パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

ダライ・ラマ氏の「個人特使」、中国政府と協議 チベット自治区幹部が明かす=香港メディア

ダライ・ラマ氏の「個人特使」、中国政府と協議 チベット自治区幹部が明かす=香港メディア

2014-08-26 21:21


http://image.searchina.net/nwscn/7/1/3/1541713.jpg
 香港メディア・東網は25日、チベット仏教の最高指導者
ダライ・ラマ14世の「個人特使」が同氏のチベット帰還について
中国政府と協議を行っているとするインドメディアのザ・ヒンドゥー
報道を伝えた。 

記事は、チベット自治区共産党委員会の呉英傑副書記が24日にインドメディアの記者訪問団に対して「ダライ・ラマ14世の個人特使との協議が継続中であり、順調に進んでいる」と語ったことを紹介。
一方で、呉副書記が「われわれの議論は彼個人の未来についてであり、チベットの未来についてではない」と語り、協議があくまでダライ・ラマ14世のチベット帰還についてのみを対象として行われていることを示したと伝えた。 
呉副書記はまた、「ダライ・ラマ14世やその身辺の人物を含むすべてのチベット人は、チベットが中国の一部であることを認め、かつ独立主義的活動を放棄しさえすればチベットに戻ることができる」と強調したという。 
さらに、中国政府とチベット亡命政府との政治的協議について質問を受けた呉副書記は「ダライ・ラマ14世が中国に対してチベットから軍を撤退するよう要求することは不可能。軍隊はわが国の象徴だからだ。ならばインドは、(中国との国境紛争地帯である)アルナーチャル・プラデーシュ州から軍隊を引くことに同意をするか」と回答した。 

記事は、2002年9月から10年1月までにダライ・ラマ14世の特使と中国政府が9度にわたって協議を行ったと紹介。同氏は11年3月10日に政治的なトップの座を退き、ロブサン・センゲ氏が亡命政府のトップに就任したが、中国政府は「ダライ・ラマの個人代表とのみ協議を行う。亡命政府の首長には対話の資格はない」と強調してきたと伝えた。(編集担当:今関忠馬)(写真は東網の25日付報道の画面キャプチャ)



チベットで異民族間の結婚が増加」と豪メディア 中国政府の狙いとは?=中国メディア

2014-08-19 21:05

 中国メディア・環球時報は18日、チベット自治区の安定 を守るために中国政府が異なる民族どうしの結婚を奨励しているとするオーストラリアメディア、シドニー・モーニング・ヘラルドの17日付報道を伝えた。  記事は、チベット自治区の官僚が先日同自治区内の異民族カップル代表を集めて懇談会を開き「民族間の結婚を積極的に推進し、民族どうしの濃い関係を作る よう努力しなければならない」と発言したと紹介。そして、政府の努力がすでに奏功し始め、同自治区が今月発表した報告で2008年に666組だった異民族 間の結婚が年間2ケタのペースで増加し、13年には4795組にまで増えたことが明らかになったと伝えた。  また、詳細な説明はないものの、報告で民族間の結婚急増の背景に「社会保障、結婚出産、休暇、子女の就学や就職といった方面での優遇政策によるもの」と されたことを紹介した。同自治区では人口の90%がチベット族で、漢族は8%。同自治区では両民族間の結婚を奨励し続けてきたとのことだ。  記事は、中国政府が長期間にわたり一人っ子政策の適用除外、大学受験時の加点など、少数民族に対して優遇措置をとることで、彼らを社会に融合させようと してきたとした。その一方で、このような政策はしばしば漢族や少数民族から批判を受けてきたと伝えた。  さらに、中国は歴史上においても民族間の融和政策を実施してきた先例に事欠かないとし、もっとも有名な事例として唐の文成公主吐蕃のソンツェン・ガン ポ王に嫁いだ話を紹介した。(編集担当:今関忠馬)

