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中華思想に基づく 習近平の「上から目線」外交 日中首脳会談実現の可能性は?


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中華思想に基づく
習近平の「上から目線」外交
日中首脳会談実現の可能性は?

2014年10月23日(木)石 平
 中国の習近平国家主席は2013年3月の就任以来、実に精力的な「周辺外交」を展開してきている。
 就任直後、彼が国家元首として最初に訪問したのは、中国にとって最大の周辺近隣国であるロシアだった。同年9月、彼はこのロシアに近い中央アジア のトルクメニスタンカザフスタンウズベキスタンキルギスの4カ国を公式訪問した。10月には、東南アジアのインドネシア、マレーシアを訪問した。
 そして2014年7月には韓国を訪問し、同年8月にはもう一つの近隣国のモンゴルを訪問した。9月にはタジキスタンで開かれた上海協力機構 (SCO)加盟国元首理事会第14回会議に出席した後、タジク、モルディブスリランカ、インドの4カ国を歴訪した。中国の政治・軍事・経済の全般を司る 立場の習主席が、多忙の中11日間という時間をこの歴訪に費やしたことからも、「周辺外交」をいかに重要視しているかが窺えよう。
「親・誠・恵・容」という外交理念とは?
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習近平主席が掲げる「親・誠・恵・容」周辺外交理念とは…(写真:Getty Images News)
 さらに注目すべきなのは、習主席の周辺外交展開に対する中国国内の報道の過熱ぶりである。たとえば習主席がインド訪問を開始した翌日の2014年 9月19日、中国の人民日報はその第一面から三面までを、訪問関連のニュースと解説・論評で埋め尽くした。中国最大の官製新聞が、一面から三面を費やして 指導者の外遊の一つに当てたのは、おそらく前代未聞のことと思われる。
 そして、習主席が周辺国家を訪問する度に、人民日報を含めた中国国内メディアはいっせいに自賛自画の嵐を巻き起こしていた。訪問先の外国で習主席 がいかに盛大な歓迎を受けていたのか、訪問がいかに成果の多い「意義深い外交」となったのかが当然、それらの主な内容であった。
 その中で、中国メディアが特に褒め称えているのが、習主席自らが提唱している「親・誠・恵・容」という四文字で綴られた「周辺外交理念」である
 たとえば習主席が韓国を訪問すれば、人民日報などは「この度の訪韓は習主席による“親・誠・恵・容外交理念”の重要な実践だ」と評価する。あるい はモンゴル訪問から帰国した際には、「“親・誠・恵・容外交理念”が中蒙関係の新しい歴史を作った」と、国内メディアは賛美の大合唱である。
 あるいは今年10月10日、国内2番手の国営通信社である中国新聞社は習近平主席の周辺外交を総括して絶賛する長文記事を配信したが、そのタイト ルはずばり、「親・誠・恵・容が運命共同体を築く」であった。翌11日、今度は国内最大の国営通信社の新華社も習主席の「親・誠・恵・容の周辺外交理念」 に最大限の賛辞を捧げる論評を流した。
 そのような中で、「親・誠・恵・容外交理念」に対する「学術研究」の気運も高まってきている。たとえば名門大学である復旦大学国際問題研究院の邢 麗菊副教授の手によって、「中国の伝統文化」から「親・誠・恵・容外交理念」の「源流」を探ろうとする学術論文が最近になって出てきている。
 このようにして、国際社会ではほとんど注目されていないこの「親・誠・恵・容」の「外交理念」たるものは、中国国内では脚光を浴びて大いに盛り上がっている様子だ。
道徳的・感情的色彩の強い理念?
