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勝谷誠彦氏、読売テレビ降板騒動に言及



勝谷誠彦氏、読売テレビ降板騒動に言及

デイリースポーツ 3月6日(水)15時48分配信

 レギュラー出演する読売テレビたかじんのそこまで言って委員会」(日曜、後1・30)を降板することが明らかとなったコラムニストの勝谷誠彦氏が6日、自身の公式サイトや有料配信メールを更新した。

読売テレビは、5日、本紙などマスコミの取材に対し、勝谷氏の「‐委員会」の出演について、3月3日の放送が最後になることを認めた上で、降板理由を「お答えできない」と明らかにしなかったことについて、「私こそ知りたいんだから。直接聞きにいきましょうか(笑)」などと、“挑発”的にコメントした。

勝谷氏は「ホントにどうでもいいことだと、この日記の読者のあなたや、あなたは思っている。だけど世間が騒ぐの面白いねえ。読者の特権だぁ(笑)」と題し、3月6日号のメールを配信。

「ある番組をクビになったことなど、私にとってはホントにどうでもいいことなんですよ」などと切り出し、「‐委員会」出演について、読売テレビが降板理由を「お答えできない」と明かさなかったことに、「『お答え』してくださいよ。私こそ知りたいんだから。直接聞きにいきましょうか(笑)」と反応した。一方で、自身は降板理由について「書くまいと決めている」と公表するつもりはないことを明かし、読売テレビ側に「どういう風圧がかかるのかを愉しみにしている」ともつづった。

勝谷氏は、この日の配信メールを書きながら、「涙が止まらなくなっている」などとも記した。

勝谷氏は、5日の配信メールで、「『今週の金曜日(8日)の収録を最後に』と言われたので、『出ません』と私から断った。事実はクビだと言われたわけである」などと書いていた。




 2013年3月5日号。
<『たかじんのそこまで言って委員会
辞めます>。


2時半起床。丁寧に、もとい、いつもよりより丁寧に(笑)この日記を書きたいので。モノ書きになってよかったと思うのはこういう瞬間だなあ。眠っている間から、どう書いてやろうかとウズウズしていて、結局起き上がってしまう。

たかじんのそこまで言って委員会』辞めます。
辞めるというこちらが主語で書いたのは「今週の金曜日の収録を最後に」と言われたので「出ません」と私から断ったからだ。
事実は、クビだと言われたわけである。
昨日の『ザ・ボイス』の現場に吉本興業の幹部が来ていたので「あれ?」と思った。吉本は私の窓口だが、現場はすべてマネジャーのT-1君が仕切っている。そのT-1君には軽井沢の拙宅の鍵を渡して、もう一泊家族で泊まってスキーをしておいで、と言ってある。ラジオの現場も来なくていいよ、と。
いわば側近中の側近がいない時に、吉本からヒトが来たわけだ。でもって「『委員会』は今回の収録で最後ということで」だと。ハナシというのは、そういう「会社どうし」でつくんですねえ。さすがはお互いに大企業である。お世話になっている吉本が悪いと言っているのではない。私がずっと観察してきたモノがここにもあるというだけだ。
理由については「あれだろうな」というものはもちろんある。しかし私からは書かない。この日記が今から世間に出たとのに、どんな人がどう言って来るのか、それを巣穴の中からじっと眺め、さらにはカネにかえてしまうのがコラムニストというひねくれた仕事をしている人間の愉しみだからだ。
私がクビを言い渡された直後に『TVタックル』がオンエアされ、御存知のようにTPPがテーマで西田昌司さんなどの論客の奮闘ぶりがなかなか好評だったようだ。そのTPPが、私が「そこまで言って委員会?ダメでしょう」をクビになった大きな理由につながっている(内緒・笑)のはまことに面白い。
週末に大阪に行く機会も減るので『TVタックル』に出ることは増えるかも知れない。皮肉なものだ。東京回帰は口惜しいなあ。
何よりも私はやしきたかじんさんに対して申し訳が立たないと思っている。たかじんさんの留守を、これは本当に必死に守ってきたつもりだった。慣れない司会も恥をかきつつやった。その間には、三宅久之さんのご逝去ということもあった。三宅翁さんに対してもどのツラさげてあの世で会うか、である。「あとは頼みましたよ」と私は何度も言われていた。頼まれたつもりだったが、キャスティングは私ができるわけではない。三宅先生、「このポンスケ!」と叱ってください。
たとえばたかじんさんに面と向かって「おまえ、もう辞めるか?」と言われたならば「はい」と喜んで答えただろう。しかしマネジャーのT-1君ですらなく「こちらで話がつきましたので」と突然あらわれた吉本の幹部に言われた瞬間に「ああ、そんなもんだったんだな」と笑ってしまった。
どこが「そんなもんだった」のかはわからない。スタッフがまことに真剣に作っているのは私はいちばん良く知っている。さまざまな圧力に対して読売テレビが抗してきたいくつもの事例もわかる。
でもなあ。そうなんだなあ。この国の病弊は恐ろしいほど深いと言っていい。久しぶりに、自分がまだよく生きていると思った。わははははは。
まことにリアリティのある話をするならば『あさパラ!』がどうなるかですね。読売テレビ的には『委員会』というお化け番組があるので飛行機代ホテル代もまあ出るのである。番組どうしてでどうやって負担しあっているのかわからないけど。木曜日の夜に大阪に入り、土曜日の朝までやって帰ることがひとつのうまい循環になっていた。60分の番組のためにわざわざ私を呼ぶかなあ。これもなくなると関西との縁はきっぱりと切れる。
それはそれで…いやいや『あさパラ!』は続けたいですよ。このスタッフが私は大好きだし何よりリンゴさんたちとのギリギリのやりとりがいい。ある意味では収録の『委員会』よりもこちらの方がスリリングなのである。だが『あさパラ!』もなくなっても、私は毎週、関西に帰ろうと思っている。ベースをむこうに変えたいほどで、軽井沢という重い荷物…おっと、いえいえ(泣)がなければ、そうしているだろうなあ。
歳をとると、やはりふるさとが懐かしくなるものである。老父を思えばますます。
ベースを移すかどうかは別にして、ちょっと考える。そういうまことにいい機会を『委員会』のクビは与えてくれた。
中略

