香港情勢が混迷の度合いを深めている。容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案をきっかけに抗議活動は先鋭化。11月24日の区議会議員選挙で民主派が圧勝し、政府に対する民意ははっきりした。米国が香港での人権尊重や民主主義の確立を支援する法律を成立させ、民主派は勢いづく。それでも香港政府は譲歩する姿勢を見せない。政府と市民の間で深まる溝。中国や香港に精通する亜細亜大学の遊川和郎教授は、区議会選挙の直前に中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席の取った行動が混乱に拍車をかけていると指摘する。

遊川 和郎(ゆかわ・かずお)氏
亜細亜大学アジア研究所教授。東京外国語大学国語学科卒、1981年9月から83年3月まで上海復旦大学に留学。91年10月から94年3月まで、外務省専門調査員として在香港日本国総領事館調査部に所属。改革開放の先進地であった中国南部の経済発展の動向や、香港財閥系企業と中国企業の関わりなどを研究。日興リサーチセンター上海駐在員事務所長、北京の在中国日本国大使館経済部専門調査委員、北海道大学准教授、同大学大学院教授などを経て現職。著書に「中国を知る」(日本経済新聞出版社)、「香港 返還20年の相克」(同)など

香港情勢が混迷しています。区議会議員選挙で民主派が圧勝したのに続き、米国が香港での人権尊重や民主主義の確立を支援する「香港人権・民主主義法」が成立しました。民主派が勢いを増す状況に中国はいら立ちを強めています。

遊川和郎・亜細亜大学教授(以下、遊川氏):中国・香港政府は11月24日の区議会選挙で親中派が負けないことを前提に事態を収拾に向かわせる算段をしていたと思います。でも、親中派が大敗したことでその目算が大きく狂い、収拾に向けた計画が宙に浮いてしまったのではないでしょうか。

というと?

遊川氏中国共産党は10月末の「四中全会(第19期中央委員会第4回全体会議)」で、事態の収拾方法と戦後処理方針を決めたのだと思います。第2次世界大戦における「ヤルタ会談」と同じです。過激な暴力の是非に焦点を当てて区議選を乗り切り、交代論がくすぶる(香港政府トップの)林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官に続投させることを決めたのでしょう。一方、戦後処理としては香港の統治が脆弱化していることに対し、行政長官や主要閣僚の任免方法、司法解釈の制度化などに手を付けることに言及しています。

容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案が今回の混乱のきっかけですが、そもそも、なぜ、ここまで問題がこじれたのでしょう。

遊川氏:林鄭氏の最大のミスは6月9日の百万人デモの夜、予定通り12日から「逃亡犯条例」の審議を行うと表明したことです。初動での判断の誤りが、平和的なデモから市民と警察の対立へと発展させ、過激な抗議行動を正当化させることにもなりました。同15日には審議先送りを表明せざるを得なくなったわけで、わずか数日の判断ミスが致命傷でした。

 その後の当局のちぐはぐな対応も当事者能力の欠如を感じさせます。林鄭氏は区議会選後の11月25日に「選挙の結果を尊重し、市民の意見に謙虚に耳を傾ける」と声明を出しておきながら、その翌日の記者会見で、「(民主派が求めてきた普通選挙の実現などの)五大要求は再考しない」と正反対のことを言ってしまう。譲歩するなら、このタイミングしかなかったのに。

 (抗議活動への参加者が顔を隠すのを禁じる)覆面禁止規則もそうでした。9月26日に市民との対話集会を開いて、市民に寄り添う姿勢を見せたにも関わらず、10月4日に「緊急状況規則条例」を発動して翌5日からの適用を決めました。出すメッセージがちぐはぐで、「衣の下の鎧(よろい)」が見えています。支持率を見て分かる通り、市民からの信頼がありません。

行政長官としてのリーダーシップに欠けると。

遊川氏:もちろん、香港の行政長官は中国政府の意向に沿わなければならないのだから、林鄭氏が自分ですべてを決められないという面はあります。ただ今回はナンバー2以下、本来、行政長官を支えるべき側近が全く機能していませんでした。

中国政府の意向に沿わなければならないのは、過去の行政長官も同じでは?

遊川氏:もともと香港の行政長官に求められていたのは香港市民の声を北京と折衝して実現する役割でした。官僚ではなく政治家の仕事です。ところが中国側が行政長官に求めるのは忠誠心です。中央への忠誠心だけで判断する北京の考え方は、だんだん民意を無視した人選になってきました。そもそも市民が望まない人が行政長官になっているわけです。

 1997年に香港が中国に返還された当時、経済力は香港の方が中国よりもずっと高かった。それが2001年に中国がWTO世界貿易機関)に加盟し、経済成長を遂げる一方で、香港は自力での成長戦略が描けなくなり、SARS重症急性呼吸器症候群)後は安易に中国に依存するようになった。中国からすれば、香港を助けてやっているのになぜ、香港に高度な自治を認める必要があるのか、中国が香港から得られるものは何なのだ、ということになります。

 もともと返還が決まった1980年代当時、国際社会はいずれ中国が自由で開放された社会に向かうと信じていました。香港が、民主的な社会や市場経済を中国に示すモデルとなる。香港の制度に中国が近づいてくるという発想です。その猶予期間が50年だったわけです。

 いわば、市場経済、自由な社会、法の支配という香港のOS(基本ソフト)に、中国もいずれは互換性を持つようになるだろう、という考え方でした。ところが現実は違った。習近平指導部になってからは香港OSの上に監視、検閲、言論統制といった中国アプリを載せようとして不具合が起きており、さらに「一国強化版」という共産党OSとの互換性強化を図っている。それが今の状況です。

 共産党の対香港政策の「一国二制度」後半のキーワードは「自治から融合へ」です。これまでは中国でありながら香港の制度(自治)を守るという意味で一国二制度でした。でもこれからはその二制度を一つの制度に融合して一国に収れんしていく、というものです。

そもそも香港に民主主義はいらないと。

遊川氏:習氏はイデオロギー統制が緩かったから旧ソ連は崩壊したとの思いが強い。その教訓を中国に生かさなければならないという危機感を強めています。国内とは異なる制度は統治の脆弱性を増す、という考え方です。

 香港政府は最近「国家所需、香港所長」という言葉をよく使います。「国の必要とするところを香港は伸ばしていく」という意味です。国家への貢献こそが香港が生存していくには必要、という危機感と言ってもよいでしょう。(隣接する広東省マカオと一体開発する)「大湾区(ベイエリア)構想」という与えられたチャンスをいかに生かすのか、ということになります。