パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

拉致問題アワー】ソウル国際会議報告と衆院委員会での訴え その2

その2


我々としては、一刻も早く解決してほしいということと、委員の方からも、
「(めぐみさんの娘の)ヘギョンさんに会いにいくか」と聞かれましたので、
「行けば、現われて私の子どもの時のことだから詳しいことは分からない。お母
さんは死にました」ということで、「そうですか。分かりました」と言えば、
「死亡」を認めたことになるし、「あなたは嘘つきだ」と言えば、向こうの立場
を悪くする。「なんでおじいさん、おばあさん」を説得できなかったのかという
ことになるので、行かない方がいいという話をしました。

短い話ですが、5分くらい話をして、委員の方からの質問がありました。専門
家である西岡さんがおられましたので、西岡さんへの質問が一番多かったです。
政府ではないので、「どうして解決できないのですか」と聞かれても答えられる
立場ではないので、どう思っているかを聞いて、政府に質問するために聞くとい
うのが今日の目的だったと思います。回答みたいなものは何もありませんでした。
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.11.11-2)拉致の起源は朝鮮戦争拉致
拉致問題で変化し始めた韓国

司会 次に西岡会長と訪韓でご協力いただいた洪先生に報告してもらいます。

拉致問題で韓国が変わりつつある

西岡 韓国も変わりつつあることは間違いない。まだ足りないとは思いますが、
悪い方向ではない。2003年に家族会・救う会拉致議連訪韓し、日韓大会に参
加したとき、今回と同じように日本の国会議員にもたくさん行っていただいたの
ですが、韓国の政府関係者に会うことはできなかった。また、何人かの国会議員
は来てくれたが、国会議長に会うことはできなかった。今回の日韓の国会議員朝
食懇談会では、ハンナラ党の金武星院内総務が出てこられた。党内では代表委員
に次ぐナンバー2で、大統領も入れるとナンバー3くらいの人です。

また、日本からは議連の平沼赳夫会長を初めとし、自民党古屋圭司、山谷え
り子、塚田一郎先生、民主党松原仁北神圭朗、長尾敬先生と、7人の国会議
員が行ってくださった。早朝7時からの懇談会で、我々はホテルに泊まっている
からいいが、韓国の6人の先生は朝6時とか5時半に起きなければならない。国会
が9時から開かれるということで、あまり時間はないが、日本から7人も国会議員
が来たということで、韓国側は6人来てくださった。

また、黄祐呂先生は、我々が日本にお招きしたことがあり、北朝鮮人権問題に
熱心な方で、ハンナラ党の重鎮です。さらに韓国の保守で、韓国版「立ち上がれ
日本」のような「立ち上がれ韓国」ですかね、そこの自由先進党代弁人の女性議
員で朴宣映先生が来て下さった。この先生は、初日の晩餐会、翌日のセミナー開
会式、その翌日の朝食懇談会に出ただけでなく、党首の李会昌氏、元ハンナラ党
議員で、大統領選挙に2回出た人ですが、「平沼先生が来ているから会った方が
いいですよ」とアレンジしてくれて、家族会が臨津閣に行っている間に、議員団
は李会昌総裁に会いました。そのように熱心に協力してくださった。

ただ家族に頼まれて来たというのではなく、早朝の会に自分から来るとか、今
回の関係行事に3回も来るというのはこれまでにないことで、韓国にも拉致問題
に熱心な国会議員が出てきたなと思いました。これは韓国の家族会が10年間運動
してきた成果です。韓国の戦争拉致の第2期家族会は2000年から運動を再開しま
した。第1期は1953年からです。

また、今回の大会は、韓国政府の一つ統一部が後援し、一部の予算を出してく
れました。これも初めてのことです。日本大使館も後援してくれましたので、日
韓政府が後援する公式の国際会議に、ルーマニアとタイからも来て、ソウルで開
催した。そして韓国の国会議員にも積極的な人が出てきた。韓国のメディアでは
朝鮮日報が後援しました。大きな記事を書くと約束して取材しています。また、
日本のチャンネル桜のような韓国のインターネットのテレビがずっと来ていて、
ソウル大会等をユーチューブで見ることができます。そういう点で、拉致問題
ついて、少しずつですが、これは韓国の問題なのだという意識が高まり、韓国が
先頭に立って日本やタイ、ルーマニアの拉致も解決しなければならないという意
識が高まっているということを確認することができました。

今年3月、朝鮮戦争の時の拉致に関して、「朝鮮戦争拉致被害者名誉回復法」
が成立しました(救う会メールニュース2010.03.03)。その中に、「家族を支援
しなければならない」ということが入っています。そこで日本の先生方は、「韓
国でも拉致議連を作ってください、国会に拉致問題特別委員会を作ってください、
政府には拉致問題対策本部を作ってくださいと言い、そして連携しましょう」と
言いました。第1段階としては、今月(11月)末に東京で開かれる日韓議員連盟
の議題として、正式に拉致を取り上げる提案を韓国からするということです。こ
れまでは中井洽副会長(現会長代行)などが日本側から取り上げようと言ってい
ましたが、盧武鉉政権時代は、「取り上げる必要はない」ということでした。今
回は、金武星院内総務が韓国から提案すると言っていました。

もう一つは国会議長に会ったのですが、その時も金武星議員が同席しました。
その席で金武星議員から、日韓議員朝食懇談会の後、韓国側の韓日議員連盟の会
長の李相得さん、今の大統領のお兄さんですが、その人に会ってきて、11月末の
東京での総会で拉致問題を議題にしようと合意したとの報告があり、実際の動き
が出てきたことも大きな変化です。