半世紀以上生きていて振り返って思うのは、モノゴトというのは奇妙に、起きる時は続けて起きる。それが必然であるかどうかと考えるのは、気持ちの持ち方だ。アタマがおかしい、いやきっとおかしい私としては必ず「天がそう命じていたなあ。いやあ、私はたいしたモノだ」と考えるようにできている。
かなりな負担であった『委員会』がなくなったことで出来た時間を、私はカネではなく文章にかえていきたい。もしくはまだまだ、今後の文章につながる体験だな。また「旅の時代」が始まってもいいと思う。
私はケチなのだが番組の経費で自分のふるさとに帰ってそれをさまざまに使っていたのは卑しいと改めて感じた。愛する郷土であれば、自分のサイフで帰ればいい。すると発想もまた違ってくるだろう。
というわけで、ぽっかりと、今年予期していなかった時間が出来ました。これをぜひ、あなたや、あなたにも使っていただきたい。『血気酒会』もどんどんやりたいし、地方の局への出演や、講演会、オフ会なども増えるだろう。これまで「『たかじんそこまで言って委員会』でおなじみの、と必ずず司会者が言って下さっていたが、それをちょっと組み換えなきゃな。「『たかじんのそこまで言って委員会』すらクビになった」だな。そんな看板ではなく、私そのものに会いたいという場を…といいつつ、看板がなくなった上での営業にはT-1君は多少苦労するかも知れない。声をかけてあげてください。

まもなく紙幅が尽きるわけだが、今日は私の個人の話で終始して申し訳なかったと思う。しかしその向こうにはこの国のくろぐろとした世界が広がっている。直接的にそれを書いても面白くないし、自分が把握しているものが事実なのかどうなのか自信がない。北朝鮮イラクについてはかなり思い切ったことを書く私でも、自分については責任が伴うのでそうとはできないのである。
ただし。私はまたひとつ自由を得た。この瞬間の感動は得難いものである。多くのひとはそれを知らないのだ。私は人生で何度も「本当の意味のリセット」をやってきた。周囲は驚愕するのだが本人は至福なのである。『委員会』を辞めるというのはリセットというのもくだらないほどの小ささだが、得る時間は大きい。何がそこでできるのか、まことに愉しみで、もう今からワクワクしている。
せったくの出会いなので、あなたや、あなたと出来ることを考えたい。『委員会』の「時給」の安さを考えれば、何をしてもおそらく今よりはT-1君たちを食わせていける。何か面白いこと、それぞれの地域で考えましょうよ。私の金曜日は、あいている。

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