パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

沖縄戦における死者の数

6月は70年前沖縄戦で日本軍が白旗を上げなかったばかりに、混乱の血みどろの戦争が継続され、ついに6月23日に米軍が沖縄戦終結を宣言した。
沖縄南部に逃げた 一般人は逃げ惑い、艦砲射撃の中 日本軍の潜むガマ(自然に出来た壕)の中で 自決したり、家族で断崖から飛び降りて命を絶ったものもいる。
沖縄は一般人が 戦場の 真ん中に引き出された悲劇の場所であった。


200,656人(20万人)〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕の死者
という数字がひとり歩きしているが実は

   日本 188,136人
   (沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人・軍属28,228人)

             (他都道府県出身兵 65,908人)
   米 12,520人


すなわち 一般人の死者は 9万4000人である。
彼らの恐怖、無念さは計り知れないし、彼らはその無念さを 子々孫々に渡り日本民族が続くことを願い、お亡くなりになったはずである。
しかし 戦闘員以外の死亡は 沖縄だけではなく
東京 の3月10日の空襲で 10万人以上
広島、長崎の 8月の原子爆弾投下で 38万人以上

6月の沖縄戦終結の日が 沖縄のマスコミ、で伝えられていることを聞くたびに
平和という言葉は聴こえてくるが、平和を守るためにどうするのか、 平和を乱すモノがいるとすればどうするのか一切伝えない。
悲惨さの伝聞はもういい、 沖縄戦で死んでいった人たちが思った 「日本の将来、日本民族の繁栄」に対して、 泥を塗るような自虐宣伝の 沖縄の現状はいかに 中国の 思想コントロールが進んでいるのかが理解できる。
「沖縄独立」を ほざく 左翼思想の連中に 沖縄戦でなくなった人々が いかに悔しがっているかが、 糸満の戦跡を訪ねた私に あの世から 聞こえてきたような思いがした。

(誰も訪ねない 白梅の塔の前に立って)

白梅之塔について

県立第二高等女子学校の稲福全栄校長以下職員11柱、白梅学徒看護隊27柱、同窓生101柱、合計132柱が合祀されている。白梅隊(4年生)55名は、昭和20年3月6日、東風平国民学校在第24師団第一野戦病院衛生看護教育隊に入隊、看護師としての特別集中教育を受けていたが、米軍の艦砲射撃が始まると、直ちに東風平村八重瀬岳の山部隊第一野戦病院へ配置され、昼夜の別なく傷病兵の看護に当たった。 戦況が悪化し、6月4日、白梅隊は軍の解散命令を受け自由行動を余儀なくされて、鉄の暴風雨の中で20名が次々と戦死を遂げている。白梅隊の一部は解散後、この地に撤退し、最後まで傷病兵の看護に専念、6月21日、米軍の猛攻撃に遭い、戦没した。ここは白梅隊のもっとも多くの犠牲者がでたところである。昭和22年1月、自然石の小さな碑を建て第1回の慰霊祭が行われた。昭和26年8月に立て替えられ、再度平成4年6月に現在のように改修された。


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