パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」メディア、つまり朝日新聞である。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)11月19日(日曜日)
          通巻第5510号
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(日曜版) 読書特集号
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高山正之『トランプ、ウソつかない』(新潮社)
西尾幹二 v 中西輝政(司会 柏原竜一)『日本の世界史的立場を取り戻す』(祥伝社
川口マーン惠美『復興の日本人論 ――誰も書かなかった福島』(グッドブックス)

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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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論壇に響き渡る快音。
朝日新聞は最悪の新聞であることを直截に証明
  主知主義的左翼の傲慢、その進歩史観の偽装的な偏見が日本をここまで貶めた

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高山正之『トランプ、ウソつかない』(新潮社)
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 この世の中、日本人以外は皆が腹黒い。自己の責任を他人に転嫁して、のうのうと生き延びる手合いがいる(日本人にも少しいるが。。。)。
偽造文書や讒言、でっち上げで他人を貶め、その犠牲のうえにあぐらをかく。まるで吸血鬼。それがドイツであり、韓国であり、オランダであり、世界の七つの海を支配し日本にぼかんとやられて今もって逆恨みする英国。その悪魔の総大将がアメリカだったし、いまの中国である。
 それを日本で代弁しているのが「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」メディア、つまり朝日新聞である。
 この新聞ときたら「良識ある保守派」を「極右」と書き散らし、極左暴力団を「市民」と書いて印象操作を平然とおこなってきたし、いまも続行中である。最近も「もりかけ」とかの架空のスキャンダルをでっち上げ、安倍政権を追い込んだつもりだったが、結果は自民党の圧勝だった。
 かくして濃霧のようにもやもやした世相に、快刀乱麻を断つがごとくに、迷妄を叩き斬る。この高山節の快音がまた響き渡った。まさに清涼飲料をまとめて百本飲んだごとき爽快感。


 さて本書は『週刊新潮に過去一年ほど連載されたコラムから選んだものだから、一度読んだ記憶もあるが、改めてテーマわけで読み直すと、読後感にもふくらみが出てくる。
 本書はシリーズ第十二弾。主眼はアメリカの傲慢と迷妄と、その中国とあまり変わらないエゴイズム、挙げ句は自らの大虐殺を隠蔽し、日本が悪いことにしたGHQ歴史観がなした出鱈目な日本攻撃の批判に置かれている。
 中国の傲慢と抜け目のなさにも多くのページが割かれており、カンボジアのキリングフィールド、ベトナムと中国の戦争の本質に触れている。

 カンボジアの混沌と迷走、あの敬虔な仏教との国は、中国に弄ばれた。中国が仕掛けた陰謀の犠牲になったのだ。
 カンボジア人だが、根っから華僑出自のイエン・サリが北京に呼ばれた。ベトナムが「最近ソ連とくっつき、本家筋の毛沢東政権をないがしろにしてきた。米軍がベトナムから撤退した今、ベトナムをこのままソ連衛星国にさせたのでは中国のメンツが潰される。ついてはカンボジアに親中国勢力を作り、背後からベトナムを攻めろ。前からは中国がやっつけてやる」(105p)。
 かくして大量の武器がカンボジアにわたり、イエン・サリ一派は北の農村でベトナム人農民を大量に虐殺した。メコン河はベトナム農夫の死体で埋め尽くされ、つぎに都会から農村に知識人らを下放した。ベトナム系を選別して虐殺したのだ。
しかしベトナム人だけを処刑したら意図がばれるので、故意に華僑墓地を処刑場として選び、ついでに華僑も殺害した。
 ベトナムは反撃にうつり、ポルポト派を蹴散らす。そこでトウ小平人民解放軍50万を投入し、戦局の打開を図ろうとしたが、逆にベトナム正規軍にコテンパンにやられた。イエン・サリは山賊と化して、やがて降伏し、2007年に国際法廷に立たされた。
 ところが「国際法廷事務局に中国人のミッシェル・リー(李志英)がいた。彼女は職権を使ってポルポト派の虐殺をどこが支援したか、なぜ大量の中国製対人地雷があるのかも含め、すべての『審問』から『中国』を消し去った」(107p)
 その地雷を除去し、カンボジア和平に汗を流し、膨大な援助をなしたのが、我が国である。シアヌーク国王は日本に心の底から感謝した。だからカンボジアはずっと親日国家だった。