欧州亡命から50年、チベットの孤児たちが直面する新しい世界

2014-01-05 11:14

  テンドール・ギャルズールさんは数多くのチベット人が 祖国を追われていた1963年、ヨーロッパに孤児として来た。それから30年後、チベットに初の児童養護施設を建設した。今日のチベットは当時とは全く異 なった問題に直面しているとギャルズールさんは言う。   「テンドール・ギャルズール養育慈善事業を始めたときは、経済的な問題が大きかった」。ギャルズールさんはチベット人とスイス人のあいだに生れた男性 と結婚した後、ドイツからスイスに来た。今はスイスとチベットの間を行ったり来たり。目下母国で起こっていることに敏感になっている。     「経済的な状況は改善され、食料品、医療品等の不足は少なくなった。問題は物理的なものから、心理的なものへと変わりつつある」     チベットの経済が急激に成長するにつれて、精神的な悩みやアルコール中毒などの悪習が増えた。両親が子どもの世話をすることができない場合、親戚が面 倒をみるのが普通だったのが、今では家族がばらばらになり、子どもたちが放置状態になるケースが多くなった。   ■激変   コロンビア大学現代チベット研究学部のロビー・ベルネット学部長は、村から都市への移住が、社会的・文化的激変の核心にあるという見解だ。     「中国からの投資が盛んで、人々は以前より裕福になった。大勢の人々が村の農地を離れ、よりよい収入源を求めて都市へと移っていく。私が見たところ、 そういう人たちは工事現場で悪条件の重労働に携わり、家族とも離別してしまっている」     「家族というものが破壊されつつある。過去のチベットではなかったことだ」     ギャルズールさんは、チベットにおける慈善事業の必要性は年々上がるばかりだと言う。スイスにいる間は寄付を集め、援助者やスポンサーに児童養護施設 の現状を報告して回っている。     「助けを必要とする子どもの数は増える一方で減ることはない」   ■幸運と謝意   半世紀前の動乱期、自身も孤児だったギャルズールさんは数百人のチベットの子どもたちの中から選ばれて、ヨーロッパに来た。     その4年前の1959年、チベット独立を望む反中国民族運動が発生し、その結果ダライ・ラマ14世はインドへ亡命。8万人を超えるチベット人が祖国を 離れた。欧州に逃げたのは数千人、その後もチベットからの避難民が絶えることはなかった。スイスは積極的にチベット人を受け入れ、インドと米国に続いて、 世界で3番目に大きいチベット人の共同体を持つ。     ギャルズールさんは、まずドイツに来た。コンスタンツの近くの子どもと家族のためのコミュニティである、ペスタロッチ子ども村(Pestalozzi  children’s village)に受け入れられ、里親の下で育った。     ドイツでキリスト教を知り、チベットに戻って、人々を助けたいと思うようになった。だが、慈善事業を行う上で貴重なのはキリスト教だけではなく、いろ いろな宗教の教えだと強調する。     「私はキリスト教徒でも仏教徒でもない。私の宗教は子どもたちの鼻を拭くことだ」と笑う。 ■援助と保護   児童養護施設に子どもを受け入れる特別な基準はない。     「1人の子どもが援助と保護を必要としているのなら、児童養護施設で引き取る。肌の色、階級、宗教、素姓は問題ではない」     彼女自身を欧州避難者の中に選んだ人々の基準も同じだったと固く信じている。彼女や他の子どもたちがいつまでも幸せに暮らせるよう、ただそれだけを 願って西側諸国へ連れて行ったのだと。     「私たちを助けてくれた人たちが非難されるのは快くないことだ。選択の基準については聞かないでほしいと思う。私たちは彼らに感謝しているのだから」     ギャルズールさんがこの点を強調するのには理由がある。最近のメディアの報道や記録によると、中国のチベット侵略時にスイスに送られた子どもたちの中 には、少なくとも片親が生存していたのに連れてこられた子どももいたからだ。     スイスのマスメディア、特にドイツ語圏の日刊紙NZZは、チベット孤児スイス定住の裏にある動機について、ダライ・ラマ14世がこの機会を利用し、両 親の意向にかかわらず、チベット人のエリート・クラスを海外に作ることを望んでいたのではないかと問う。それに対しギャルズールさんは、彼女が選ばれた理 由はもっと単純なことだと言う。     「欧州に送られた子どもたちは、元気で頭のよい子ばかりだった。そうでなくては、欧州の学校の授業についていけるはずがないのだから」      ローザン・ツルティム・ギャルズールさんと孤児たち ■時間をかけて作られた信頼関係   援助を必要とする子どもたち全員を受け入れるという約束を果たせるように、ギャルズールさんは児童養護施設を増設し、新しい場所に第2、第3の施設を 造った。ここでは地元の人たちと一緒に働く。中には中国人もいる。以前は敵とみなしていた中国人。子どもたちがよく中国人に向かって石を投げたものだっ た。それでも時間をかけて信頼関係を築き上げた。土地の人たちから得る信頼、善意、そして協力は非常にありがたく、彼女の夢を実現させるためには欠かせな いものだ。     しかしながら、初めは大変だったと言う。「チベット児童養護施設を創設するというのは、それ以前にないアイディアだった。しかも私は海外に住むチ ベット人でパスポートにはスイス人と書いてある。そのため、チベットで何か新しいことを始めるのは非常に困難だった。社会のつながりがよく、信頼関係が基 本にあったら、あれほど苦労はしなかっただろう」 ■数百人の子を持つお母さん   この養育慈善事業の目標の一つは、子どもたちが独自のネットワークを築き、社会の中で自立して生きていけるような手腕を身につけるのを、手助けするこ とだ。ギャルズールさんの最新のプロジェクトは、息子たちの手を借りて児童養護施設の近くにビール醸造所とレストランを建設。孤児たちはそこで見習いとし て働き、この職業に必要な技術を学ぶことができる。     児童養護施設では正式な学校教育は行っていない。子どもたちは公共の学校に通い、ギャルズール夫妻と他の世話人たちを、いつでもその元に帰ってこられ る家族のように思っている。     子どもたちが伝統的なダンスを学んでいる様子や一緒に料理をしているところを撮った写真を自慢げに見せながら、ギャルズールさんは母国に貢献するため に、ドイツとスイスでの経験を生かしながら今日まで歩んできた道を振り返る。     「50年前に私たちを欧州に送り出した人たちの望みや夢を、今かなえることができた」[ヴェロニカ・ドゥヴォア、(英語からの翻訳 マウラー奈生 子)](情報提供:swissinfo.ch)