パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

「内モンゴルは臨戦状態」と内部通達 逮捕者およそ100人


天安門事件22周年がすぎ、ますます 中国共産党政府は 南モンゴルと、四川省チベット人に対して 抑圧を与え続けている。
南シナ海でもベトナムと問題になっている。
尖閣南シナ海でのいざこざは 領海問題よりも 内政に目を向けさせないための
一つのやり方である。 しかし 軍事費より多い 警察を含む内政の警備費用の増大は
不安定な共産党政府の唯一の内政安定(鎮圧)の手段であろう。



http://www.epochtimes.jp/jp/2011/06/img/m10769.jpg
内モンゴル自治区内に配置された武装軍人(南モンゴル人権情報センター)

内モンゴルは臨戦状態」と内部通達 逮捕者およそ100人



 【大紀元日本6月8日】外部に漏えいした中国当局の内部通達で、軍が内モンゴルに大量に進駐していることや、現地の大学や政府機関が封鎖されていることを踏まえ、中共当局は今の内モンゴルの情勢を「臨戦状態」と例えていることが明らかになった。ラジオ自由アジア(RFA)が報じた。

同内部通達は内モンゴル政府の共産党委員会が作成したものとされ、同地区の一部の主要都市で起きた数千人規模のモンゴル人の抗議活動を「外部の敵対勢力が起こした」と結論付けている。しかし、これらの「敵対勢力」の詳細情報については説明がない。

ニューヨークにある南モンゴル人権情報センターが入手した同内部通達には次の記載がある。「いま、フフホト市(省都)は、戦争のような状態にある」、「すべての重要な場所に軍を配置している」、「すべての学校のほか、すべての共産党または政府機関で封鎖を講じている」、「目的は、悪い人たちを孤立させ、敵対勢力に深刻な打撃を加え、学生の安全を守るため」、「これは政権を守るための重要な政治的な任務である」

先週、フフホト市在住の自営業の女性がRFAの取材で、戦車や防弾チョッキを着た武装警官がおり、まるで「戦争の準備をしている」ようだと形容した。

海外の中国語情報サイト「博訊ネット」6月3日の報道によると、北京政府はすでに解放軍の陸軍第38軍、第27軍、第65軍を内モンゴルに進駐させた。第38軍は天安門事件で学生を弾圧した部隊であり、中国軍の中でもっとも先鋭的な野戦軍である。

すでに100人近くが逮捕されている

南モンゴル人権情報センター6日の情報によると、内モンゴルの抗議活動で合わせておよそ100人の学生や遊牧民、住民が逮捕されている。このうち、40人以上のモンゴル人学生と遊牧民はシリンゴル盟で逮捕されており、およそ50人の学生と住民はフフホトの抗議活動で逮捕された。「いまも逮捕が続いている。有名な作家や学校の教師も含まれる。今日(6日)も2人の教師の身柄が拘束された」という。

同情報センターが5日に公表した新聞公告によれば、内モンゴル当局はいま、住民の自宅を一軒一軒調べ、抗議の参加者を割り出すほか、外国とのつながりも調査している。

内モンゴル師範大学の教師はRFAの取材に対して、「当局は新たな逮捕を始めている。隣に住む人は、つい先ほど身柄を拘束された」と証言し、「内モンゴル人は、再び政治的粛清が始まるのではないかと懸念している。1968年の大虐殺はまだモンゴル人の記憶に鮮明に残っているから」と語った。

公式の統計によれば、文化大革命の期間中の1968年から70年までに、16,222人のモンゴル人が殺され、多くの人が監禁され拷問・リンチを受けた。

いまの内モンゴルの情勢について、南モンゴル人権情報センターはエンフバト代表は、「緊張の情勢はすこし緩和したようだ。人々は街頭に出て日常的な生活ができている。一部の学生は学校側の許可を得れば校外に出られる。しかし、広場や、学校、公園などには依然として武装した軍人が配置されている。一方で、当局は新たな逮捕活動を始めており、その対象にはインターネットや携帯電話から関連の情報を発する内モンゴル人も含まれている」と証言した。また、「多くの地域ではインターネットは依然として?がらない。電話と携帯電話は時々通じるが、突然切断されたりしている」という。

AFP通信はフフホト市当局に電話取材を試みたが、回答を得られなかった。同市内の情勢は依然として緊張しており、あるホテル関係者の話では、交通は復旧したが、警察は数日前の大規模抗議デモのスタート地点だった新華広場を厳重に警備している。

