パルデンの会

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NHK「天安門報道 死者は少数」 実際は「天安門事件の死者は1万人」ねつ造放送に金を払う?????

▲NHKも「虐殺はなかった」と「クローズアップ現代」。

事件から5年後、NHKの「クローズアップ現代」は事件の"真相"を探るという内容の報道を流しました。
その内容は先に述べた矢吹教授の説とほぼ同じで事件当時学生達と共に英雄記念碑にとどまっていた台湾のシンガーソングライターが自らの体験として戒厳軍との話し合いがつき自らを含めて学生達は全員平和裏に広場から撤退したと大げさな身振りで説明している様子が映されていました。
極め付きは当時の"秘話"としてスペインの放送局が撮影したというビデオの放映でした。それによるとスペインの放送局のクルーの車が明け方前の暗闇の中を天安門広場へ向けて東から裏道を通り近づく様子が映し出されていました。
それは全く静寂そのものの映像でした。こうして「クローズアップ現代」も天安門広場で死者ゼロの結論で締めくくられました。
 
 
中国共産党の発表では、「事件による死者は319人」となっているが、この事件による死傷者については上記の中国共産党による報道規制により客観的な確定が不可能であり、数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではない。また、天安門広場から完全にデモ隊が放逐されたあとに人民解放軍の手によって死体が集められ、その場で焼却されたという情報[14]があるように、事件後に中国共産党によって多くの死体が隠匿されたという報道もある。 また、約300名の活動家がパリに亡命した。
 
 
週刊新潮】中国「天安門事件」、本当は何人殺されたのか~20年後の今、振り返る[02/05]




天安門事件の死者は1万人」 英公文書を公開

12/23(土) 19:40配信
AFP=時事
【AFP=時事】1989年に中国の首都・北京の天安門広場(Tiananmen Square)で民主化運動が軍によって武力弾圧された「天安門事件」の死者が、少なくとも1万人に上るとする英国の公文書が新たに公開された。

【写真】天安門事件から28年、香港で大規模な追悼集会

 公開されたのは英国の外交機密電報で、陰惨な天安門事件の詳細をつづっている。天安門事件から28年以上を経て公にされた電報をAFPが英国立公文書館で確認した。

 当時の駐中国アラン・ドナルド(Alan Donald)英大使は本国政府への電報で「最低に見積もっても一般市民の死者は1万人」と報告している。

 当時、一般的に報じられた死者数は数百人から1000人余りで、弾圧が起きた翌日の6月5日に出された同氏の推定は、広く受け入れられていたその人数のほぼ10倍となっている。

 フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン(Jean-Pierre Cabestan)氏は、最近機密解除された米国の文書も類似した死者数を割り出しており、当時の英大使によるこの推定値には信ぴょう性があると述べている。【翻訳編集】 AFPBB News

(朝鮮日報日本語版) 「中国の天安門事件 死者1万人以上だった」

12/22(金) 9:02配信
朝鮮日報日本語版
 1989年6月に発生した中国の天安門事件で、「死者が1万人を上回る」という証言があったと香港のインターネット・メディア「香港01」と米ラジオ放送「自由アジア放送」(RFA)中国語版などが20日、報じた。

 これらメディアは、英国政府が先月、機密扱いを解除した外交文書を引用、天安門事件に詳しい中国国務院の上層部の人物が「デモ隊を武力で鎮圧した時に死亡した市民・学生・軍人は1万人を超えていた」と証言したと伝えている。この文書は当時、中国にある英国大使館にいたアレン・ドナルド卿が本国に報告したものだ。

 この文書によると、6月3日夜に始まった鎮圧作戦は4段階で行われたという。瀋陽軍区第39集団軍が投入され、当初は武器を携帯せずにデモ隊の解散を試みたが、後にデモ鎮圧装備を使用、第3段階では威嚇射撃をするなど、鎮圧の強度を引き上げたものの、解散させられなかった。そして第4段階で山西省駐屯第27軍が投入され、デモ隊に向けて発砲したと書かれている。

 天安門事件の犠牲者数については、さまざまな説がある。当時の北京市長は「約200人が死亡し、3000人が負傷した」と証言した。中国赤十字社では、病院に運ばれてきた遺体を基準に犠牲者は2600-3000人に達したと見ており、米ホワイトハウスの機密解除文書では、中国の内部文書を引用して計1万454人が死亡したとしている。

天安門事件とはの巻

1989年6月4日…現代中国を考える上で最も重要な日 
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天安門事件から25年が経ちましたね。 天安門事件とは、1989年6月4日、北京での民主化運動を人民解放軍が武力鎮圧した事件です。 発端は、学生デモに同情的だった胡耀邦元総書記の死です。 デモやストライキが起きると当局は戒厳令を布告し、6月4日未明に無差別発砲をしました。 鎮圧を命じたのは当時の最高実力者、鄧小平氏です。 民主化運動には極めて厳しかった人物でした。 1989年といえばベルリンの壁が崩壊した年でもあります。 東欧とは対照的ですが、中国も共産主義を捨て市場経済を加速させた結果今日の繁栄があります。 しかし、経済成長に専念するあまり、政治改革は手つかずで社会的格差は広がる一方です。 民主化運動に参加した学生たちは指名手配され、逮捕されたり、国外に住んでいるのが現状です。 2013年10月にも車が広場に突入する事件がありました。 広場周辺は重要な施設が多いので監視も一層強化されているそうです。 また、内政の問題から目をそらせるために軍拡へと進んでいるという見方もできます。 中国の民主化は不可能なのでしょうか?

日中記者協定で、朝日新聞NHK,毎日新聞が、中国から擁護されているおかしな現実をどのように思いますか?

1960年代、日中友好という風潮が世間を騒がせました。
日中記者交換協定」という取り決めが行われたのが1964年。
日中友好の証として、パンダのランラン、カンカンが上野動物園に贈られたのが1972年、贈られたと言っても実際は年間数千万円ものレンタル料を支払わされていた。パンダが死亡すると数億円の慰謝料を要求された)

これは、日本と中国とで新聞記者を相互に常駐させるという協定です。
しかし現代になってこの協定がある事で、中国にとって都合の悪い報道が出来なくなってしまったという現実があります。

この協定内容は
1. 日本政府は中国を敵視してはならない
2. 米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない(台湾独立に加担しない)
3. 中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない

というもの。

日中記者交換協定」という取り決めがある事で、NHK六四天安門事件で”死者はいませんでした”と報道しました。

(実際は数千人以上の若者が中国人民軍により虐殺されました)
モンゴルやウイグル自治区が中国政府に制圧され、多くの一般市民が虐殺されている真実も報道できないままとなっています。

中国様のご機嫌を伺っている(NHK、朝日、毎日等の)報道機関は真のジャーナリズムを語る資格はありません。

日中記者交換協定」を結んでいない唯一の全国紙は産経新聞だけです。

下記より引用
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213495176...