パルデンの会

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驚くべし「複数政党、自由化に踏み切らなければ党は滅びかねない」



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成25(2013)年10月16日(水曜日)
      通巻第4045号  
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タカ派軍人、劉亜州将軍。こんどは「新思考」論文で注目
 驚くべし「複数政党、自由化に踏み切らなければ党は滅びかねない」
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 10月15日の『解放軍報』は沈黙してきた劉亜州(国防大学政治委員、大将)の論文を大きく伝えている。
 劉亜州といえば反日タカ派軍人として知られ、朱成虎、熊光偕、羅援などと並んで「対日タカ派」四天王とも言われたが、本人は英文学に通暁し、武侠小説も書く変わり種。しかも劉亜州は、第三野戦軍21軍187団政治委員をつとめた劉建?の子であり、妻の李子琳は李先念国家主席の娘、太子党の領袖でもある。(くわしくは拙著『中国を動かす百人』、双葉社、252pを参照)。

 香港雑誌『開放』は十月初旬の発売号で劉亜州のやや変節的な新思考論文に注目し、大きくページを割いて論評している。ニューヨークの華字紙「多維新聞網」も、先週来、この劉亜州に関して、何本かの記事を掲げている。

 これらをまとめると劉亜州が主唱した内容は「天安門事件の反省を急ぐべきであり、劉暁波を拘束したことは共産党自らを敵とした。司法は独立すべき存在で党の干渉をうけるべきではない。言論の自由を確保し、複数政党制に移行し、いずれ選挙を実施しなければならない。こうして政治改革を進めなければ、次の革命に遭遇し、次ぎに被告席に座るのは我々になる」。
 驚異的な自由化を主唱していることになり、これは八月の講和で劉亜州将軍が講演したもので、機密の一部が西側へ流れた。

 劉亜州は安徽省生まれ、1968年に入隊し、72年に武漢大学で英文学系に学び小説を書いた。米国スタンフォード大学客員教授も務めた経験がある。
 90年代後半に劉亜州は北京軍区空軍政治部主任、成都軍区空軍政治委員、03年解放軍空軍副政治委員、09年から国防大学政治委員、12年に空軍大将。