南モンゴル人権情報センターはフフホト大学の研究者の言葉を引用して、「我々モンゴル人は漢族の統制から脱却して自由を得るために努力している。自治権あるいは民主を求めて」と伝えた。

5月上旬に、炭鉱採掘に抗議したモンゴル人男性が漢族の人に故意に殺害される事件が発生した。後に自治区内の各地でモンゴル人による千人規模の抗議活動が相次ぎ発生、当局によるモンゴル草原への環境破壊や現地遊牧民の権益への侵害を訴えた。

(翻訳編集・叶子)


 (11/06/08 08:03)







 

「私たちの人権は、血を流して戦う覚悟がなければ守れない」


福島 香織  

1998年、上海で留学中だった私の中国語の家庭教師はモンゴル族の女性で、元ラジオ・アナウンサーだった。同じモンゴル族の夫と共に大学院に入り直している才媛である。

当時、街中ではまだ上海語を話す人が圧倒的に多く、周辺の中国人も上海なまりが多かった中で、彼女の美しい発音の普通話(日本で言う標準語に相当)は実に印象的だった。あまりに綺麗な発音なので、「モンゴル族なのにどうして普通話がそんなにうまいの?」と問うと、彼女はちょっと情けなさそうに笑って「モンゴル族は美しい普通話を話せないと生きていけないのよ」と話した。


自治権が得られると思っていたが裏切られた

先日、偶然にも同じ言葉を、東京で会ったモンゴル族留学生から聞いた。バト・ソワさん、という。雑談の中で「モンゴル語で中国の大学受験はできるのか」と私が聞いた時、彼は「できることはできますが、モンゴル族普通話が話せないと生きていけません。モンゴル語で大学に行っても仕事などありません」と答えたのだった。

その時、彼女の、あの情けなさそうな顔をふと思い出した。誰より美しい普通話を話すために、どれほどの努力を重ねてきたか。

夏休みに彼女の故郷のハイラルに遊びに行った時、家族とは当たり前のようにモンゴル語で会話していた。「今も野生のオオカミがいるのよ」と真っ青な草原を誇らしげに案内してくれた、別人のように明るく伸びやかで自信にあふれた様子を、再び思い出す。大学で漢族社会になじんでいたかのように見えた彼女も、本当はとても苦労していたのかもしれない、と今頃になって気付いたのだった。

バト・ソワさんは言う。「当初民族自決を掲げていた中国共産党と協力し内モンゴル自治区を設立したモンゴル族は、本当の自治権が得られると思っていたが裏切られた。文化大革命では、モンゴル族というだけで分裂主義者と断罪され、十数万人が粛清された。モンゴル族はずっと漢族に裏切られ続けています」。

そして自分のお兄さんの話をしてくれたのだった。


モンゴル族文革は終わっていない

バト・ソワさんのお兄さん、バト・ジャンさん(37)は、今年4月、懲役4年・執行猶予3年の判決を受け、現在、警察の監視下に置かれている。罪状は帳簿不明などの経済犯罪。しかしバト・ソワさんに言わせればこれは冤罪だ。

簡単に経緯を説明しよう。バト・ジャンさんは医者で、2001年、モンゴルとチベットの伝統医学を教える学校をオルドス市に創設した。この学校はそれなりに評判になり2009年までに全土や海外のモンゴル族チベット族ら300人以上の学生が学んだ。

2007年に学校を拡張すべくオルドス市政府に教育目的の用地利用を申請した。すると政府はその見返りに520万元のワイロを要求。バト・ジャンさんはこれを高利貸しに借りて支払った。

ところが2008年3月14日に発生したチベット騒乱以降、漢族による少数民族への警戒感が強まった。特にチベットと名のつくものに対する弾圧は激しく、市政府はある日突然、バト・ジャンさんに対する土地の利用許可を取り消した。そしてワイロは返してくれず、高利貸しの借金だけが残った。

わずか1年の利子が290万元に上る。雪だるま式なので、このままでは破滅である。政府に抗議に行くと、電子メールなどで「殺されていいのか」との脅しを受けた。
 
 命の危険を感じたバト・ジャンさんは2009年5月、旅行ビザでモンゴルのウランバートルに行き、そこの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に難民申請を行った。申請の審査期間として2カ月のモンゴル滞在許可が下りた。2カ月経ても審査の結果は出なかったが、さらに2カ月の滞在許可が下りた。 


続きは 下記コメント欄に