 それでは、この「親・誠・恵・容の周辺外交理念」とは具体的に一体どういうものなのか。
 これは、2013年10月下旬に中国政府が主催した「周辺外交活動座談会」において、習近平主席が自分の政権の新しい外交理念として自ら提唱した ものである。ちなみに胡錦濤政権時代の中国では、「調和のとれた世界」という全体理念の下で「相互尊重・相互信頼」や「互恵互利」などの外交理念が打ち出 されたことがあった。今回の独特な表現は、習主席自身が打ち出した彼の外交理念なのである。そして中国官製メディアの総括によれば、それが打ち出されてか らの1年間、習主席はまさにこの新しい外交理念に基づいて意欲的な周辺外交を展開して「歴史的な成果」をあげてきたという。
 この「親・誠・恵・容外交理念」の中味は一体何か。前述の座談会における習主席自身の説明と人民日報や新華通信社などによる解釈を総合してみると、概ね下記のようなものである。
 まず、「親」とはすなわち「親しむ」、「親切に接する」という意味である。つまり習主席からすれば、彼の周辺外交の第一の方針はまず、周辺国に親しみ、親切にしてあげる、ということである。
 そして「誠」は言うまでもなく「誠意」、「誠実」の「誠」であって、周辺国には「誠意を持って接する」という意味合いである。
 「恵」は主に経済分野の話であって、中国は周辺国に経済的「恵」を与えることによってその発展と繁栄に貢献する、という意味だ。
 最後の「容」は「寛容」の意味である。要するに、中国は周辺国に対して寛容の態度で臨むべきであり、中国と異なった各国の立場や考え方を「包容」しなければならない、ということである。
 以上が、習主席が自ら提唱し、かつ「実践」しているとされる「親・誠・恵・容の周辺外交理念」の概要であるが、一見すれば分かるように、それは一 国の「外交理念」というよりも、むしろ一個人が掲げる道徳的行動基準のようなものに近い。国際政治の世界では国益のための冷徹な打算こそが外交の鉄則であ るが、習主席の提唱したこの「親・誠・恵・容の周辺外交理念」は、それとは相容れない道徳的・感情的色彩の強いもののように見える。それは一国の「外交理 念」にしては実に異質で奇妙なものであり、その真意は一体どこにあるのかがむしろ疑わしくさえ感じる。
読み取れる「上から目線」の感覚
 そしてこの「親・誠・恵・容の外交理念」のニュアンスをさらに吟味してみると、そこには、相手に対する「上から目線」の高姿勢が読み取ることができる。
 たとえば「親しむ・親切にする」という意味の「親」は、中国語の感覚において、立場が上の人が下の人に「親切にしてやる」という意味合いが濃厚で ある。前述の中国の伝統文化から「親・誠・恵・容」の「源流」を探った邢麗菊副教授の論文もまさに、中国古典にある「親民=民を親しむ」という言葉から 「親」の意味合いを解釈しているが、ここでいう「親民」とは、上に立つ皇帝や官僚が下の万民を「親しむ」という、まさに上から目線の言葉である。 
 「親・誠・恵・容」の「誠」はさておいて、「恵」もやはり上から目線の意味合いを含んでいると言えるであろう。中国は世界第2位の経済大国として周辺国に「経済の恵」を与えるということだから、優位に立っているのは中国であることは言うまでもない。
 そして4文字目の「容=寛容」となると、どう考えても、上から目線で周辺国を見下ろすような言い方でしかないのである。中国語では日本語と同様 に、たとえば一般的な人間関係においても、「AさんがBさんに寛容である」と言った場合、そこに暗に含まれているニュアンスはすなわち、「Bさんの方に落 ち度がある」、あるいは「Aさんに対してBさんは負い目がある」ということであろう。Bさんには落ち度があって負い目があるからこそ、それを「許してあげ た」Aさんは「寛容である」と評価される。
 要するに、「容=寛容」という言葉を自らの「周辺外交理念」の一つにした習近平主席からすれば、諸周辺国との関係において、彼自身と中国はまさに「許してあげる」という上の立場に立っている認識だということだろう。
 習主席と中国メディアは、中国と異なった諸周辺国の社会制度や考え方に対して「尊重する」という意味合いで「容」を解釈している。しかしそれなら ば、国際社会で通用していてかつて中国もよく使っていた「相互尊重」というコンセプトを使えば良い。「容=寛容」となると、その意味合いは自ずと違ってく るのである。
 このように、習近平国家主席が自ら打ち出したこの「親・誠・恵・容」の「外交理念」は、極めて独善的・傲慢的であって、まさに上から目線で諸周辺 国を見下ろすようなものであることが明らかだが、それはどう考えても、独立国家同士が対等な立場で外交交渉を行うという現代の国際社会の常識と感覚から大 きく外れていると言わざるを得ない。