我々が2003年にアメリカに行った時、上院の院内総務2人と下院の議長に会い
ました。今回は韓国で、院内総務と国会議長に会った。大統領には会えませんで
したが、2003年の訪米並みのことはできたと思います。
◆北による拉致の起源-朝鮮戦争時の拉致

大会の決議文(メールニュース2010.11.01)にありますが、「拉致問題の起源、
拡散、解決」を主題にしました。起源が朝鮮戦争の時の拉致だったわけです。民
間人拉致が10万人くらい行われた。その内、エリートの拉致と義勇軍の拉致があ
ります。

1950年6月に、北朝鮮の奇襲を受けて、3か月くらいソウル及び韓国の大半が北
支配下に入りました。国連軍の参戦と韓国軍の必死の抵抗でなかなか釜山が落
ちなかった時、北朝鮮は、ソウルの街を歩いている若者を強制的に拉致し、北朝
鮮の軍服を着せて最前線に投入したのです。それが「義勇軍」という形の拉致で
す。そして、北の軍服を着ているからといって、国連軍が一部を捕虜として北に
返してしまったのです。李承晩大統領は抵抗したのですが、国連軍は、北朝鮮
よる民間人拉致の実態を正しく理解しておらず、また休戦協定を優先することに
よって問題を解決しなかったのです。

休戦協定の交渉の時、国連軍は拉致という言葉を使わないで、失踪者に当たる
「失郷私民」という言葉を使ったのが間違いの元だったのです。日本も行方不明
者という言葉を使っておかしくなりました。言葉で妥協してはだめだということ
では同じだと思いました。本来なら休戦協定の時に、戦中に拉致された民間人の
返還を求めるべきだったのですが、それを国連側がちゃんとやらなくて、韓国政
府も力不足できちんと対応できなかった。その頃、最初の家族会ができました。
李美一さんのお母さんたち、被害者の妻たちが作った家族会が50年代、60年代ま
で活動するのですが、成果が上がらない中、むしろ被害者家族が連座制で監視さ
れるようになり、運動がしぼんでしまいました。その後韓国では家族会の活動が
なくなりました。

拉致は60年前の朝鮮戦争が起源で、金日成が戦争前から準備をしていて、集中
的で計画的な拉致が行われたのです。そして韓国の家族会が必死の努力を続けた
けれども、休戦協定で適切な対応ができなかった結果、被害者は抑留され続ける
ことになった。

◆制裁されなかったために拉致が拡大
そ して、大規模な拉致をしたにも関わらず、制裁を受けなかった北朝鮮は、休
戦後も漁船の拿捕や韓国の民間機ハイジャックなどで拉致を続けた。これが2番
目の拉致です。3番目は70年代後半に、「工作員の現地化教育のため現地人を連
れて来い」という金正日指令で拉致が集中的に、全世界で行われた。タイやルー
マニアもこの時期です。

それについても国際社会が何もしなかったので、その結果、大韓機爆破事件が
起きてしまったし、今も中朝国境で脱北者を助けている人たちが拉致され続けて
いる。韓国のパスポートを持って助けに行った脱北者も、朝鮮族も、韓国の牧師
も拉致されている。

そこで我々は決議文で、「戦わなければ被害が拡散する」としました。他人事
にしていてはならないのです。そして「共に戦いましょう」と確認することがで
きました。この決議文は、日本、韓国、タイ、ルーマニアの家族の合意した決議
文です。韓国の中では、朝鮮戦争中の拉致、戦後の漁船の拉致、大韓機のハイジャッ
クの拉致の会も合意し、我々救う会も、アメリカの北朝鮮人権連帯も合意したも
ので、これも成果だと思います。

私の評価は甘すぎるかもしれませんが、韓国の中で今、拉致問題はどうなって
いるのか、洪●(榮の木を火に、ホン・ヒョン)先生に説明していただきます。

◆史上初めての日韓政府後援は北への圧力

洪 今回大きかったことは、日韓両国が、拉致問題で北に対しての圧力をかける
大会になったことです。拉致問題で、韓国政府と日本政府が同時に後援したのは、
多分これが歴史上初めてだろうと思います。韓国政府は統一部、日本政府は在韓
日本大使館です。

実は明日まで、金剛山で南・北離散家族の面会が行われています。北がこちら
に合わせたのか、こちらが北に合わせたのか、これが偶然だったのか分かりませ
ん。北からは60年前の韓国戦争で戦死者として韓国当局の名簿に入っていた人が
4人出ました。北が曽我ひとみさんを日本に出したように4人を出したのです。実
は、韓国側から、今度60年前の戦争捕虜と拉北者26人の生死の確認を依頼しまし
た。すると一人は死亡、あとは確認不能ということでした。今まで北は韓国に、
「抑留した捕虜はなく、国軍出身者はいる」と言っています。

西岡 確認ですが、離散家族再会というのは3日間ずつで、韓国の家族が、「こ
の人に会いたい」と申請する。北側が韓国の中から約100件弱を選んで会わせる。
それが3日間続きます。関係者約400人が金剛山に行って会います。次に、北から
「この人に会いたい」と申請し、同じように3日間金剛山で会います。

最初の3日間の時に、韓国側のリストに乗っていない人が、「自分は離散家族
だ」と言って出てきた。韓国戦争で戦死とされた人が生きていたのです。本当は
韓国軍の捕虜です。返さないで、「北朝鮮はいい国だから自分は残った」という
人が4人出てきた。捕虜であれば返さなければならない。つまり、死亡とされた
捕虜がたくさんいるということが分かったのです。