キリングフィールドの惨劇の記憶が希釈され、若い世代がカンボジアに登場すると、中国の犯罪的行為は忘れ去られる。
 先週、プノンペンで評者(宮崎)が目撃したことはフンセン首相一派のあまりに偏向した親中路線。彼はアセアン会議でつねに中国を代弁し共同声明から中国批判を消し去る代理業務と展開する。かわりに中国は、日本の六倍の巨費をプノンペンに注ぎ込んで、そこかしこに高層ビル、豪華マンションを建て、いつの間にかプノンペン中心部は華僑支配区域と化けてしまっていた。
 靜かに着実に、そして巧妙に、気がつけばカンボジアはまたも中国に汚染されている。反対派はフンセン首相一味の弾圧で国外にあり、しかし日本は軍事力なく政治介入を躊躇い、アメリカは、じつはカンボジア問題に興味を失っている。
 次の悲劇がいつ起こるとも知れない。

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西尾氏「アメリカは間違いなく峠を越している」
中西氏「アメリカは百年前の水準にすっかり落ちてきている」

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西尾幹二 v 中西輝政 (司会 柏原竜一)『日本の世界史的立場を取り戻す』(祥伝社
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 現代日本人に覇気がない。活力がない。いや自らを自信をもって語る思想がない。
 トランプが否定した「ポリティカル・コレクトネス」(言葉狩りの先を突っ走りながら、それが何かを十分い咀嚼せず、その意味さえ分からず、自分が立つべき位置(これが世界史的立場)を客観視できず、つまりは拠って立つ基盤を喪失しかけているのが、日本ではないのか。
宮沢、橋本政権から小泉扁米政権に至って、日本の経済を駄目にしてしまった「金融のグローバリズムなるものは日本の歴史とは無縁の思想である。
 日本の大英雄だった楠木正成を避けて乱世史観の講釈師となった司馬遼太郎が、まだ売れていること自体、日本人自身が精神的基盤を失ってしまったからに他ならない。テレビや雑誌をみても、アジビラの左翼新聞と変わらない意見を吐く「オピニオンリーダー」が跋扈している。
 戦後日本を呪縛しているのは「東京裁判史観」とGHQの日本破壊工作、洗脳工作の残滓、むしろそれに固執して、日本文明の深化、発展を阻害している正体こそ、歴史の亡霊なのである。
 無思想で漂流し続ける日本に、求められているものとは何かを本書は追求する。

 ふたりの碩学キリスト教の根源になるユダヤ教そこから派生したユダヤ教を概括しつつも、カソリックから別れたプロテスタントこそが革命と動乱の原因となった世界史を総括的に議論し、行き着くのはアメリカという国の悪辣さ、その正確の悪さの淵源にある、面妖な思想、というより勝手な思いこみを抉り出す。
 したがって日米同盟の重要性を訴えるまでの安倍外交を認めても、「普遍的価値の共有」などとアメリカに追従する安倍の姿勢はおかしいと徹底的に批判する。
 俄然、文明史の解釈が転倒するような刮目すべき議論が最初から最後まで一貫して、熱っぽく語られるのだ。
 明治維新後の新政府は、イスラムという巨大な文明を軽視し、欧米にひたすら近付いて「鹿鳴館ボケ」に浸かりきり、日本の重要な文化的価値を等閑視した。戦後は「アジア植民地解放」の戦争目的、それこそが日本の世界史的立場であったにも拘わらず、GHQになびき、「戦勝国アメリカをお手本としてきた。
 自らが自らの歴史を否定した。
 その結果、国家の根幹にあるべき安全保障をアメリカの軍事力に依拠して、「普通の国」としての立ち位置も有耶無耶に誤魔化して、この異常を異常と感じない人間を産み、育て、国家破壊にいそしむ勢力を「革新」と呼ぶようにまで転落した。

しかし、そのアメリカが異常な国家であり、永続する筈がないのである。
 冷戦がおわってアメリカのいう「自由と民主主義」が「全体主義の共産圏に勝利したはずだったのに、「終わったはずの冷戦を(アメリカは) 戦い続けた」(中西氏)。「二十五年間、冷戦の残務整理」(西尾氏)。
それを「残務整理」と思っていなかったアメリカは湾岸戦争イラク戦争アフガニスタン戦争を戦い、NATOを東に拡大し、「きわめて攻撃的・膨張的で、冷戦時以上の覇権志向を前回させてきた。しかし、それはすべて挫折して、もう世界から引く時期が来たかも、と思い始めたのが(アメリカンファーストをいう)、トランプ当選に結びついた」(中西氏)。
だからパックスアメリカーナは終演するとふたりは見立てる。
西尾氏「アメリカは間違いなく峠を越している」といえば、中西氏は「アメリカは百年前の水準にすっかり落ちてきている」とし、アメリカは「カルト的国家だった」と言うのである。
だとすれば、今後の覇権は中国に移るのか?
西尾氏が「ヨーロッパの場合は、イスラムの圧力から逃れること、その動きの中で彼らの『近代』というものが生まれたのではないですか」と問うと、中西氏は
「現代中国もまた、このイスラム原理主義の滔々たる流れの時代に世界史的なスケールで台頭してきた(中略)。このイスラムと中華という、二つの『反ないし非キリスト教文明圏』が、欧米への対峙勢力として、世界史的に台頭してきたということを、より大きな文明史的展望において見る」べきであり、いずれ「イスラムと中華によるユーラシア規模の枢軸が、たとえばいまの『一帯一路』などの奇数に欧米を圧倒する時がまもなく来るかも知れない」
欧州はイスラムを拒否することによって近代化し、日本は中華を拒否することで日本独自の文化文明を再構築できた。
とどのつまり、いまの日本が近代を超克できるか、どうかは、文明の鏡としてきた『アメリカ』を克服できるかにかかっているのである。