 中国国内のメディアは、去年の10月にこの「周辺外交理念」を打ち出して以来、習近平主席はまさにこの「理念」に基づいて一連の諸周辺国訪問をこ なして精力的な周辺外交を展開してきていると伝えているが、習主席自身が訪問した数多くの国の中で、習主席の「親・誠・恵・容外交理念」に同調したり、賛 意を表したりするような国は現れていないように見える。
 そう、中国の国内メディアが全力を挙げて「親・誠・恵・容外交理念」絶賛キャンペーンを行っているにもかかわらず、肝心の周辺諸国からは、この「外交理念」に対するコメントは一言も聞こえて来ないのである。
 言ってみれば、いわゆる「親・誠・恵・容外交理念」というのは、習主席の習主席による習主席のための「外交理念」なのである。
中華思想」の世界観
 問題は、習主席が一体どうして、現代の国際社会と相容れないような上から目線の「外交理念」を打ち出したのかである。このような時代錯誤の「外交 理念」たるものは、前述の邢麗菊副教授の論文でも論じているように、中国の伝統思想としての「中華思想」と大いに関係があるのではないかと思われる。
 「中華思想」とは何か。それはまさに、古来より中国が周辺国との関係を考える場合の基本的な枠組みである。この枠組みの中心にはまず「中華」があ る。「天子」と呼ばれる中国皇帝の支配下では、「中華」はこの文化的・道徳的優位性において世界の頂点に立ち、文字通り、世界の中心なのである。
 そして中華の周辺では、いわゆる「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ばれるような「未開の民」があちこちに生息していて、彼らは中華文化からの影響を十分に受けていないが故に、未だに文明化されてない「化外の民」とされている。
 そうすると、皇帝を頂点とする中華の「未開の民」に対する接し方は最初から決まっている。要するに中国の皇帝はまず「徳」というものをもって彼ら に接して、中華の道徳倫理と礼儀規範をもって彼らを「感化」しなければならない、ということだ。そして彼らが「感化」されて徐々に中華の道徳や文化を受容 してそれに同化していけば、これらの「化外の民」は最後には「文明開化」して中華世界の一員となっていく。その結果、「中華」は中国の皇帝を中心にして常 に同心円的に拡大していくものだと考えられるのである。
 その際、「徳」をもって「化外の民」を「感化」して彼らを中華世界へと導くことは、逆に言えば中国皇帝の偉大さの証明でもあり、感化される「化民の民」が多ければ多いほど、中国の皇帝が「真の天命」を受けた偉大なる皇帝として評価されるのである。
 つまり、中華世界の周辺に「化外の民」の存在を設定しておくこと、そしてそれらの「化外の民」を「感化」するということが、中華世界自体における 皇帝の権威の強化にも繋がるため、今までの歴史においては、偉大なる皇帝たることを目指そうとする中国の権力者たちは競って「化外の民」に対して自らの 「徳」を示し、彼らの「感化」に努めてきたわけである。
権力基盤を強化したい習近平
 これがすなわち、中国人自身が編み出した「中華思想」の世界観と歴史観であるが、このような思想的背景と上述のような中国史の経緯からすれば、今 の習近平国家主席が「親・誠・恵・容」という奇妙な「外交理念」を掲げてそれを「実践している」ことの真意が実によく分かってくるであろう。
 そう、今は権力基盤強化の途中にある習主席は、まさに自分の権力基盤強化のために、中国の「偉大なる皇帝」たることを気取り、上から見下ろすような立場から、中国の周辺諸国、すなわち「東夷・西戎・南蛮・北狄」を「感化」しようとしているのである。
 その際、周辺国を「感化」するのにはまず「徳」をもってするべきであるが、習主席が提唱した「親・誠・恵・容」は、現代的外交理念とは相反して極 めて道徳的色彩の強いものであることの理由はまさにここにある。このような「外交理念」を提唱しかつ「実践する」ことによって、習近平氏自身が「有徳」の 偉大なる「皇帝」になるのである。
 「親・誠・恵・容」の外交理念を「実践」することの意味はあくまでも国内における「皇帝」としての権威の樹立と強化にあるため、相手の周辺国がど う受け止めるかは最初から習主席の念頭外であろう。だからこそ、周辺諸国がこの「外交理念」をいっさい無視するような態度を取っていても、当の習主席は いっこうに気にしないのである。
 もちろん周辺諸国は中国との現実的な外交関係や経済関係に配慮して、習主席の「親・誠・恵・容」の外交理念を正面から批判したり否定したりするよ うなことはまずしないであろうから、習主席にとってはそれで十分であろう。後は、中国国内のメディアを総動員して、諸周辺国の知らないところで(あるいは 知らないふりをするところで)、主席の「外交理念」が歓迎され大きな成果を上げているような虚像を作り上げればそれで良いのである。

APECは「親・誠・恵・容」を誇示する
絶好のチャンス

