パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

大マスコミが「黙殺」している地域の被災者のみなさん。私たちはちゃんと見ています


災害情報として NHK, NHKーWORLD, 原子力保安院、東電 の会見をリアルタイム でパソコンで 視聴しているが 余りにも 記者たちのお粗末さ、会見側のお粗末さが目に付く。
記者とは 我々の代表と言うコンセプトが無く 勉強しておらず、会見者側のペースで進められて 我々の知りたい事は聞かず、報道はすべて
会見者側
の回した資料のみという現実を 切実に感じている。

これが記者クラブの談合体質かも。


勝谷誠彦の有料ブログより

2011年3月22日号。<大マスコミが「黙殺」している地域の被災者のみなさん。私たちはちゃんと見ています>。
 
昨日の『スッキリ!!』で私がテリー伊藤さんに対して怒声をあげたのも、その場の発言の
やりとりというよりも、あまりにこうした想像力が欠如しているからだ。「面白ければいい」
というテレビ屋の発想が許される時と許されない時がある。人体にまだ大きな影響がないほどの
食品の放射性物質の汚染について延々と報じることは百害あって一利ない。ましてや実際に被爆
した時に使われるヨウ素についてフリップを持ちだして語り始めるなどというのはやりすぎだ。
確かに大多数の人は「大丈夫なんだ」と思うだろう。しかしかならず一定の割合で「ホントかな。
自分は先回りしてヨウ素を確保しよう」という人びとがいるのである。それは今回の首都圏の
物資の買い占めを見ればわかることでしょう。
説明をしてくれた専門家の先生が悪いわけではない。ああいう方々は「最悪の場合」を淡々
と語るものだ。だからこそスタジオがその不安の矛先を正しく誘導しなくてはいけない。
にもかかわらずその危うい話題をより掘り下げようとしたテリーさんに対して私は
「緊急冷却装置」を作動させたのである。あとから睨み合いになりましたけどね。
もっとも私の中にも抑えきれない怒りがたまっていたことも事実だ。私にはどうして
も伝えたいことがあった。局入りの車に乗りこむまさにその時にかかってきた一本の電話
の内容を話したかったのだ。打合せでそのことを頼んだにもかかわらずわざとのように
その機会は与えられず、逆にあの百害あって一利ない情報をだらだらと流していたのだ。

電話とは田中康夫さんからだった。阪神淡路大震災の時もボランティアで活躍した田中さんは、
いち早く相馬市と南相馬市に飛び込んでいた。ドライシャンプーを大量に手にして、である。
その田中さんから昨日の早朝に電話があったのだ。両市の市長などと話したあとの田中さんの声
は怒気を含んでいた。

 「大マスコミはどこも来てないよ。一社もだ。先日、松本龍防災担当相が乗りこんできたが、
そこにも随行していない。いま、外に出ているこの地の記事といえば『週刊文春』のグラビアだ
けだよ」

 『週刊文春』の写真を世に出したのは、我等が不肖宮嶋である。ホント、不思議なんだけど、
田中さんにしても私にしても不肖にしても、何かヤバいことが起きると妙につながるんだよなあ。

 なぜ大マスコミが来ないか。福島原発から近いからだ。「イラクと同じだよ」と田中さんは言
った。デスクが局長が、責任をとりたくないからである。オノレの高給と天下りを守りたいから
である。そういえばイラクでも突っ込んでいったのは私や不肖だったなあ(苦笑)。

 田中さんの驚愕情報は続く。なんと、被災からこの方、相馬市にも南相馬市にも東京電力からは
「電話の一本もない」という。県からも連絡があったのは被災から一週間がたってからのこと
だった。両市の人びとは「見捨てられている」と感じているという。メディアが入って被災状況を
報じるのは、そうでない地域の人びとの同情を誘うためではない。「ちゃんとあなたたちのことを
見ているよ」と被災者の方々に伝える方が大事なのである。相馬、南相馬ではそれがなされて
いないということであった。

日本有数の事情通である田中さんの話は「これだけの事態なのに東電の勝俣恒久会長がまったく
表面に出て来ない」ということの裏事情に広がって行くのだが、それはまた後日。確かに。
芸能人の醜聞の時に押しかけるあのパワーでもって、テレビのレポーターは勝俣会長の自宅
に行けよな。
金融機関も全く機能しておらず、現金を引き出せるのは郵便局だけ。医療機関から関係者が
逃げたというような話だけは大マスコミは報じるが、それは逃げたのではなくいてもインフラが
崩壊して何もできない、だったら他の場所に応援に行った方がいいという事情だったからだという。
こんな気の毒な内実をちゃんと取材せずに風聞によって、足を引っ張るような記事だけは垂れ流す
のだ。

 ちなみにこれは別ルートからで、その孤軍奮闘している郵便局関係者の話。相馬地域ではないが、
津波につかって濡れてしまった1億円の「日銀パック」を日銀に持ち込んだところ
「乾かしてから持ってこい」と突き返されたとのこと。大マスコミはこういう情報こそ
ちゃんととって、責任者を吊るせよな。
この相馬市と南相馬市の視聴者に私は言葉を届けたかった。無駄に垂れ流している電波でもでき
ることがあるのである。
全国ネットも終わりの方になって「家庭でできる節電」などというホントにどーでもいい企画
をイライラしながら観ていると、フロアのスタッフと進行役の青木源太アナが目顔で私に振って
くれた。そこで、かの地の人びとに「私たちは忘れていない」と呼びかけることができたのだ。
テレビ局でもこうして現場で機転をきかせてくれるようなスタッフもいることを覚えておいて
下さい。

昨日はついに仕事場に「突入」した(苦笑)。ダンボール数箱の資料を軽井沢の自宅に疎開
させて、ようやく部屋の半ばまでの道が開通した。都内でもっとも激しく被災した場所かも
しれないと思った(泣)。
終えて外に飯を食いに出る。夜空にまもなく赤坂プリンスホテルが目に入ってきた。ご存じ
のようにあと10日ほどで閉館する。
<シティホテル曲がり角/外資に押され戦略転換>
http://www.sankeibiz.jp/business/news/110311/bsd1103110502004-n1.htm
おおっ。奇しくもこの記事は11日の早朝の配信なんだなあ。その時に誰がこんな大災禍が列島
を襲うと思っただろう。
その赤プリを、避難所として活用できないだろうか。地震発生直後から実は私はそう思いつ
いていた。すると都心をよく知る複数の方々から同様なメールが届いた。考えることはみんな
一緒である。
旅館や民宿で収容を、という時に書いたように、ホテルには既に設備が整っている。赤プリに、
というと贅沢なようだが、仮設住宅などを新設するコストを考えると、そうでもない。もちろん
ダブルベッドの一部屋に、一家族で入り、床も使ってもらうのである。何もかつてのバブルの

ころ赤プリを使ったカップルのようにしてくもらうわけではない(笑)。バンケットルームも
使えるだろう。プライバシーはないが、東北の寒い体育館よりはよほどいいはずだ。
何よりも、被災者の方々が日本のど真ん中にいるということの「意味」が私は大きいと思う。
誰もあまり言わないが計画停電の中でも都心は電気が止まらない。私もその恩恵を受けている。
たとえばその地域の電気代を値上げしてこうした都心で受け入れる被災者の費用に回してもらっ
てもいいではないか。

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