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 雫石ANA衝突は自衛隊が悪者にされ、なだしおも、釣船のルール違反は無視された
  同様に東電をスケープゴーツして誰々が責任を逃れたのか

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川口マーン惠美『復興の日本人論』(グッドブックス)
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 もともと東日本大震災津波の被害が甚大だったのである。
それがいつしか「福島」に置き換わり、原発論議にひん曲がり、はては原発廃炉、ソフト・エネルギー推奨ときて、太陽光パネル風力発電などという非効率極まりない徒労を背負い込み、無駄金が散在された。いまは電気自動車議論だ。
つまり誰かが仕掛けて、本来あるべきエネルギー議論をねじ曲げたのだ。評者(宮崎)はかねてから不思議に思っていた。
なぜ国家戦略の基本にあるエネルギー政策という本来の議論をしないのか。
地震津波も自然災害であり、福島原発事故は東電に責任はなく、アメリカ製のボロを東電の技術でかろうじて運転してきたものであり、その後の東電の対策は称賛に値するのに誰も言い出さない。
原発を全部とめた分を、東電は水力・火力、はては地熱発電も利用して、しかも一度も東京停電を惹起せずに運営してきたのである。

その苦労を誰も褒めず、ひたすら東電をスケープゴーツに仕立ててきた。筆頭は新潟県知事。そして。。。。。。。。。
事態を悪化させたのは現場に乗り込んで間違った指示を出した菅直人であり、しかし犯罪に値する菅直人首相の行為を声高にとがめるメディアはなかった。

 震災の日、評者はたまたま中国にあって、福建省福州のホテルにいて、偶然スイッチを入れたテレビニュースで知った。
 福州から成田への直行便はなく、翌日、上海まででて、二日間、航空機をまって帰国したが、驚くほどに東京の街は靜かで、モノレールはすいており、地下鉄はいつものように動いていた。電力供給が制限され、「計画停電」という死語が復活し、レストランの営業は九時までだった。
 ちょうど帰国から二日後だったかに、著者の川口さんと食事の機会があった。酒を愉しんだあとにさて寿司をつまもうかという段で「まもなく閉店です」と八時頃にせかされたことだけはよく覚えている。
 さて本書である。
 福島で何が起きていたのか、川口さんは現場取材を重ねる裡に驚くべき事態を知ったのだ。現場重視のジャーナリストの真骨頂が活かされる。
 マスコミといえば、針小棒大な被害報告はドイツのメディアが一番凄まじく、一方でアメリカ軍が展開した「トモダチ作戦は小さくしか報じられず、賠償金に巨額の税金が費消されていた。
 「その額は破格のもので、2017年までの賠償金の支払い総額が、7兆5000億円。それどころか、賠償、除染、廃炉中間貯蔵施設を含めた予算の総額は、22兆円にものぼる」というのだ。
 北海道の江差に行くと「ニシン御殿」が残っている。往時の繁栄が偲ばれる。東北の一部に「ホタテ御殿」がある。豊漁の時代に金満家となった漁師らが豪邸を競った。
 いま福島へ行くと「賠償御殿」が建っている。
 この問題は次のことを派生させてしまった。
すなわち「(1)津波の被害も原発事故の影響も受けていない福島県民と、(2)潤沢な賠償を受け取っている原発事故の避難者、そして(3)賠償などもらえない津波の被災者という三者のあいだに、かなりの気持のすれ違いが起きていた」のだ。
ところが「誰も本当のことを言えない圧迫感が漂っていうように感じた」。このタブーを書くべきか、本来原発の取材に行ったはずの川口さんは迷う。
 取材に協力してくれた福島のひとから「本当の復興のために、(現地の人が直接語るのを憚る)真実を明らかにして」という励ましを受けて、本書に挑んだ。
 まさにタブーに挑戦し、