 以上、「中華思想」という思想的背景から、習近平国家主席が提唱しかつ「実践」している「親・誠・恵・容外交理念」の意味と狙いを探ってみたが、 このような文脈からすると、11月中旬に北京で開催予定のAPECは、習主席にとって大変重要な意味を持つ会議であることが分かる。
 この原稿を書いている10月22日現在で、北京でのAPEC開催は約20日後に控えているが、習政権はすでに会議の成功に向けて全力を挙げて動き出している。
 たとえば10月13日に中国国内メディアの「網易財経」が伝えたところによると、APEC会議期間中の北京周辺の大気汚染を軽減するために、中国 政府は11月1日から10日間、北京周辺の河北省の一部の鉄鋼企業の操業停止を決めたという。あるいは10月18日付の北京青年報が報じたところでは、会 議期間中に、通常の警察・武装警察が治安の確保に総動員される以外に、100万人もの北京一般市民が治安維持のためのパトロールに動員されるという。何と してもAPECを成功させたいという習政権の意気込みが強く感じられる。
 どうしてそれほどまでにAPEC会議を成功させたいのか。当然、習近平主席の強い思いがあるだろう。今度のAPEC会議は、習主席が中国の国家元 首として仕切ることになるが、彼にとっては国家主席になってから仕切る最大の国際会議であるから、どんなことがあってもそれを成功させなければならないの である。
 そして前述の「中華思想外交」の文脈からすれば、中国の主要周辺国の首脳たちが北京に一堂に会するこの国際会議は当然、習主席が                    「東夷・西戎・南 蛮・北狄の国々を相手に自らの           「親・誠・恵・容」を誇示する絶好のチャンスとなる。彼にとってその時の北京はまさに、自分が「有徳の中華皇帝」として周 辺国を「感化」して心服させた、という歴史的な場面を見せつけるための夢の大舞台となるのであろう。そしてそれはすなわち、彼が標榜する「親・誠・恵・容 外交理念」の集大成となる一大イベントでもある。
日中首脳会談を必要としている習近平
 したがって、どんな対価を払ってもAPEC会議を成功させたいというのが習主席の偽りない気持ちであろうが、その中で、会議の参加者として日本からやってくる安倍晋三首相と会うかどうかが、習主席にとって大きな問題となる。
 習近平主席自身が掲げている「親・誠・恵・容外交理念」からすれば、北京にやってきた安倍首相を無視しいっさい会わないのはやはり難しいところで あろう。というのも、「親・誠・恵・容」は習主席の周辺外交の普遍的理念であるならば、それこそ中国の重要な近隣国である日本に対しても本来なら、「親・ 誠・恵・容」をもって接しなければならないはずである。逆に言えば、もし日本というアジアの大国はいつまでたっても、習主席の「親・誠・恵・容」の理念に 「感化」されずにして「化外の民」のままであれば、習主席の中華思想的「周辺外交」が完結したことにはならない。その場合、習主席の「徳」が十分に行き 渡っているとはとても言えないだろう。
 つまり、11月に北京にやってくる安倍首相という「東夷」の国の「頑迷」な指導者が、まったく「感化」されていないような様子で、習主席に「拝 謁」もしないようなこととなれば、習主席の「親・誠・恵・容外交理念」の集大成の場となるAPEC会議は不完全なものとなってしまい、習主席の肝いりの周 辺外交は完結できないままとなってしまう。したがって習主席にとっても、日本の安倍首相が恭しく自分に「拝謁」してくるような場面がどうしても必要となっ てくるが、この「拝謁」の場面の実現はすなわち、日中首脳会談の実現であるのは言うまでもない。
 要するに習主席自身、APEC会議における安倍首相との会談を必要とし、それを実現させたいのである。だからこそその地ならしのために、今年7月 には安倍首相に近い福田康夫元首相との極秘会談に応じた。9月には、同じ太子党で自分の幼馴染みの李小林中国人民対外友好協会会長を「特使」として安倍首 相の身辺に派遣したわけである。
 もちろん習主席としては、安倍首相と会う条件としてはやはり、安倍晋三という人間が主席の「徳」に「感化」された印として、尖閣問題や歴史問題で 何らかの目に見える譲歩をしてくれることが重要であろう。もし安倍首相が何らかの譲歩をした上で、さらに恭しい態度で拝謁してくるようなこととなれば、習 近平国家主席にとっては万々歳の結果となる。しかしもし、「頑迷」な安倍首相が会談の実現と引き換えに譲歩することを最後まで拒否していれば、APEC会 議開催の直前までに、「安倍と会うべきかどうか」で悩み続けるのは習主席の方であろう。しかしそれでも彼はやはり、会談の実現に傾く可能性が大である。 「有徳な中華皇帝」となるのはやはり大変なことなのだ。
 後は、首脳会談実現のために領土問題などで譲歩するかどうかは日本側の裁量となるのだが、筆者の私自身、安倍首相は習近平主席と会うだけのために日本の主権と領土保全にかかわる問題で譲歩するような愚を犯すことはないと信じたいところである。