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中国「態度軟化」の背後と今後

【石平のChina Watch】中国「態度軟化」の背後と今後 )

2010.10.7 08:04 産経新聞
このニュースのトピックス:領土問題
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/101007/chn1010070809000-n1.jpg共同声明に調印し、握手するロシアのメドベージェフ大統領(右)と中国の胡錦濤国家主席。ロシアと中国が対日戦勝の歴史観共有をアピールした=9月27日、北京の人民大会堂(AP)
 尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件で9月末から、中国側の対日姿勢に「軟化」の兆しが見えてきた。日本に突きつけた当初の「謝罪と賠償」の要求は影を潜め、中国外務省報道局長の口から「日中関係重視」の発言が出た。9月30日には、中国当局によって拘束されたフジタ社員4人のうち3人が解放された。
 この背後には、何があるのだろうか。
 原因の一つとして考えられるのは、中国政府の理不尽な「対日報復措置」に対する国際社会の批判だ。9月下旬に入ってから米国のワシントン・ポストシンガポールの有力紙などが相次いで中国批判の論評を掲載したりして中国への国際社会の風当たりが急速に強くなった。
 もう一つの要因は中国の国内事情だ。今月15日から中国共産党中央委員会の年に一度の全体会議(五中全会)が開かれるが、この会議においてポスト胡錦濤の後継者体制づくりが山場を迎える。国内政治上の大事な日程を控えている中で、中国はしばらく、外交上の波風を立てたくなかったのではないか。
 そして最後に一つ、中国政府の日本への「謝罪と賠償要求」に対して、日本側は拒否の姿勢を明確に示したことも大きかったと思う。9月26日、日本政府首脳が「拒否」と明言した直後から、中国の強硬姿勢に変化が見られたのだから、「毅然(きぜん)とした対中外交」の大事さがふたたび証明された。
 このように、この原稿を書いている今月2日の時点では、事件発生以来の緊迫が終息に向かっているかのように見えるが、中国は本当に矛を収めて「対日友好」に転じてくるのだろうか。
 実は、中国政府の対日姿勢の「軟化」が見られたのとまったく同じ時期に、それとは正反対の意味を持つ動きもあった。
9月27日に北京で行われた中露首脳会談で「第二次大戦終結65周年に関する共同声明」が調印されたが、「歴史問題」の蒸し返しから始まったこの反日色の強い「共同声明」は明らかに、中国がロシアと組んで「領土問題」での「対日共闘」をアピールしようとしたものである。
 そして9月30日、中国の新華通信社は共同声明の「歴史的意義」に対する解説の時評を配信したが、「釣魚島(尖閣諸島)」という固有名詞がその中で姿を現した。中国政府の意向を代弁したこの時評は、戦後、米国が尖閣諸島を沖縄とともに日本に返還したことを「ポツダム宣言に背いた勝手な行為」だと非難した上で、それが「歴史の正義が実現されずにして、(戦争)犯罪はいまだに清算されていないことの表れである」と断じた。
 要するに中国政府は、「尖閣問題」をわざと日本の「戦争犯罪問題」とリンクさせて、「歴史の正義」の大義名分を掲げた。「犯罪への清算」の名目において、いわば「道義的高み」に立って尖閣諸島の領有権を争おうとする構えなのである。
 こう見ていると、中国は決して矛を収めたわけではない。諸般の事情により日本との一時の「休戦」に入った北京政府は、むしろこの期間中に戦略を立て直して日本との「第2ラウンド戦」に備えているもようである。 そして今度、彼らはおそらく、本来なら存在しないはずの「領土問題」をまさに「領土問題」として正面から提起して攻勢をかけてくるのかもしれない。いずれか、北京はふたたび、牙をむいてくるのであろう。 そしてわれわれにとって、日本の領土を守るための本格戦は、まさにこれから始まるのである
 


 
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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成22年(2010)10月8日(金曜日)
        通巻3092号 
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 15日から五中全会、胡錦濤尖閣問題で追い詰められるか?
   尖閣衝突は江沢民上海派軍閥がしかけた謀略だった可能性が浮上
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 10月15日から第十七期第五回中央委員会(五中全会)が開催される。四日間の日程、18日に人事発表もあると観測されている。

 第一に胡錦濤主席がようやく全権を掌握し、江沢民一派(すなわち上海派)に最後のとどめを刺せるか、どうかという状況がどうなるか。
とくに軍の上層部を入れ替え、軍内の江沢民派をなんとか少数派に追い込み、他方で長老らの影響力をそぎ落としてきた。それでも朱容基、李鵬、李瑞環らはそれなりの党内影響力を保持しているが、かれらは江沢民との距離をおく。
飴とむちで胡錦濤が採用した作戦は、これら大幹部の息子たちの高位抜擢だった(たとえば李鵬次男は山西省常任副省長)。

 第二に温家宝共産主義青年団(団派)との協調路線は「親民路線」(ポピュリズム)を高揚させ、これで左派、原理主義者らが陣取る新華社、人民日報ならびに中央宣伝部の力量を、ネットを活用することで相対化させてきた。
 この主流派の「平和台頭」「和諧社会」キャンペーンをぶち壊し、左派をまき込む作戦を江沢民派がとるのも上海前書記=陳良宇逮捕、十八年徒刑への逆襲劇である。

 貧困知識人層に毛沢東主義復活の兆しがあるのは左派の巻き返し、それに乗じた太子党の一部である。
 各地に毛沢東銅像をあたらに建立している地域は、こうした政争が背景に潜む。

 第三に太子党人脈の日和見主義への転落を助長し、習近平がたとえ次期主席に就任しようとも、胡、温の多大な影響力を温存させるべく、省単位、各地方政府行政単位、各省の局長クラスにいたるまで共青団人脈を配置して、太子党の周りを取り囲んできた。
 こうなると太子党もまた利権優先の上海派との距離をとるようになる。

 第四は一匹狼的存在。
 跳ね上がり薄き来は庶民のポピュリズムに訴えたが党内からは逆に反発はげしく、うきあがってきた。薄は重慶書記として地方改革に辣腕を振るっても中央に彼を支持する人脈を築いていない。
汚職摘発はネット上でたとえ若者の支持を得ても、党のヒエラルキーからは疎んぜられるわけである。

かくして百家争鳴、各派繚乱、侃々諤々の中で江沢民一派は起死回生の謀略をしかけた。軍の謀略機関をそそのかし、尖閣漁船衝突事件を演出して日中間にも緊張を醸しだし、胡・温執行部を窮地に追い込んだのだ。
これで、次期主席に習近平を確実なものとさせるばかりか、各地での上海派温存の取引を賭けている。
最新の中国からの分析である。