しかし 我々の社会の起源がチベットに逆戻れるならば、我々の心の祖先を消し去ろうとする「中国共産党」には すべてを投げ出して チベットで保たれた『仏教』を根絶やしにされないような支援行動は 我々の義務であり ご先祖様に対するお礼でも
あるはずです。
崗上虜囚の備忘録より転載
Y遺伝子から見る侵略の跡 |
人間は何故、集団を作り国を作ったのか。漫然と遺伝子の分布を見ても分からない。国境などないではないかと見えてしまう。それでも人間は国家を作り、国境を作った。
下に掲げた地図は、父から息子へと、男性のみに受け継がれるY遺伝子(Y-DNA)の、東アジアにおける分布図である。 これを見ると、東アジアではC、D、O、Nタイプだけが大半を占めていることが分かる。地図には、各DNAタイプをさらに分けたのを色分けしている。 Y-DNAはAからRまで存在するが、枝分かれしたグループで分けると、人類発祥の地のアフリカに存在するAとB以外では、Cグループ、DEグループ、F~Rグループに分けられる。
日本に注目すると、日本はこのCグループ、DEグループ、F~Rグループの全てが存在する。この3グループ全てを含む地域は日本以外ないと言われている。 地図を見れば分かるように、日本列島には、C1(紺)、C3(空)、D2(緑2)、O2b(橙)、O3(黄)、N(紫)のタイプがいることが分かる。この 内のD2タイプは日本にしかいないタイプである。日本が特殊だと言われているのは、この世界でも稀なD2タイプが30~40%存在している事である。 日本列島各地のD2タイプに注目すると、アイヌや沖縄県に多く見られ、九州地方が少ないことに気が付く。D2タイプは縄文人のタイプと言われれている。 従って、D2タイプがアイヌや沖縄県に多く見られ、九州地方の%が少ないのは、弥生の頃に大陸や半島の交流が有った歴史と一致する。そしてD2タイプが日 本人が日本人とならしめている骨格をなしているタイプだと言う事が分かる。 日本でD2の次に多いのが02bタイプであり、その次に多いのがO3タイプである。この内、O2bタイプは、長江地域から戦乱から逃れて来た人々であると思われており、朝鮮半島にも多く、タイやベトナムでも若干存在する事が分かる。 又O3タイプは漢民族のタイプと言われており、古代日本の朝鮮半島進出や百済滅亡等により流入して来た人間だと思われる。 C1タイプも日本周辺には存在せず、四国や青森の辺粋に多く、しかも青森止まりであることから、南周りで来た古い人間達であると思われる。 C3タイプは、北方アジアに見られるタイプであり、モンゴル人や満州人に多く見られ、百済の支配層であった扶余人も同じタイプと思われる為、百済滅亡のお り流入して来たのではないかと思われる。但し、アイヌ人に見られるC3タイプは、樺太や沿海州との交流によるものである。 その他、ブリヤート人やエンベンキ人、又カムチャッカや北東シベリアに住むコリャーク人やチュクチ人に良く見られるNタイプが、朝鮮半島や満州に存在せず、日本列島に存在するのは不思議である。 日本人は単一民族と言われるが、周辺国と比べれば、人種の坩堝であり、多民族国家と言うべきであろう。それが単一民族と言われるようになったのは、民族同士同和したからに他ならない。 それでは大陸に目を転じよう。まず大陸で目に付くのは北方アジア以外、O1(赤)、O2a(橙1)、O2b(橙2)、O3(黄)と殆どOタイプばかりであ る。Oタイプは支那大陸で分岐したから当然と言えるが、華北はO3タイプに殆ど占められO2aもO2bは、周辺に追いやられているように見える。特に O2bは、日本、朝鮮半島、インドシナに見えるだけで支那には見当たらない。 O3タイプは現在の支那人の主流を成す漢民族のタイプと言われており、O2a、O2bタイプは長江人の子孫のタイプと言われている。長江文明は、黄河流域にいた牧畜民による執拗な攻撃により滅んだとされている。 そしてその牧畜民こそ、現在の支那人の主流を成す漢民族であり、O3タイプの遺伝子を持つ人間達である。 その歴史の通り、長江文明が滅んだとき、長江人は各地に逃げたと思われ、それが現在日本や朝鮮、タイ、ベトナム等のO2aやO2bタイプのように、周辺の 方に分布しているのである。これを見ると、タイはO2aとO2bの人間だけでだけで成り立っており、タイは逃げてきた長江人が作った国といえるかも知れな い。 それよりも気が付くのは、アジア各地に見えるO3タイプの多さである。そのくせ漢民族の本拠地である華北では殆どがO3ばかりである。5000年の歴史を 誇り、多民族国家といわれながらである。これを見れば、侵略的で且つ排他的な現在の支那人の性格が想像出来るというものである。 さらに古代では、日本人に多いDタイプが大陸に散らばっていたと言われる。しかし現在、Dタイプは山岳地帯や奥地にしか見られない。その奥地にもO3タイプは、しっかり侵食している。 現在チベットには、その希少のDタイプのD1とD3が半数以上いる。それは、チベットが漢民族にとって値打ちが無い土地の枯れた山岳だからである。しかし近年チベットに資源が見つかった。そして漢民族はやってきた。 チベットでは現在、漢民族の大規模な移住が行われ、彼等の手でチベット人の虐殺が行われている。おそらくチベットでは、Dタイプの人間は早晩駆逐され、O3タイプの人間が優勢になるだろう。 各Y遺伝子の分布は、只の人間の移動の結果と見えるかも知れない。しかしこうして見ると、その分布は、一つの民族による、もう一つの民族への強姦やホロー コーストの結果だったとも言える。それは、南米のY遺伝子の分布が、僅かしかいなかった白人男性の遺伝子が、優勢になっていることでも説明が出来る。 ラルフ・タウンゼントは支那人の特異性と残虐性を言った。それは現在のチベットやウィグルを見れば今も変わりが無いことが分かる。恐らく大陸では5000年来このような事の繰り返しだったのであろう。 人間は何故国家を作るのか。それは支那人のように、他民族を襲う習性を持つ集団から結束して守る為である。チベットは国家体制不備と油断の為に、国民を守ることが出来なかった。確かに国家が無ければ戦争は起きないだろう。だがそこで起きるのは、虐殺や強姦なのだ。 この地図のO3タイプの分布により、支那人の排他的で侵略的な性格も分かったと思う。それに 対して、日本人は排他的処か包容的な民族であることも分かったと思う。日本の古いタイプも新しいタイプも共存している多様性は、来た者を受け入れる包容力 と協調性が、太古の日本文明に存在していたからである。 しかし日本人の包容力にも限度がある。既に支那人も朝鮮人も充分受け入れた。これ以上排他的で協調性の無い支那人や朝鮮人を入れると、日本文明の特徴の一つである協調性が日本人から無くなるだろう。 |