パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

貧困がこういう形で日本を壊している。「地域の奇妙さ」にも通じるところがあるが、私たちの親の感覚としては、敢えて言うがちょっと理解しがたい。



勝谷誠彦氏の有料ブログより転載

子どもどうしで脅しあう。お互いの家に押しかける。
それで怨恨を持って、最後に川で泳がせたあとに首を切る。小説でもこんなしょうもない話ならボツですよ。そういうことが成り立つ「空間」がなぜ生まれたのか。そこはきちんと検証しなくてはいけないと思う。警察でも学校でもないですね。「親」の問題だ。船橋の両親はトラック運転手と身体の不自由なフィリピーナであって、フィリピーナに対しておそらく日本国の中では理解がある方であろう私としてはいささか考えてみようとは思う。
驚いたのは上村君の方だ。
母親が出したコメントの文章の端正さにはモノ書きとして驚いた。

<川崎中1殺害/母コメント全文「残忍…涙が止まりません」>

 http://mainichi.jp/select/news/20150303k0000m040088000c.html
もっとも疑問に思うのはここだ。さきほどの「地域の奇妙さ」
にも通じるところがあるが、私たちの親の感覚としては、敢えて言うがちょっと理解しがたい。あなたや、あなたは、どうだろうか。
<私自身、仕事や家事に疲れた時、
何度も何度も遼太の姿に励まされることがありました。学校を休みがちになってからも、長い間休んでいると、きっかけがないと学校に行きづらくなるから、早く登校するように話してきました。ただ、遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。
家の中ではいたって元気であったため、
私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。
今思えば、遼太は、私や家族に心配や迷惑をかけまいと、
必死に平静を装っていたのだと思います。>
まだ13歳ですよ。子どもは子どもなのだ。
私はこのお母さんを責める気はまったくない。本当に、本当に、心の底から気の毒だと思う。どれほど辛いことだろうか。しかしね、もちろん生活もあるだろうけれども、深夜に子どもが出かけて帰ってこなければ、私たちの時代であれば、すぐに交番に駆け込んだ。さきほどから「地域」と言っているのは、これが被害者だけのことではないからなのだ。どうも報道を見ていると、日常的に深夜に年端もいかぬ子どもたちがつるんで動き回っている。これって、おかしくないですか。
そもそもそういう状況そのものを異常として取り締まるのが学校や
警察の仕事ではないのだろうか、と書いて少し反省した。私も若干は現場を知っている。学校や警察はもうそれで手一杯なのだ。だから、それはね、本来は親がやるべきことなのですよ。
今回の事件を、
私はひとつの家庭や個人の特殊性に帰するべきではないと思う。もちろんそれはあるでしょう。被害者、加害者ともに。でもね、そういう「空気」を「当たり前」のように作ってしまっていた「環境」はどうなのよ。こういうことを許していると、日本中がそうなりかねない。いや、ならないだろうけれども「そういう場所」と「そうではない場所」にわうれてくるだろう。
朝日新聞などがいつもうるさく言っている「格差社会
とはそういうものではないのかなあ。私は別にそれでもいいと思うけれども、多くの「戦後平等」の信者のみなさんは耐えられないのではないか。では、それにきちんと対応することだ。「優しいだけではクソ平等はやっていけない。タフでなければクソ平等は続けられない」ということを、しっかりと自覚することだ。その先にクソ9条を守ることもあるのだろうからね。
事件としては「派手」ではない。
大マスコミもすぐに受け流して忘れるだろう。しかし私は、戦後日本がいきついたひとつの結果として、今回の事件を記憶するだろう。



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