについても後で話があると思いますが、活発な質疑が行われ
ました。しかし、「まだ拉致特別委員会の役割や働きが見えない」と言ってしまっ
たのですが、議員のみなさんにとっては、初めて聞く話であったりして、勉強の
場という感じで、西岡さんの話や家族の話が、「参考になった」という場面もあ
りました。この問題では、「超党派でやる」という委員長の約束もありました。

◆非難も制裁もしなかったので拉致が続いた
増元照明事務局長 いつも関心を持っていただき感謝します。2003年に韓国で北
朝鮮の人権問題をテーマに会議が開かれました。それとくらべ今回は、韓国が拉
致の問題についてやや前進したのではという感触を持ちました。これまでは、拉
致のテーマでは韓国政府が関わろうとしなかったのですが、今回は政府が関与し、
運営にも協力してくれました。政府高官と面会を果したのは今回が初めてです。
家族のことを知っていただく機会が得られたこと、国会議長に、日韓だけでなく、
ルーマニア、タイ、中国からも拉致されている事実を知ってもらったことも大き
なことでした。実際、議長は知らなかったということでした。拉致被害者を抱え
る国としては、もう少し考える部分があるのではないかと思います。そういう情
報が国会議長や議員に知らされたことはよかったと思います。バンジョン・パン
チョイさんやブンベア・ガブリエルさんに来ていただいた成果だと思います(韓
国紙でも報道あり)。

大会があった11月1日は、姉のるみ子の誕生日でした。そういう日に、そうい
う場所で拉致の話をしたというのは、姉が、「早く救出して」という心が通じた
からかという感じを受けました。数年前、訪米して、チェイニー副大統領の外交
スタッフやクリスファー・ヒル国務次官補に会って、「テロ支援国指定は絶対に
解除するな」と言ったのは11月15日で、横田めぐみさんが拉致された日でした。

テーマの北朝鮮による拉致の起源について強く感じたのは、朝鮮戦争で拉致さ
れた人のことについて、休戦協定を結ぶ時に、韓国側の代表がいなかったため、
拉致被害者について明確な話ができなかったことが、その後の各国での拉致につ
ながったという点です。拉致しても非難も制裁もされなかったことが北朝鮮に甘
い考えを植えつけたのではないか、ということです。そしてその後も韓国政府が
なんらアクションを起こさなかったことが北朝鮮の暴挙を助長させることになっ
たのではないかということでした。

日本の拉致問題も、明らかになりました。(1977年、実行犯が逮捕された)久
米裕さんの拉致の時、日本がはっきり北朝鮮の責任を問い、被害者の帰国を実現
していれば、その後の拉致はなかったかもしれないと前から思っていましたが、
その起源が朝鮮戦争にあったということです。

今回日韓の国会議員の連携が始まりましたが、今後は日韓、そして日米韓の連
携ができるような状況になれば圧力が強まると思います。また、脱北者の中で工
作機関にいた人は、拉致問題についての情報を持っている可能性があるので、そ
ういうこともお願いしました。安明進氏の前に北朝鮮の情報機関にいた人の情報
があり、そして安明進氏からめぐみさん拉致の情報が来たことを考えると、まだ
まだ埋もれている情報があるのではと期待しています。今日の参考人招致でも強
く求めました。

朝鮮学校授業料無償化については、拉致特の一人の議員は、「在日の子どもを
いじめるのでなく、堂々と支援すべき」と言われました。私は、それはいかがな
ものかと思います。しかし、そういう人たちが国会の中にいるわけです。西岡さ
んも家族会も今日は反対の意見を述べてきました。気持ちとして分かってもらっ
た人もいると思います。

私の姉たちの犠牲によって明らかになった大きな人権侵害、これの是正のため
に国会議員が働くべきだという思いで、今日は少し強い表現で申しました。

◆ヘギョンさんには会いにいけない
横田滋 今日は家族会と、救う会の西岡さん、特定失踪者問題調査会の荒木さん
が拉致特の参考人として出ました。通常は委員が大臣などに質問する場ですが、
今日は参考人が一人5分ずつ話し、我々との間で自由討議がありました。25人の
委員の内、16人は民主党で、委員長も民主党です。1時開始予定でしたが、本会
議が入ったため3時開始予定となり、実際は3時33分開始でした。また今日は、代
表とかそういう立場ではなく、家族としてそれぞれが話をしました。参考人とし
て呼ばれたのは、マスコミの人から、「今日で4回目ですね」と言われました。

私は、娘が昭和52年に新潟の中学生の時拉致され、20年後の平成9年2月に北朝
鮮にいることが分かり、拉致された時は13歳だったのが今46歳であること、北朝
鮮に拉致されてから11月15日で33年になること、つまり人生の多くを北朝鮮に拘
束されているとお話しました。一日も早く解決してほしいということと、拉致問
題は人権問題であると同時に、わが国の主権問題でもあります。今尖閣列島付近
海上保安庁の船に中国の漁船が衝突してきたことや、ロシアの大統領が国後島
を訪問して実効支配を強化することをしていますが、それに対し、「訪問は遺憾」
ではちょっと弱い気がしますが、駐ロ大使を召還しています。拉致問題について
はずっと何の対応もしていないわけです。

小泉さんの時は5人の方が帰ってきて、次の訪朝で家族が帰ってきてからは全
く動いていません。北朝鮮は福田総理の時に、「調査委員会」を作りましたが、
福田さんが急に辞めてからは、向こうは調査を先送りにしてしまった。麻生さん
がすぐに解散総選挙をすると思ったけれどしなかったものですから、麻生さんの
次の内閣を相手にしようということになった。その頃金正日が倒れたこともあり
ますが、その後1回も交渉が行われなくなりました。

我々は制裁も必要だけれど、交渉しなければ解決できないから進めてほしいと
頼みました。しかし、北は「解決済み」と言っているわけです。我々の家族は
「死亡」と言われましたが、あまりに若い時に亡くなっていることになります。
小泉さんが2回目に訪朝した2004年に、調査のやり直しをすることを約束させて、
その時は何回も交渉が行われたのですが、最後の11月15日にはめぐみの遺骨を持っ
てきて渡してくれましたが、それは鑑定の結果「別人のもの」ということで、北
の「死亡」には根拠がなく信用できるものではありません。