パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

ダライ・ラマの玉音テープ


http://thehadashi.iza.ne.jp/blog/entry/3021176/
by りのすけさん  より転載





ダライ・ラマの玉音テープ
 
(略) ニクソンキッシンジャー路線で米中の接近がはかられたとき、
キッシンジャーは、まさに弊履のようにチベット難民を見捨てた。
その反面パレスチナ・ゲリラのように、アラブ産油国が背後に控え、
手段をえらばぬテロを行使するグループへは、もみ手戦法に出ていた。
 
 キッシンジャーは、おとなしい仏教徒には一片の同情も示さなかった。
彼こそ、まさに力と策略の信者であり、悪党の見本である。
 
 
 
 
 
それにくらべ、ダライ・ラマ以下のチベット難民グループの示した態度は、
いかにも仏教徒的であった。
 
 米国と中国の双方の支持を得たネパールが、それまでの姿勢を一変して、
ムスタングのゲリラに圧力をかけるため、勇名高きグルカ兵一万人をよび
もどして配置につけたが、こグルカ部隊よりチベット・ゲリラの方が強かったである。
 
 もし、これがベトコンやパレスチナ・ゲリラであれば容赦なくネパールを戦乱に
まきこむことを辞さなかったであろう。そうすれば中共軍がネパールに介入してくる
ことは必至であり、インドは、中共軍のネパール侵入を黙視しなかったであろう。
 
ソ連インド政府は、激しい口調で中国のネパール侵入を非難したであろうし、
ベトナムも中国のネパール侵入を支持しなかったであろう。ネパールを中心に、
中印間に大規模な武力紛争がおこり、ソ連インドを支持し、全世界の注目を引く
ことになったであろう。
 
 それによって、チベット難民とチベット解放ゲリラの存在が全世界に知られたであろう。
その方が、チベット独立のためには近道であったかもしれない。
しかし、多くの血もされたであろう。
 
 
 
 
 
 
だが、ダライ・ラマ法王は、テープに録音した自分の声をもって、ゲリラのキャンプに
特使をおくり、ネパール政府に迷惑をかけずにおとなしく退去することをすすめた
 
 これはちょうど昭和二十年八月十五日天皇玉音放送によって
数百万の日本軍が武器を捨てた事実とあまりにもよく似ている
 
 
 
 
 
そして、武装を解除したゲリラの指導者の幾人かは毒を仰いで自決した。
 
このような心情と行動において驚くほどチベット人は日本人に近い。(後略) P165-166
ルーズベルト大統領は一九四二年七月三日、ダライ・ラマ十四世に親書をおくり、
日本に宣戦布告するように要請したが、
チベット政府はこれを拒否した事実がある。
 
これこそチベット独立国家であった何よりの証拠である。 P163